見出し画像

北極星 (絵を描く人の掌編❶デッサン)

 鉄瓶を、机の上に置く。


 北向きの窓からの光は朝のうちが白く、午後になると少し黄が差す。その白いうちに、彼女は布を敷き、鉄瓶を据え、隣に白い茶碗をひとつ置いた。

 鉄瓶の胴には雪の結晶に似た文様が打たれていて、指の腹で撫でると、鋳肌がざらりと乾いた音のない音を立てる。

 椅子を引いて、座る。画板に紙を留める。鉛筆を削って並べる。


 そして、描かない。



 まず見る。

 それが決まりだった。
 誰が決めたのでもない、彼女が彼女に課している決まりである。描きたい手はいつも先に騒ぐ。若い犬のようなものだ。

 騒がせておいて、見る。



   *



 「見る」とはなにをすることか。

 教室でそう訊くと、生徒たちは怪訝な顔をする。

 「見てますよ」、と目が言っている。
 だから彼女は言い直す。――

 「縦と横を見つけなさい。水平と、垂直。世界にまっすぐな線なんてほとんどないから、まず自分の中に、まっすぐを一本立てるの。」



 鉛筆を腕いっぱいに伸ばし、片目を閉じる。


 鉛筆の軸が窓枠の縦に重なる。それを基準に、鉄瓶の注ぎ口の傾きを測る。
 胴の張りのいちばん外がどこに来るか。
 蓋の摘みから茶碗の縁まで、鉛筆で何個ぶんか。


 測る。
 ただ測る。


 祈りに似ている、と最近は思う。

 測って数えているあいだ、頭の中の他のおしゃべりが全部止まるからだ。

 どこからどこまでを画面に入れるか。

 両手の指で四角い窓を作り、机の上の小さな世界を切り取ってみる。

 鉄瓶を真ん中に置けば安定するが、退屈する。少し左に寄せ、右に空いた何もない空間を、茶碗と布の皺に持たせる。



 見ているのは物だが、空間でもある。

 物と物のあいだの、名前のない形。若いころ、それが見えなかった。
 瓶は瓶、碗は碗としか見えなかった。

 「あいだ」が見えるようになったのがいつからか、思い出せない。

 ある日ふいに見えたのではなく、測って、測って、測っているうちに、あいだのほうが先に目に飛び込んでくるようになった。


   *



 まず、アタリを取る。そして、最初の線を引く。

 紙の上を、鉛筆の芯が渡っていく音。

 しゃ、と短く、それから長く。点と点を打っておいて、つなぐ。
 つないだ線の傾きを、もう一度モチーフと見比べる。合っていない。消さずに、正しい線をすぐ隣に重ねる。間違った線は、正しい線の産衣のようなもので、急いで剥がすことはない。

 ひとつの線を追いながら、画面全体を見る。

 これが難しい。線を追えば全体を忘れ、全体を見れば線が留守になる。両方を同時に、と口で言うのは簡単で、手に覚えさせるのに何十年もかかった。もちろん、今も、かかっている最中かもしれない。


 鉄瓶のようなもの、が、だんだん紙の上に溜まってくる。

 描いているのは鉄瓶ではない、と彼女は知っている。描いているのは光だ。鉄は光を飲む。表面に落ちた光を、鋳肌の細かい凹凸が食べてしまって、返さない。だから鉄瓶は暗い。

 隣の茶碗は逆で、釉薬の膜が光を素直に返す。だから明るい。

 この二つを同じ画面に置いたのは、その差を描くためだった。物のかたちを写すのなら、写真でいい。鉄が鉄としてそこに在ることと、陶が陶として在ることの、在り方のちがい。

 それは目でしか測れない。


   *

 昼を過ぎたあたりで、絵が死んだ。

 手は動いているのに、紙の上のものが、それ以上こちらへ来なくなる。よくあることだ。若いころはここで焦って、描き込んで、絵を二度殺した。

 いまは、まずは立ちあがろう。

 椅子を引いて、三歩下がる。

 壁際まで退いて、画板を遠くから見る。近くで見ていた絵とは、別の絵がそこにある。

 鉄瓶の左の張りが、実物より痩せている。文様を追いかけすぎて、胴の暗さが逃げている。細部が主人の座を奪おうとしている。
 止まると、画面が教えてくれる。描いている最中の自分より、離れた自分のほうが、いつも少しだけ賢い。



 湯を沸かして、茶を淹れた。

 モチーフの鉄瓶ではなく、台所の薬缶で。湯呑を持ったまま、また遠くから絵を見る。窓の光が黄色に傾きはじめて、鉄瓶の暗がりの中に、朝にはなかった小さな照り返しが生まれている。布の白が、それを下から支えている。

 ――もう見えている。
 もうそこにある。探していた形は、紙の上にではなく、モチーフ台の上に、最初からあったのだ。


 自分の目のほうが、半日かけてようやく追いついた。

   *


 座り直して、消し込みに入る。

 文様を、半分消す。描いた時間が惜しくないと言えば嘘になるが、惜しさは絵の材料にならない。
 画面の中心を、もう一度探す。構図の中心ではない。視線が最後に帰ってくる場所。この絵では、鉄瓶の蓋の摘みの、小さな一点の光だった。

 そこを北極星に決めて、他のすべての明暗を、その星からの距離で測り直す。迷ったら、星を見る。星から離れすぎた線は、たぶん要らない線だ。

 その線は必要か。
 その形は必要か。

 手ではなく、目に訊く。目でわからなければ、立って、下がって、別の角度から見る。
 気がつくと、窓の光がもうだいぶ低い。何時間経ったのか、時計を見るまで分からなかった。没頭というのは、こういう静かな場所にもあるのだ、と彼女は思う。溶けるのに、誰も要らない。鉄瓶ひとつと、白い紙と鉛筆があれば足りる。


   *


 「今日はここまで」と決めて、鉛筆を置く。

 完成ではない。

 デッサンに完成があるのかどうか、彼女はいまだに知らない。
 形を描き終えることと、見終えることは、別のことだからだ。

 見るほうは、終わらない。

 流しで手を洗う。
 黒鉛が水に溶けて、灰色の渦になって流れていく。この灰色を、一生でいったい何リットル流すのだろう、と若いころに思ったことがある。

 いまは思わない。流れた灰色のぶんだけ、目が変わった。それだけのことだ。

 部屋に戻ると、机の上の鉄瓶は夕方の光の中で、朝とはまた別の暗さをしている。明日はこの暗さから始めよう、と決めた。

 彼女は電気を点けずに、しばらくそれを見ている。



 これは高校教師時代に、美大受験の生徒に宛てたメモを歌詞にしsunoで曲にしたものです。

 今回の掌編はこの歌詞をもとにClaude Fable5が散文に組み、再度私が書き起こしました。



光と北極星(作詞nyororo)

君は ただ一点を見ている
ただ見ている
それでいい
モチーフとはなんだ
なぜそれを描く
なぜそれを選ぶ
その理由を忘れないで
今日も白い紙と向き合う

描きたい気持ちを抑えて
まずは見ることから
形を測れ
縦と横とはなんだ
水平と垂直だ
どこからどこまでを
画面に入れる?

どこからどこまでを
切り取る?
見ているのはモノだが
空間でもある

君が描くのは見えているモノじゃない
光だ
光を見るんだ
わかるか?
見えているか?

点と点を繋ぎ
線になったら傾きを見ろ
距離を見ろ

ひとつの線を追いながら
流れをつかめ
画面全体を見ろ
ひとつの線を追いながら
流れをつかめ
画面全体を見ろ

瓶とグラス
グラスと布
布とカゴ
画面の中で
視線が循環する

等しい長さ
倍の長さ
くり返す形
それを測る
ただ測る
見たままを描くんじゃない

離れて見る
止まる
そしてまた見つける

さあ手を止めろ

画面が教えている
もう見えている
もうそこにある
君が探していた形は
そこに

ひとつの線を追いながら
流れをつかめ
画面全体を見ろ

デッサンは
形を描くことじゃない
見ることだ
そして考えることだ
その線は必要か
その形は必要か

考えろ
迷ったら止まれ
画面の中心を見つけろ

そこがきみの北極星だ
光と空間を見ろ
モノの向こうを見ろ
離れて見る
止まる
そしてまた見つける

ひとつの線を追いながら
流れをつかめ
画面全体を見ろ
光と空間を見ろ
モノの向こうを見ろ
光はまだそこにある
今日の制作は終わる
だが 明日も描け




いいなと思ったら応援しよう!