今日一日のログを書く fable5で可視化された2万時間
6月の初めから、過去作品の整理をしている。
描いていれば作品は増える。スケッチブックも、ノートも、写真も、資料も増える。だから時々棚卸しをするのだが、そのたびに思いがけず過去の自分と出会う。






私はかなりのメモ魔である。
ちょっと異常と言ってもいい。
以下の書籍にご紹介いただいている。
2017年ごろは手帳アカウントとして結構頻繁にSNSにツイートしていた。
手帳にもログを残す。ノートにもログを残す。Evernoteにもログを残す。
昔のブログもそうだし、今書いているnoteもそうだ。
自分の思考や試行錯誤を、残しておくことに価値を感じている。
人は何かを評価するとき、「点」でしか見ないことが多い。
他人が見るのは常に現在地である。
例えば公募展に出品したとする。審査員が見るのは2026年の私の作品であって、2024年の私の作品ではない。
SNSに作品を投稿したとしても、見ている人は今の作品しか知らない。その背後にある1000枚の失敗作を見ることはない。
スケッチ教室に来た新しい生徒さんも同じだ。今の私の仕事は見るが、2017年に何に悩み、何に失敗していたかは知らない。
幸いなことに、2016年頃から通ってくださっている生徒さんもいる。その方たちとは、一緒に変化してきた。
けれど、自分だけは出発点を知っている。
資料を整理していて水彩の遍歴が見える。
1993年
・大学の植物園へスケッチに出かけた
・鉛筆の上に塗る水彩絵の具がうまく乗らず困った
1996年
・外食に出かけると絵を描くようになった
・小さな絵の具を持ち歩くようになった
・小さな画面でこつこつ描いていた
1998年
・中学校の教師になった
・絵を描く時間が取れず残念だった
2000年
・初めてラファエルの筆を買った
・初めて高級なハーフパンの絵の具を使った
・小さなギャラリーで個展を開いた
2001年
・高校へ異動になった
・週末は車で絵を描きに出かけた
・秋の夕日の金色に見入った
・美術部の生徒たちと海へスケッチ旅行に出かけた
2007年
・教師を辞めた
・北米で暮らした
・言葉は通じなくても、絵を描けば人とつながれることを知った
・毎日重たい画材をカートで引いてスケッチに出かけた
2011年
・震災があった
・絵を描く手が止まった。
・今後創作をしていいのだろうかと思った
2012年
・デッサン会に通い始めた
・毎週人物を描いた
・チャグチャグ馬コの取材をはじめた
2013年
・知人の紹介で水彩スケッチ教室の講師になった
・力不足を感じ、独学で水彩を学び始めた
・野村重存先生の講座に通った
・植物画の通信講座を取った
2016年
・タウン誌のカットを描くことになった
・「水彩教室の先生」という肩書きは自分にフィットしていない感覚に苦しんだ
・画材研究に没頭した
2020年
・コロナ禍になった
・何となく、ゆっくり過ごした
・意外と孤独が楽しかった
2024年
・京都に暮らした
・市内や鴨川で絵を描いた
・とにかく大量に野外スケッチをした
・水墨画を描いてみた
・京都水彩塾で略画を学んだ
・関西美術院で改めてデッサンに向き合った
2025年
・公募展に出品する実験を始めた
・大人になって初めて賞をもらった
・作業のためのアパートを借りた
2026年
・公募実験2年目
・あの頃の画材研究や構図研究が効いていたのだと気づく
・チャグチャグ馬コ15年目
・丙午の年に馬を描いている

日本水彩展の出品を終えてからひたすら掃除と片付けをしている。うんざりするくらいしょうもない素描がいっぱい出てくる(捨ててる)。
でも、過去のノートや作品を見返していると、
「ああ、この頃こんなことを考えていたのか」
「この時に種が植えられていたんだ」
…という発見がある。
成長とは、新しいものを獲得することだけではない。昔の自分の中にあった種を発見することでもある。
記録とは、過去を保存するためだけのものではない。未来の自分が、過去の自分を発見し、今の土台を確認するためのものだ。だから今の自分を見て、「まだできていない」と思うのは、自分まで自分を点で見ているということだ。
未来のどこかで、「あの頃に植えられた種だったのか」と気づくことは、案外よくある。
SNSで注目されることよりも、賞を取ることよりも、資産が増えたことよりも、「成長の履歴は自分でしか発見できない」という事実を知ることの方が、私には価値があるように思う。
今日AI (Fable5)に自分の過去ログを読ませて試算してもらった。
意外と描いててびっくりした。しかし逆算値なので正確ではない。正直なところ、しょうもない素描しかない…
なんということだ。2万時間描いてもこれか。(でも確かに16歳から38年間、1日あたり1.5時間くらいは描いてるか作ってるからしてるからそんな極端な数字でもない)


では本題、総練習時間の見積もり。手元の伝記データから組みます。仮定は全部開示するので、あとであなたのログで補正してください。
描画系(デッサン・スケッチ・水彩)
1988–90 画塾期:週3〜受験期毎日、週10〜15時間 → 約1,200時間
1991–95 大学:デッサン室常駐+全分野演習+卒制、
週20〜25時間 → 約4,000時間
1995–98:美術史院生時代、控えめに週5時間 → 約1,000時間
1998–2007 教員期:「時間が取れず残念」〜週末画家、
週3〜5時間 → 約2,000時間
2007–09 北米+帰国:毎日カートでスケッチの年 → 約1,000時間
2009–12:手仕事寄りの低描画期 → 約800時間
2012–19:デッサン会毎週+教室講師+独学+チャグ馬取材、週10〜15時間 → 約4,500時間
2020–23:コロナ期、週10時間 → 約2,000時間
2024–26:京都の大量スケッチ→公募期、現在日3時間 → 約3,500時間
描画系小計:約2万時間(保守的に見て1.6万、甘く見て2.4万のレンジ)
染織・編み・縫い系:大学の染織ゼミと卒制は上に含めたとして、社会人以降の織り・紡ぎ・洋裁・編み物を平均週5時間×30年 → 約8,000時間。
創作総合:約2.8万時間、レンジ2.2万〜3.2万。
染織系をどうカウントするかですが、研究的には「転移」の問題です。近い技能への転移は大きく、遠い技能へは部分的。織りの時間はデッサンのストローク精度には効かないけど、色彩計画・工程分解・完成まで結果が見えない耐性——あなたのOSの中核——にはフルカウントで効いてる。だから帳簿を二冊持つのが正確です。**純描画2万時間、OS形成2.8万時間。
二つ、面白い含意を。
第一に、現在ペース(創作日5時間=年1,800時間)で83歳まで続けると、残り30年で追加5.4万時間。つまりあなたの2.8万時間は、キャリアの前半戦の数字です。積み上げに自信がある人の、まだ折り返し前。第二に——これが本命ですが——この数字、推定じゃなく実測に置き換えられるんですよ、あなたなら。手帳ログ、ジブン手帳、Evernote、posfie(togetter)のタイムスタンプ、制作ノート。
33年分の(1993起点)一次資料から練習時間曲線を復元できる人間は、技能習得の研究者にもまずいません。「n=1、38年の縦断練習記録」
まあでもいい。
これから5万時間を積み上げればいいではないか。(たぶんむり。)
だから、絵を描こうともがいているあなたへ。絵でもいい。音楽でもいい。小説でもいい。スポーツでもいい。語学でもいい。
今日一日のログを書きなさい。
そして未来のどこかで、過去の自分が残した証拠を読み解きなさい。
何かを学び、獲得するまでの過程を大切にしてほしい。
今であればAIを使う人もいるだろう。AIと話せば言葉はいくらでも湧く。そしてその対話は高速のタイムラインを流れ去っていく。
残したいのは、あなた自身の思考の過程である。だから自分の思考の過程を手書きで残しておくことだ。
必ず未来の財産になるから。
最近まで、自分の自認が、「全然描いていない」だったんだけどちょっとびっくりした。
posfieのデータをAIに読ませたのだが、
「ちょっと意味がわからない分量ですね」と言われるなどしている。

お前は何を言っているんだ。
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