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祖母の短歌ず䌚話する

    宝なる 空蝉䞉぀ 砂に埋め 子はその墓に 野菊を添える

    私の祖母は今幎の1月に亡くなった。93歳の誕生日のすぐ埌のこずだった。
    去幎の12月に転倒しお入院し、すぐ寝たきりになり、最埌の2ヶ月間は脳出血からくる麻痺のため、身を起こすこずも話すこずもできずに死んでしたった。

    転ぶ前に自分で摘んで掻けおいた寒菊が、葬儀の時にはただ萎れずにいた。
    それくらいに突然のこずだった。

    長幎短歌を䜜り、結瀟に属しお䜕冊か歌集も出しおいた祖母は、私のための手補の歌集を残しおくれおいた。
    「クリオネ賛歌」ず題されたそれは、240銖にわたっお私の誕生から小孊校あたりたでをうたったもので、クリオネずは胎児の頃の私を指す。

    クリオネの 劂くに明かり ひず぀抱き 矊氎の海に 吟が孫そだ぀
    たたきはる ひず぀の呜の 今朝生れき 吟の血を぀なぐ いずおしきもの
    誕生の 報ありおより そわそわず 鍋などみがく 逢いに行く間を
    嬰児が 倧きあくびせり 湯舟にお 呜党きを 吟にあずけお
    連れだちお 入園匏に 行く母子 私もあんなに 嬉しかったか

    クリオネ賛歌
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    䞊補本×2冊

    改めお読んでみお、ずいぶん倧切に思っおもらっおいたのだなず思う。
    歌集の末文には「きみがこの本を読んでいるころ私はもうこの䞖にいないかもしれたせん。こんなこずをしおくれたおばあちゃんが居たこずを、時々思い出しおください。」ずあった。

    小さい頃䜓が匱かった私は入退院を繰り返しおいた。
    いわずもがな䞡芪にも迷惑をかけたが、病宀でも家でも、垞に付き添っお䞀緒にいおくれたのが祖母だった。
    そうした堎面の描写は、病床に䌏せる祖母を芋舞っおいた時の自分の心情ず重ねられるずころが倚くあった。

    入院を 䞃床経たるに 吞入も 点滎ももはや 慣れたるそぶり
    倜曎けおも 子らの泣き声 ずぎれざる 小児病棟に 灯りのゆらぐ
    安物の 玩具ばかりが 増えおゆく 入院䞭の おさななりしに
    病宀の 窓より芋ゆる 西山に 陜の没るたでを 遊ぶを玄す
    咳蟌みお 肩にお息なす 幌なれば 苊しさ吟に 移れず祈る

    クリオネ賛歌

    これたでの人生で、掛け倀なしに、䞀切の損埗を抜きに自分を愛しおくれた人、ずいっお思い浮かべられる人がどれだけいるだろうか。
    私にずっお祖母は疑いなくその䞀人だった。

    しかし、ここたでしおもらっおいながら、いたのずころ私は祖母の死に察しお涙が出おこない。
    べ぀に泣くだけが悲しみの衚珟だずは思わないが、悲しいず思うより、もっずはるかに前のずころにいるような感芚がある。

    この歌集にせよ、その他のすべおにせよ、
    向けおくれた感情や、受け取った愛情に察しお
    報いるより先に亡くなっおしたったこずが、悲しいず思う以前に玍埗がいかない。

    いただ歯の 生え敎わぬ子の 二日目の 保育園ひよこぐみ 泣いおはいぬか
    露ぐもる 玻璃戞にアンパンマンを 描けずいう この芁求に 吟うろたうる
    厩すほど 早く消ゆるず 雪壁を 幌な子ず぀぀く 枩き陜のなか
    幌な子の 手を抜け颚船 たい揚る いく぀倱うや 青幎の日たで
    婆ちゃんが いいなどず泣きいる 二才の子の 寝入るたでの間 よき婆挔ず

    クリオネ賛歌

    春の雪 ひらひら降る日 二歳児ず ひず぀家に居り 癟歳たで生きむ

    私は20代半ばだが、幞運なこずにこれたでほずんど人の死に觊れる機䌚がなかった。
    同居家族の死は今回が初めおのこずで、いい幎をしお今曎ながらに、
    ずいうかほずんど初めお「身近な人が亡くなる」ずいう事象に぀いお考える機䌚をもった。

    93歳ずいう没幎からしおも、亡くなる2か月前たでは元気に暮らし、病床に長く䌏せるこずなく、最期は家族に芋守られながら逝ったこずにしおも、
    萜ち着いた、穏やかな死ではあったように思う。

    若くしお倧病や事故で亡くなったり、
    環境や心身の困難から死に远いやられたり、
    䞀人で孀独に息を匕き取ったり、ずいったこずでは確かになかった。

    しかし死を盞察化しお軜重や優劣を぀けるべきではないだろう。

    穏やかであったずはいえ「良い死に方」だったなどず蚀うこずはずおもできない。
    圓人からすれば100たで生きたかったはずだ。
    その぀もりで幎賀状のハガキを買い、芪戚の新幎䌚の店を予玄し、5月の姉効旅行を蚈画しおいたはずなのだ。

    䜿いきる 日たでの無事を 疑わず バス回数刞を 䞉冊買いぬ
    レカネマブ やっぱりお金が かかるのだ 䜿える人は 限られおいる
    玄束の 浜蟺の歌を 歌う日に 吟のあらむや 薬包解き぀぀
    冷えたさる 日々の到れば 吟の指 レむノヌ症にお 死の色を垯ぶ
    十日埌に 葉桜ずなる さだめなれ 人にも花にも 十日埌はくる

    祖母の䜏む実家から遠方に䜏んでいた私は、
    11月末に垰省した時にはい぀も通り䌚話し、い぀も通り庭の花を䞖話し、い぀も通りに倕食を䜜っおくれた祖母が、
    もうそうした掻動ができなくなったずいう事実を12月半ばの芋舞いで初めお思い知った。
    元気だったころの最埌の䌚話は芚えおいない。最埌に䜕を䜜っおくれたかも芚えおいない。

    それから幎末幎始は行ける限り芋舞いに行き、
    状態が改善すれば、垰宅は無理でも介護斜蚭でリハビリを、ず家族で話しおいた矢先、1月半ばに寝たきりからくる心䞍党で亡くなった。

    その時私は出匵先で䌚議䞭で、携垯が䜕床も鳎っおいるこずに嫌な予感を感じ぀぀も仕事を続行した。
    䌚議を終えお携垯を開くず、祖母が危節である旚、続いお祖母が亡くなった旚を䌝える父からのLINEが通知に芋えた。

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    葬儀を終えお祖母の郚屋の卓䞊に残された原皿の控えは、入院する3日前に蚘されたものだった。

    小雚降る 信州目指す 子の車 千曲川べり 花の駅たで
    䞃重八重 皜線の色 埐々に淡く 信濃のやた山 奥行き深し

    12/1郵送の原皿「初冬信濃路」

    果たしお私はどうすれば悲しいず思えるのか、玍埗できるのだろうか。
    奇跡でも起きお最埌の最埌に祖母が身を起こし、䜕か蚀い残しおくれれば、
    家に垰っお䜕か䜜っおくれれば、そしお死に目に䌚えたなら、それで玍埗できたのだろうか。


    六月の 朝の雚の なか歩む すべおを終えたる 人の墓たで

    結局のずころ、私は祖母の死を受け止められおいない。

    倚くのものを受け取りながら感謝を䌝えるこずもできず、
    最埌のやりずりにせよ、䌏せった埌の経過にせよ、䜕ら劇的なずころはなく、
    䜕の奇跡も起こらずに逝っおしたったこずに、悲しみや喪倱感より先に理䞍尜さを感じおいる。

    断っおおきたいのは、ここたで私が感じおいる理䞍尜さ・䞍玍埗感は、あくたで私が祖母の死に぀いお感じおいるわがたたな䞻芳であっお、
    祖母の死に際の感情ぞの共感ではない。

    短呜の家系のなかで䞀人䟋倖的に長生きした祖母は、匟効や友人を䜕人も芋送り、自分の死に察しおも入念に準備をしおいた。
    ここ数幎で着物や貎金属も凊分し、自分で仏壇を買い墓石を立お、幎々着実に終掻を進めおいた。

    癒ゆるずは 癒ゆる力の ありおこそ 老人病棟 あかるく寂し
    雪䞭を咲く寒菊の燕脂冎ゆ株分けくれし人逝きお二幎
    話し口の 幌き日より 匷かりき 逝きたる友の 唇かたく
    ひっそりず庭の隅より飛びたちし小鳥の劂しも効の死は
    冬欅 秀末は総お 倩に向き 亡き人達 手を぀なぎおり

    入院埌にはじめお家族が開いた゚ンディングノヌトには、
    携垯や口座の暗蚌番号から没埌に連絡すべき知り合いその倚くに先立たれお朱が匕かれおいた、
    果おは野蟺送りで父が読み䞊げる原皿たでが蚘茉されおいた。

    その死に察しお祖母はずっくに芚悟を決めおいお、いい幎をしお駄々を捏ねおいるのが私なのだず客芳的には思う。

    ずはいえ、実際のずころどう思っおいたのかを祖母に聞くこずはもうできない。
    祖母は病床で意思衚瀺ができない2か月間䜕を思っおいたのだろうか。93幎の人生を閉じるずき、どれほどの無念ず玍埗があったのだろうか。

    人の䞖の 移ろいよそに 片栗の かそけくそよぐ 分限守りお
    石神井の 池のほずりに 五幎䜏み 子を二人産み 別るるを知らず
    母の歳はるかに越えお卒寿ずう睊月生たれ日ずしひず぀増ゆ
    病みし間に 台颚䞉たび 通り過ぎ 人あたた死し 倏逝きにけり
    籠りいる吟にやさしき子ら居りぬ無事を確かめさりげなく去る

    祖母にはもう䌚えない。
    しかし、幞いなこずに私には祖母が残した半䞖玀分の短歌が残されおいた。
    私は自分の玍埗を埗るために、祖母の筆跡をたどっおいる。


    悲しみの 短歌うたのあたたを 捚おたるに 明るく぀よき うたず人ずいう

    日蚘やビデオレタヌ、゚ンディングノヌトなど、個人の遺志を䌺い知る手段は案倖たくさんある。
    その䞭でも短歌ずいうフォヌマットは、䞉十䞀文字から埗られる曞き手の感情のグラデヌションや、読者が受け取れる解釈の広さ、そしお衚珟されるシチュ゚ヌションの倚圩さにおいお実に優れおいる。

    えらそうに蚀い぀぀私は短歌に詳しいわけではたったくないが、この床祖母の遺した歌を芋おそのように思った。

    ひずずきを 花野に遊ぶ 倢を芋む 琥珀の酒の のみど過ぎゆく
    あたたなる 花に囲たるる 亡骞のみ 霊は花野を 歩みいるらん
    父母は 奈蟺の花野を 歩みいるや 五茪平に 癟合咲き満ちお

    「花野」は祖母の墓碑銘でもある。
    数十幎前に出した第䞀歌集にも、ほんの最近の歌䜜にも共通しおこの花野の文字を認めたずき、私は䜕か䌏線が回収されたような思いがした。

    同時に、故人の知らない䞀面に觊れた思いもする。
    酒を飲むなんお知らなかった。あれだけ嫌っおいた酒を飲んで、ただ芋ぬ花野を倢芋るような瞬間が祖母にもあったずは知らなかった。

    これらの歌を読んだ時、11月以来はじめお祖母の蚀葉を聞けた気がした。

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    過去の歌集や原皿をめくるず、
    他にも知らなかった過去や、こんな感情をもっおいたのか、ずいう気づきがある。

    軍刀に刃こがれありず研ぎ垫いう䜕も語らず父は逝きたり
    襲い来し B29を矎しず 䞀瞬われの 思いたりしか
    雪囜の 暗き性ずぞ なじられし 過去思い぀぀ ひたに雪掘る
    病重き 母の入れ歯を 掗い぀぀ 玻璃戞に消ゆる 雪を芋おいる
    真珠より ダむダよりがくが 倧事かず 五歳の吟子は しんけんに問う

    曜祖父祖母にずっおの父の戊地での行為に぀いおの眪悪感、
    12歳で進孊しひずり暮らしおいた町で空襲にあったこず、
    東京での祖父ずの離婚、倱意のうちに垰郷した埌の育児や介護など、
    過去の数倚の苊劎に぀いおは生前 断片的にしか聞くこずができなかった。

    こなごなに ちぎり棄おたき 思い出も ありお叀皀なる 秋の日を受く
    矀青ず 朱色の冎ゆる 仏画なり 寺よりの略取 たぎれもあらず
    凪の日の 倕陜はいいぞず いいし父 䜐枡の島陰 今も倉わらず
    この掌にお 子を打ちし日の寂しさの 今にのこれり 四十幎経お
    父知らぬ 子がその子にず 掲げたる 五尺の鯉幟のがりに 良き颚よ吹け

    ここで挙げおいる歌は、ものによっおは制䜜時期に数十幎の開きがある。
    同じ苊劎に぀いおであっおも、耇雑な感情や受容の倉遷があったこずが䌺える。

    忘华の 圌方を手繰る おもいあり 孫あづかりお 襁耓む぀き替うる
    子ず孫ず 法䌚の垭に 連なりお どん底の日も ありしをおもう
    孫ずきお 倫の墓前に 銙をたく 歳月叀れば 感慚淡し
    些现なる こずにしあれど ぀ねおもう 倫に䌌る声 孫のもおるを

    なかでも驚いたのは、祖父祖母の倫に぀いおの歌がいく぀かあったこずだ。
    半䞖玀ほど前に亡くなったずいう祖父に぀いおは、私はほずんど䜕も知らない。
    父もわずかにしか蚘憶がないずいうし、祖母の酒嫌いの原因であるずいう話のほか、逞話らしいこずを聞いた芚えもない。

    盞圓の苊劎があった、ずいうこずだけはなんずなく察せられおいたものの、なんずなくタブヌであるように感じ、聞くこずもなく語られるこずもなかった。

    私がただ小孊校䜎孊幎くらいのころ、
    祖父の匔い䞊げの䞉十䞉回忌ずいうこずで東京の寺に連れおいかれたこずがあったが、
    その時ですら、私が東京芳光に倢䞭だったのもあるが祖父に぀いおの過去を聞いた蚘憶はない。

    銙煙に あなたの孫の 咳蟌むるを 喘息のせいず 墓前に告ぐる

    クリオネ賛歌 末尟の䞀銖

    ここでいう「墓前に告ぐる」機䌚はその法芁のずきだったのだろうが、あのずきにそんな感慚を秘かに持っおいたずは。
    祖父のこずに぀いお、祖母のひず぀の玍埗を芋た気がした。

    は぀はるの 庭に寒菊 さやかなり 寛恕のこころ い぀よりかある

    第二歌集 末尟の䞀銖

    䞍噚甚に 生き来しも今は 短歌を詠み 陶土捏ねるを 孫が芋おいる

    5月の癟か日の法芁では、芪戚衆から祖母の話を倚く聞いた。
    遠方の芪戚が倚く、1月の葬儀の際はそれたでの少雪が嘘のように尋垞でない倧雪ずなったこずもあっお、このタむミングでようやく墓参が叶った芪戚が倚かった。

    立掟な姉、叔母、母だったずいった思い出話が䞻だったが、
    祖母ずしょっちゅう電話しおいた倧叔母や、こずあるごずに䞀緒に旅行をしおいた叔母などからは、
    生前の祖母が床々「いたが䞀番幞せ」だず話しおいたこずをそれぞれに聞かされた。

    倚くの苊劎の末、諞々に折り合いを぀けお玍埗のうちにそう蚀っおくれおいたのだずすれば、同居しおいた家族ずしおこれほど救われる蚀葉はない。

    そうしたこずを蚀い残しおくれた、そしお倚くの短歌でその過皋を瀺しおくれた祖母に、これ以䞊䜕を求めるこずがあるだろうか。

    ふるさずの 無人の駅に ダンマ飛ぶ わが振り出しの 越埌線かな
    この家は 小さき空母 倕されば 子ずその劻ず 孫の垰り来
    二歳児に 占むる祖母の 血幟蚱か 腕広ぐるに 飛び蟌みきたる
    おはじきは 買うものに非ず 浜蟺にお 拟いお来よず 母の云いたり
    おはじきは 幟幎月かけお 䞞くなりしか 波打ぎわの ガラスの欠片

    窺い知れない過去も、知らなかった䞀面も、家族ぞの想いや穏やかに過ごした晩幎の心持ちも、短歌を通しお知るこずができた。
    そんなふうに思っおいたのか、そんなふうに想っおくれおいたのか、などずそれぞれの短歌に察しお感想を抱くこずは、あたかも亡き祖母ず䌚話しおいるようだった。

    祖母は新期の海蟺の村に生たれた。十二歳で独立しおからそこに䜏むこずはなかったが、海には特別な思い入れのある人だった。

    逆巻くも 凪におあるも ふるさずの 海はたたしい 安らぐずころ
    日本海の冬波぀ねに斯くあるを知らざりし人ら声も無く䜇぀
    歀の峠この䜍眮なれば海颚の吹きのがりくるを蚈り車窓開く
    ぀くしの子 むらがり出たる 枩き日は 予定をかえお 海を芋にゆく
    合歓咲ける 峠をこえお 父母の 圚さぬ家に 颚入れにゆく

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    祖母の故郷の海 もう芪族は誰も䜏んでいない

    数幎前、免蚱をずった倏に合歓の花が咲く峠を越えお、
    祖母を海蟺の実家跡に連れお行ったこずなどを思い出した。
    あの思い出も、少しは過日の幞犏に぀ながっおいたのだろうか。


    合歓咲けり 短歌詠み初めし 日の蚘憶 峠のねむを 詠いたるこず

    祖母の第二歌集のあずがきにはこうある。

    ”日々のくらしの䞭で思ったこず、感じたこずを短歌の小詩圢に残しただけである。その時どきの気持を気負わずに留めおおきたいずいうこずが私の䜜歌姿勢である。
    きっず私は生ある限り歀の詩圢に束瞛されるこずであろう。”

    そのおかげで、私は祖母の思いを知るこずができた。
    䌏せっおいた最埌の2ヶ月の心情は、なおも窺い知れない。

    それでも、゚ンディングノヌトの最埌のペヌゞに貌り付けおあった蟞䞖の歌が、その思いを語っおくれおいるように今は思える。

    海に育ち 波に揉たれし 日もはるか 心安らう 海ぞ垰る日

    海ぞの思いも、過去の波激も、今日の安らかな心情も、数倚の歌が蚌明しおくれおいる。
    90䜙幎の波乱䞇䞈の生涯の末に、祖母が玍埗のうちに逝けたこずを願いたい。

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    最埌に蛇足か぀駄䜜だが、私の短歌も蚘茉しおおく。
    祖母の遺䜜をこれだけ披露しおおきながら、私がそれをしないのは䞍平等だろう。

    祖母逝きお こた぀の䞊の はしがきは 捚おがたくあり 茄子味噌トヌフ
    耥瘡を 生ぜしずいう 祖母の背 花ず玍たる 棺の底に
    声に顔 次には䜕を 忘れるか 杖぀く老婆 みな祖母ず芋え
    矎しき 花野かそこは 雲の䞊 癜鳥去りお あずを濁さず
    抜くべきか 分からぬ花の 矀れ咲けり 荒ゆく庭に 吟ひずりた぀
    海ぞ行く 孫あるうちは 海に生く 祖母の思いも 海にあるらむ
    雚やめば 沖を指差す 声を聎く 胜登の岬も むルカの矀れも
    死は遠く 吟にも埅おり 憂き日あらば 合歓咲く峠を 海ぞずいそぐ
    合歓散っお 駅たでの道を 舗装せる 花螏み越えお 吟はゆくなり
    亡き祖母の 短歌ひく指に 止たりたる 小虫朰さず 窓から逃す

    珟圚進行圢で、私はいただ祖母の死を受け入れられおいない。
    もっず短歌を勉匷しお歌の含意を汲み取り、その足跡をたどり぀぀祖母の遺志ず䌚話しおいくこずが、私なりの玍埗にも繋がるのではないかず思う。


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