
#713:牧野智和著『社会は「私」をどうかたちづくるのか』
牧野智和著『社会は「私」をどうかたちづくるのか』(ちくまプリまー新書, 2025年)を読んだ。カバーの紹介によれば、著者の専門は、アイデンティティ論、社会学とのこと。タイトルからもうかがわれる通り、本書には、社会学の研究者の立場から論じられた現代社会における主として若者世代の自己形成のあり方が、社会学という学問のあり方とその方法論の紹介を交えて、述べられている。
著者は自己論あるいは自己形成論に関する心理学的なアプローチには、一貫して批判的なスタンスをとっているが(例えば、「 ところで本書ではここまで、心理学や心理療法が「自己」のあり方の構成に関わっているとして、ときに批判的にもみえる指摘を紹介してきましたし、この後も何度かしていくのですが、このことは筆者を含む社会学者が心理学や心理療法を特別目の敵にしているというようなことでは決してありません。」[p.109]というエクスキューズがあったり)、心理臨床業界の一隅に身を置く私としては、著者の見解に一つ一つ丁寧に反論と異論を挟みたいところではあった。
私の異論の要点は、一言で言えば、著者および心理学や心理療法に批判的な社会学者たちの見解の一部には、確かに妥当なものが含まれるだろうが、彼らの目に映っているのは、心理学や心理療法の一部に過ぎない場合が多いということだ(このことは、私が何かを、誰かを批判するときにも、もちろん同じことが当てはまるのではあるが)。例を挙げれば、著者は学位論文で一般に市販されている多数の自己啓発書を取り上げたとのことだが、そうした自己啓発書の内容をもって、心理学や心理療法の知見や実践を代替することができないことは、著者も十分に理解しているのではないだろうか?
以前読んだ、小池靖著『心理療法が宗教になるとき セラピーとスピリチュアリティをめぐる社会学』(立教大学出版会, 2023年)でも感じたことだが、社会学の立場にある人たちには、いわゆるポップ心理学が、実際に一般の人の目に触れやすいものとして、心理学や心理療法の代名詞として通用し、調査や考察の対象になるのかもしれないが、心理学のアカデミズムの業界の一隅にも身を置く私としては、そのように扱われることには同意しかねるし、辛いものがある。
実際に出版され、読まれている書籍の内容がどのようなものであるかにかかわらず、心理学の知見や、心理療法の実践は、私たちの生き方や暮らし方に対して何らかの規範を示そうとするものではない(たとえそのように利用しようとするニーズが実際にはあるとしても)ことは、著者に対して言っておきたいと思う(もちろん、ここに私がそんなことを書いたところで、著者の耳に届くわけはなく、万一届いたところで、「自分が問題にしているのは、心理学者や心理療法家にとっての規範ではなく、それを消費する実際の社会のあり方なのだ」と再反論されそうだが。そのような仮想の再反論に対しては、そこで言う「実際」とはどういうことかに関して、再々反論する用意はあるけれど笑)。
改めて書くと、本書のテーマそのものには、私は何ら異論はない。要約すれば、「自己」=“わたし”を、本質主義的にではなく、相互作用によって構成あるいは生成されるものとして捉えようとするその立場に、私はほぼ全面的に同意したい。ただ、そのアプローチについては、異論が少なくない。基本的にそれは、著者のよって立つ社会学という比較的マクロなレベルでの相互作用を主軸とする立場と、私がよって立つ心理臨床という比較的ミクロなレベルでの相互作用を主軸とする立場の違いとして理解できるものだとは思われるが(とはいえ、社会学の中でも、例えば、岸政彦氏のような生活史のインタビューに基づく質的研究になると、私の実践と考え方と共通するところ、類似するところがかなり多くなる。もちろん、そもそもの目的とフレームの違いを無視することはできないのだが)。
本書は、ちくまプリマー新書の一冊として、若い読者を想定して書かれているし、「あとがき」を読むと、著者が本書の構成や書き進め方に大いに苦労したことがよく伝わってくる。若い読者にこうしたテーマについて考える機会を提供するという点では、本書はその役割を果たしうる一冊であると評価できるだろう。その一方で、著者が本書に込めたメッセージ、著者がそもそもこうしたテーマの研究に取り組んできた理由として私に想像されるもの、それらには共感を覚えつつも、無いものねだりであることは承知の上だが、「自己」を形成していく相互作用の一方のエージェントである個々人の持つ力、その経験の組織化のあり方について、もう少し触れて欲しかったとは思う(それが私が自分の仕事において取り組んでいるテーマの一部でもあるので笑)。
そうした私の願望は、著者が本書で批判している当の心理学的アプローチに他ならないとも言えるが、相補い合うことでさらに立体的に見えてくることがありそうなのになあと思う。ぜひ誰か、心理学あるいは心理臨床の立場から、例えば本書の中で過大評価され、また過小評価されている(と私には思われる)ものを、逆転させた視点から、こうした本を書いてくれないものだろうか(20年ばかり前に心理学畑の研究者で青年論として「自己」にフォーカスした論文や著者を盛んに発表していた著名な方があったが、残念ながら私にはその議論はあまりピンと来なかった)。私は私で、書けることも書きたいこともあるが、私が書いたところで、誰も読んではくれないので(笑)