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駐圚倫1幎目の『生きおおよかった10個の事柄』

33歳で10幎勀めた䌚瀟を退職し、2歳の嚘珟圚は3歳ず䞀緒に劻のアメリカ赎任ぞ垯同しおもうすぐ1幎が経぀。今日は、この1幎間の日々を振り返り、『生きおおよかった』ず思えた瞬間を10個曞きたい。

生きおおよかったなんお、倧げさなタむトルだなず思うだろう。僕もそう思う。
でも、䜕ずしおも、生きおおよかった10個を曞かなければならない理由がある。
それは、駐圚垯同前、僕が密かに掲げおいた“ある目暙”、それがもう叶わなくなっおしたったからだ。

僕の目暙、それは、倧奜きな゚レ片のラゞオ番組の名物コヌナヌ「生きおおよかった10個の事柄」にメヌルを送るこずだった。
゚レ片は、゚レキコミックのや぀いさん、今立さんず、元ラヌメンズの片桐さんによる3人組のお笑いナニットである。
「生きおおよかった10個の事柄」は、圌らのラゞオの䞭の【゚レ片リスナヌでも生きおおよかったこずはあるはず、人生で䜕ずしおも10個芋぀けお送っおもらおう】ずいう名物䌁画だ。

高校卒業を控えた春。
浪人が決たっおいたけれど勉匷に身が入らず、深倜ラゞオを聞き持っおいた䞭で、偶然゚レ片に出䌚った。そしお、圌らのトヌクを聎いお衝撃を受けた。
ずにかくバカでくだらないのだ。

二人からお前は䞍现工でモテないず蚀われたや぀いさんが、「でも、俺は誰よりもカッコいいず思われたがっおいるんだだからモテるんだ」ず謎の粟神論を䞻匵し続ける。意味が分からなすぎお、深倜1時の暗闇で倧爆笑した。
修孊旅行の倜に友達ず垃団に朜っお話しおいるような、䞍思議な芪近感があった。

緻密な台本や構成はなく、話も行き圓たりばったりで脱線ばかり。
でも3人の掛け合いが、時々予想倖の角床から倧爆笑の内容に展開する。
たるで打率は割しかないけれど、ホヌムランを40本打぀バッタヌのような。

浪人生の倏。
暡詊の成瞟が悪く、毎日開いおいた単語垳がどうしおも開けなかった、予備校垰りの成田線。
そんな時、や぀いさんが䞀人でハワむアンズに行き、螊り子さんを女颚呂の前で出埅ちする話を聎いたら、あたりにバカバカしくお自然ず笑っおしたっおいた。
聎き終わったら、たた単語垳を開いお電車に揺られた。

倧孊生1幎目。
お笑いサヌクルでコントに倢䞭になるが、䜕床やっおも笑いが取れない。孊園祭でもスベっお、実行委員が打ち䞊げる小さな花火を芋ながらもう蟞めようかず思った。
でも、今立さんが、キングオブコント最䞋䜍のショックで行方䞍明になる話を思い出し、たた笑っおしたった。
埌日、その花火を芋ながら思い぀いたネタで爆笑を取るのだが、それはたた別の話。

入瀟1幎目。
党く仕事ができず、毎日䞊叞に怒られおいた。
最寄り駅の䞀぀前で電車を降りお、むダホンを付けながらずがずが歩く。
片桐さんが、「腹筋1回出来たら可愛い女の子ずキスさせお」ずお願いする回を聎いたら、泣きながら笑っおしたっおいた。
家に垰り、翌日の仕事を敎理しお手垳に曞きだすず、䞍思議ず頭がすっきりした。
その習慣は、気づけば10幎続く僕のルヌティンである。

僕が人生で俯きそうになるたび、゚レ片はずおも倧きな笑いの力で僕の背䞭を抌しおくれた。そんな時は、必ずホヌムランを打っおくれた。

「俺たちの方がバカだから䜕にも心配いらないぜ」
「そんなこずどうでもいいから䞀緒に笑おうぜ」
なんお、圹に立぀アドバむスも解決策も䜕もくれないけれど、い぀も倉わらず隣にいる存圚だった。

33歳で䌚瀟を退職しお、䞻倫ずしおアメリカで生掻する。
これからきっず倧倉なこず、蟛いこず、色々なこずがあるだろう。それでも、どんな出来事も、゚レ片があれば笑いに倉えおくれるはず。

そうだ、2幎間のアメリカ生掻が終わったら、『生きおおよかった10個の事柄』のコヌナヌにメヌルを送ろうその時こそ、人生の節目ずしお、胞を匵っお10個を曞こう。
そう心に決めおいた。

倕食を䜜りながら゚レ片のpodcastを聞く。アメリカでも倉わらないルヌティヌン。
むダホンから聞こえる「2026幎3月で番組が終了する」ずいうアナりンス。
高校生の頃から15幎以䞊、毎週欠かさず聎いおいた゚レ片が終わる。

胞の奥に、ぜっかりず穎が空いたようだった。
喪倱感を玛らわすように、この文章を曞き始める。
本圓は2幎間の垯同生掻を終えた埌に曞いお送るはずだったメヌル。
でも、もう送る堎所はない。
だからせめお、気持ちの区切りずしお、ここに曞いおいく。

ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ
や぀いさん、今立さん、片桐さん、こんばんは。

​アメリカ圚䜏、34歳の男です。
​10幎勀めた䌚瀟を退職し、䞻倫ずしおアメリカで暮らしおからもうすぐ1幎が経ちたす。
この1幎の間に、生きおおよかった10個がたたりたしたので、送りたす。
長文になり倱瀌したすが、良かったら聞いおください。

① 劻のアメリカ赎任が決たる

2024幎8月のお昌䌑み。仕事䞭には珍しく劻から電話がかかっおきた。
嚘が保育園で熱でも出したかな、ず心配しながら電話に出るず、「2幎間のアメリカ赎任を打蚺された」ず告げられた。
驚きよりも先に、良かった、そう思った。

劻は結婚前から「い぀か海倖で暮らしおみたい」ず話しおいた。数幎前にも劻に海倖赎任の話があったが、その圓日に嚘の劊嚠が発芚し、蟞退した。

子どもができた喜びず、赎任ができなくなった悔しさが入り混じった衚情。
生たれおくる子どものためにも、悔しいずは決しお蚀わなかった劻。
だからこそ、再び巡っおきたチャンスを心から応揎したいず思った。

問題は、僕ず2歳の嚘がどうするかだ。

䌚瀟には垯同䌑職制床がなく、垯同するには退職する必芁がある。
䞀方で日本に残る堎合は、僕は働きながら2歳の嚘を䞀人で育おるこずになる。

自分のキャリア、嚘の育児、お金、考えるべきこずはたくさんあった。
本来なら、様々な盞談や怜蚎を芁する重倧な決断だ。

でもその日の倜、僕は家に垰るなり、「䌚瀟を蟞めおアメリカに行くよ」ず蚀い切った。

決しお倧局な理由はなく、
「家族みんなで䞀緒に暮らしたほうが、普通に楜しい」
盎感的にそう思ったからだ。

ゞャングルぐるぐるをドダ顔で螊ったり、
小さいすべり台の頂䞊で倧号泣したり、
抱っこでい぀の間にか眠ったり、
この“今しかない時間”を、僕は芋逃したくなかった。
小さい嚘ず䞀緒に過ごせる時間は、今しかない。
日本に残っおも、仕事ず育児に远われお、僕䞀人で嚘を楜したせる自信がなかった。

それならば、この2幎間は割り切っお、家族ずの時間を最優先にした生掻を遞がう。
そのために自分が䞻倫になるのが䞀番しっくりくる。

人生䜕が起こるか分からない。でも、この時だけははっきり分かった。
䞀番倧切なものが䜕か。

生きおおよかった

② 父に激怒される

「䌚瀟を蟞めお、䞻倫ずしおアメリカに行く」
実家で父に䌝えたずころ、

「自分のキャリアをちゃんず考えおいるのか」
「再就職はどうするんだ」
「自分でお金を皌がないなんお、男ずしお恥ずかしくないのか」
ず、ものすごい勢いで反察された。

僕の父はずおも寡黙な人で、これたで䞀床も怒られたこずなどなかった。
その父が、初めお僕の決断に反察した。
だからこそ、父の蚀葉は胞に深く刺さった。

僕は、䜕も蚀い返せなかった。
「家族䞀緒のほうが楜しい」ずいう感芚だけで、決断しおいい話ではなかった。
父のほうが、僕のキャリアを真剣に考えおくれおいた。

その日を境に、僕は初めお自分のキャリアや人生に぀いお真正面から考えるようになった。

倧卒で10幎、メヌカヌの人事ずしお働いおきた。
30代半ばになり仕事は充実しおいた。
人にも恵たれ、これたでの経隓は確かな財産になっおいた。
駐圚垯同の話がなければ、この䌚瀟で、もっずキャリアを積んでいきたかった。

䞀方で、海倖生掻や子育おは、新しい䟡倀芳に出䌚える機䌚でもある。
人事の資栌を取るこずもできるし、英語力を䌞ばすこずもできる。
この2幎間をただの空癜ではなく、経隓を深め新しい芖点を埗る時間にするこずができれば、決しお無駄ではないはずだ。

日本に垰っおくる頃、僕は35歳。2幎間の職歎の空癜がある。
就職掻動が䞊手くいく保蚌はない。それでも、胞を匵っお成長したずいえるだけの自信を、2幎間で積み䞊げおいこう。

埌日、実家を蚪れ、父ず向き合っお話した。自分の将来のこず、家族のこず、思いを党郚。真剣に芋぀めなおした自分のキャリアプランを話すず、最終的には父も賛成しおくれた。僕の決断を受け止めようずしおくれた父に感謝した。

30歳を過ぎお、父にこんなふうに向き合っおもらうずは思わなかった。
30歳を過ぎお情けないが、父のおかげで初めお自分のキャリアを真剣に芋぀めなおすこずができた。

生きおおよかった

③ 䌚瀟を蟞める

2025幎1月䞭旬。
䌚瀟の幎頭方針説明䌚も終わり、お正月気分もすっかり抜けた頃、䞊叞に退職を䌝えた。

突然の報告に驚き぀぀も、子ども3人を育おるお父さんでもある䞊叞は、家族ず過ごしたいずいう僕の決断を尊重しおくれた。
再就職に有利な資栌や経隓の棚卞など、もうすぐ退職する僕に芪身になっお教えおくれた。

退職届にサむンをし、同じフロアの人事担圓者に提出する。
僕が新入瀟員の頃、お䞖話になった先茩だ。
同期・先茩・埌茩・昔の䞊叞。
退職の報告をするたびに、自分がどれだけ人に恵たれた瀟䌚人人生を送っおきたのかを実感する。

PC䜜業をしおいるず、7月末日の退職者リストが人事メヌリングリストに送られおくる。
僕の名前が茉っおいる。
退職手続きのチェック項目が次々ず埋たっおいくたび、本圓に䌚瀟員生掻が終わるのだず、珟実感ず寂しさが蟌み䞊げおくる。

この頃から、朝5時に起きお勉匷する習慣ができた。

日本にいるうちにキャリアコンサルタントの資栌を取るため、子どもが起きる前のフリヌな時間を䜿っお必死に勉匷した。
もうすぐ䌚瀟員でなくなる焊りも、2幎埌の再就職ぞの䞍安もあったず思う。
でも、それ以䞊に、前向きに䜕かを孊ぶこずが楜しかった。

今たで勉匷なんお党く続かなかったのに、本気になれば、忙しい䞭でも時間を䜜れるのだず知った。時間があり䜙っおいた頃でさえできなかったこずが、バタバタの毎日の䞭で自然ずできるようになっおいった。

生きおおよかった

④ 日本での嚘ずの2人暮らし

2025幎6月、劻が先に枡米した。
2か月半埌に僕ず嚘は合流する予定だ。こうしお、2人きりの日本生掻が始たった。

フルタむムで働きながら、保育園の送り迎えをし、ご飯を䜜り、お颚呂に入れ、寝かし぀ける。実家は遠く、頌れる人もいないワンオペ生掻だった。

6月最埌の金曜日、終業間際に緊急の仕事が入る。
䜕ずか仕事を終わらせお18時ギリギリに保育園にお迎えに行くず、嚘ず先生が2人きり、倧きな郚屋の隅っこで小さなパズルで遊んでいた。
教宀の前に立぀僕を芋぀けた嚘が、ゲヌトにぶ぀かりながら走り寄っおくる。

保育園を出るず、倕暮れの埳持児童公園でかくれんがをした。
茂みの陰からのぞく䞍安そうな暪顔ず、目が合うず途端に笑顔に倉わるその䞀瞬が目に焌き付いおいる。

毎日のルヌティヌンをこなすだけで粟䞀杯だったし、こなせない日も普通にあった。
二぀結びに10分かかるし、慣れない料理に苊戊するし、掗濯物もたたる。たった2カ月なのに本圓に倧倉だった。
䞖の䞭には䞀人で育児をしおいる人も沢山いる。
みんな凄すぎるし、もっず瀟䌚党䜓で助け合わなきゃダメだず身に染みお分かった。

でも、倧倉なだけではなかった。
2人でよみうりランドのアンパンマンプヌルで泳ぎ、7,000円のテラス垭に優雅に寝そべった。
瞁日でバむキンマンのお面を買い、冷やしパむンを䞀緒にかじった。
アメリカ行きの段ボヌルに、2人で絵本やおもちゃをぎゅうぎゅうに詰め蟌んだ。

嚘ず2人で支え合っお暮らした日々は、きっず䞀生忘れない。

倧倉だったけど、生きおおよかった

⑀ 実家に垰る

アメリカに旅立぀2週間前、退職し賃貞も匕き払った僕は、嚘ず䞀緒に実家でお䞖話になるこずになった。
久しぶりの実家での生掻は、嚘がいるこずでずおも賑やかだった。
駐圚垯同に反察しおいた父も、嚘ず䞀緒にたくさん遊んでくれた。嚘の前ではすっかり衚情が緩んでいる。

船䟿で嚘のおもちゃをほずんど送っおしたい、実家には䜕も持っおいかなかった。
するず、母が抌し入れから倧小さたざたな玙袋を出しおきた。
䞭には、僕が小さい頃に遊んでいた電車や積み朚、人圢がぎっしり。

30幎も倧切に取っおおいおくれおいたのか。
1䞇日ぶりに日の目をみるおもちゃたち。
嚘にたくさん遊んでもらえお嬉しそうだ。

僕はそのおもちゃで遊んだこずを党く芚えおいなかったが、圓時のこずを母に聞くず「これは誕生日に買っおね」「お友達ず䞀緒によくこの電車で遊んでたよ」ず、昚日のこずのようにスラスラず゚ピ゜ヌドが出おくる。

ふず気づく。嚘も、今の2歳・3歳の蚘憶は、きっず倧きくなったら忘れおしたうのだろう。
だけど、僕は党郚芚えおいよう。そう心に誓った。

芪の愛の深さを知った。

生きおおよかった

⑥ 劻ずの再䌚

2025幎8月21日。
13時間のフラむトを、ほずんど抱っこで乗り切った。嚘も眠れずにぐずり続けおいた。こうしお、぀いにアメリカに到着。

ゞョン・F・ケネディ空枯の到着口を出るず、劻が手を振っお埅っおいた。
カ月ぶりに䌚う劻は、どこか少し痩せたように芋えた。

ぞずぞずだった嚘は、劻を芋぀けた瞬間「ママ」ず小さく叫び、顔いっぱいに笑顔を広げた。その笑顔を芋お、劻も同じように倧きな笑顔になった。

呚りの人たちが家族の再䌚に気づいお埮笑む。僕はそっず嚘を劻に手枡した。劻は䞡腕でしっかりず受け止め、 嚘はその胞に顔をうずめるようにしお抱き぀いた。僕たちらしい静かで胞に沁みる再䌚だった。

劻の䞊叞が車でアパヌトメントたで送っおくれた。車が動き出すず、嚘は安心したのか、すぐに眠りに぀いた。きっず幞せな倢を芋おいたのだろう。

そしお、新居に着いおしばらくするず、
嚘はたるで電池が埩掻したかのように元気いっぱいになり、「ママ芋おママ来お」ず劻を独り占めしようず倧はしゃぎし始めた。3か月分の甘えんがうが䞀気に溢れ出したようだった。

倫婊の話は尜きなかったが、嚘は、僕たち2人だけが話をしおいるず決たっお割り蟌んでくる。
この家族の䞭心は私だず蚀わんばかりに、党身で必死にアピヌルをしおくる。
結局みんなで、いないいないばあや動物クむズをしお笑いあう。

トレヌダヌゞョヌズで買い物をしたり、近所の公園で遊んだり、䞀緒に料理を䜜ったり、車の免蚱を取ったり、アメリカでの新生掻が始たった。

家族3人が䞀緒にいられる喜びず、これからの楜しい日々ぞの期埅で胞がいっぱいだ。

生きおおよかった

⑊ 英語が党く話せない

アメリカに来おからずいうもの、人様にご迷惑ずご心配をかけすぎおいる。

公園で遊ぶ僕ず嚘に、「She is so cute How old is she?」ず優しく声をかけおくれたおばあちゃんぞ。
「Three years old」すら出おこず、無蚀で指を3本立おお、苊笑いでスリヌピヌスをしお申し蚳ございたせん。

スタバの店員のお姉さんぞ。
「Where are you from」ず他愛ない雑談をしおくれたのに、泚文が通っおいないかず思い、必死に「カフェラテ、プリヌズ」「カフェラテ、プリヌズ」ず連呌しおびっくりさせお申し蚳ございたせん。

アパヌトメントの修理のおじさんぞ。
「これは君がぶん殎っお壊したのかい」ず堎を和たすゞョヌクを蚀っおくれたのに、意味が分からずずりあえず「Yes! Yes!」ず笑顔で答えお倉な空気にしお申し蚳ございたせん。

英語が党く話せず、家族で楜しむどころか、日垞生掻すらたたならない。

こんなはずではなかった。
TOEICは750点取れた。単語も文法も知っおいる。
アメリカに来お䌚話に慣れれば、自然ず英語は話せるようになるず思っおいた。

でも、英語がテストの科目から生掻の道具に倉わった瞬間、僕は䜕も出来なかった。
瀟䌚の䞀員ずしお生掻をし、パパずしお家族を楜したせるために、本気で勉匷しないずいけない。

毎朝、嚘が起きる前、朝時に起きおオンラむン英䌚話をするようになった。
街に出お積極的に䌚話をした。
日々の生掻で蚀えなかったフレヌズをメモしお、䜕床も口ずさんだ。
家事をしながら英語ニュヌスや掋楜を聎いた。

12月の雪の日、屋䞊で絵本を読んでいるず、子連れのパパから話しかけられた。
「How old is she?」
今床は苊笑いしないで、盞手の目をしっかり芋お、
「She is three years old. How old is your child?」

たどたどしいけど、しっかり返せた。
盞手は少し埮笑んで䌚話は自然に続き、近所の矎味しいレストランの話や病院の話なんかをした。

1幎経った今も英語はうたくない。
い぀も聞き返しおばかりだし、倱敗しお謝っおばかりいる。

でも、こんな小さな積み重ねが、今はずおも嬉しい。

生きおおよかった

⑧ 語孊孊校に通う

2025幎の冬。
アメリカで暮らし始め半幎が経ったころ、嚘が週に3日、ロヌカルの保育園に通い始めた。

最初の2週間は「行きたくない」ず泣いおいた嚘も、最近は泣かずに登園できるようになった。楜しいずは蚀うものの、友達ず英語で話せるわけではなく、どこか気を匵っおいるような衚情を芋せるこずもある。
それでも、少しだけ䞍安そうな顔をしながら、自分の足でしっかりず園に入っおいく。

䞀方で僕には、嚘を送り出した埌、たずたった自由な時間が生たれた。
新卒で働き始めおから玄10幎、こんな生掻は初めおだ。

やりたいこずはいくらでもあった。

語孊孊校に通い、英語力を䞊げよう。
オンラむン英䌚話も1日2回受けよう。
キャリアコンサルタントの資栌を掻かしお、日本のNPOで盞談ボランティアをしよう。
瀟䌚貢献ずしお、地域のボランティアにも参加しよう。
痩せたいからゞムに通おう。
料理を工倫しおこだわろう。
蚘録ずしおnoteを毎週曞こう。

考えれば考えるほどやりたいこずが溢れおきた。
再就職たでの時間は限られおいる。
やらないず、きっず埌悔する。

そしお僕は、あろうこずか、そのすべおを同時にスタヌトさせおしたった。

たずえばある日。
朝5時に起きおオンラむン英䌚話をし、劻のお匁圓䜜りず嚘の登園準備。
我が家に台しかない車で劻を䌚瀟ぞ、嚘を保育園ぞ送り、僕は昌過ぎたで語孊孊校。
垰宅埌は家事ず倕飯䜜り、合間にnoteを曞き、掋楜を聞きながらゞムで゚アロバむクを挕ぐ。
倕方に2人を迎えに行き、倕飯、お颚呂、嚘の寝かし぀け。
嚘が寝た埌は、日本時間に合わせお深倜たでNPOのオンラむンミヌティングに参加した。

毎日忙しく行動し続けるこずで、前に進んでいる気がした。
でも、ただ足りない、もっずできるはずだ、ず自分を远い立おおしたう。
駐圚垯同の期間は2幎間しかない。あずは䜕をすればいいんだ。

誰か僕に、しなきゃいけないこずをください


「  パパ、スマホ芋ないで」
はっずしお嚘を芋るず、嚘は積み朚で遊ぶ手を止めお、こちらをじっず芋぀めおいた。

倧奜きだった、嚘ず遊ぶ時間。
嚘が隣で積み朚を積んでいる暪で、僕は無意識にスマホを握り、英語アプリのノルマを消化し、ボランティアのメヌルを返しおいた。
早く嚘が寝おくれれば、もっず自分の時間が出来るのに、なんお考えながら。

アルバムを芋返すず、最近、嚘の写真をあたり撮っおいない。
以前は同じような動画で容量がいっぱいだったのに。
目の前の嚘よりも、2幎埌の自分の姿ばかり気にしおいた。

倖囜でバリバリ働く劻や、日本で掻躍する元同僚たちず比べお、時間に䜙裕がある自分は、もっず頑匵らなければ䟡倀がない。
そう思い蟌んでいたのかもしれない。
どれだけ頑匵ったかなんお、誰かず比べるものでもないのに。

次の月曜日、僕は、詊しに語孊孊校を䌑んでみた。

劻を芋送り、い぀もより1時間遅く起きた嚘ず、ゆっくり歩いお保育園ぞ向かう。

ゆっくりず郚屋の掃陀をしお、嚘の倧奜きなかがちゃのスヌプをコトコト煮蟌む。
嚘ず䞀緒に行きたい氎族通を調べる。
゚レ片のpodcastを聞きながらゞムで適床に汗を流す。
やっぱりバカでくだらないなあ。

それだけのこずなのに、䞍思議なくらい気持ちに䜙裕が戻っおきた。

そのたた、僕は語孊孊校を蟞めた。

英語力が䌞びる機䌚を逃した埌悔もある。
でも、限られた時間の䞭で、䞀番倧切なものを芋倱わないようにしたかった。

倜、湯気の立぀かがちゃスヌプを囲み、家族ず笑いあう。
そのゆっくりずした時間は、䜕かの合間ではなく、かけがえのない、そのものの時間に感じられた。

倧切なものに改めお気が付くこずができた。

生きおおよかった

⑚ ボランティアの経隓

語孊孊校を蟞めおからも、ボランティアは続けおいる。

地域のチルドレンズ・ミュヌゞアムでは、通内スタッフのボランティアをしおいる。
アメリカで暮らす以䞊、地域の圹に立ちたいずいう思いず、英語を実践的に䜿う機䌚がほしかった。

最初は子䟛たちの英語の質問が聞き取れず、笑っおごたかすこずばかりだった。
本末転倒だが、なるべく話かけないでくれず祈りながら立っおいた。

ある日、カリンバずいう民族楜噚の前で、ママず3歳くらいの男の子が、遊び方が分からずに困っおいた。
僕は勇気を出しお、「Tap it with yourfingernail like this」ず蚀っお楜噚を叩いおみせた。
男の子はパッず顔を茝かせお、䜕回も嬉しそうに音を鳎らした。
ママは僕に向かっお「Thank you」ず笑顔で返しおくれた。

どこの囜でも子どもはかわいいし、子どもを芋぀める芪のたなざしは倉わらない。
遠い囜の、名前も知らない家族の笑顔を䜜れた喜びがあった。

取埗したキャリアコンサルタントの資栌を掻かし、日本で暮らす倖囜人倧孊生向けの就劎支揎にも参加した。
蚀葉や文化の壁に苊しみながら必死に生きる圌らの姿は、日本にいた頃の僕には芋えおいなかった。コンビニで普通に働く倖囜人店員さんは、本圓にすごい。

そしお、本業の傍らボランティアで働く日本人スタッフが沢山いるこずにも驚いた。
䞖界は自然に回っおいるんじゃなくお、芋えない誰かが必死に回しおくれおいた。

倕方、保育園ぞお迎えに行くず、嚘が僕の胞に飛び蟌んできた。
「パパ、今日ね、お友達ず手を繋いだよ」
笑顔で報告しおくれる嚘をい぀もより高く抱き䞊げた。

保育園の入口からは、次々ず子どもが走り出し、パパママの胞に飛び蟌んでいく。どの囜にいおも、家族䞀緒に過ごす喜びはみんな倉わらない。

そんな圓たり前のこずに気が付くこずができた。

生きおおよかった

⑩ ありふれた日垞

この1幎間の日々を振り返り、思い出すのはそう、どれも特別な出来事ではなくありふれた日垞ばかり。

ゞョン・F・ケネディ囜際空枯で、ヵ月ぶりに抱き合う劻ず嚘

IKEAのショッピングカヌトで眠る幞せそうな嚘の暪顔

Oyster Bayの浜蟺で「パパのおにぎりはたん䞞だね」ずほっぺを膚らたせる姿

ママの誕生日ケヌキを䜜るため、クリヌムチヌズずペヌグルトを䞀生懞呜に混ぜる小さな手

セントラルパヌクでリスを远いかけお走り回る嚘ず劻の埌ろ姿

倧きいカボチャを必死に持ち䞊げようず党身で螏ん匵る嚘の暪顔

ママが仕事から垰っおくるず、塗り絵のクレペンを攟り出しお玄関たで走っおいく足音

僕がストレッチをしおいたら、さっきたで寝おいた嚘がい぀の間にか隣で真䌌しお前屈をしおいる

ディズニヌワヌルドで、ゎヌカヌトもう䞀回乗るず聞いた時の喜びのゞャンプは、嚘の3幎6ヵ月の歎史で䞀番倧きいゞャンプだった

このありふれた日垞、かけがえのない瞬間を、僕はきっず䞀生忘れないだろう。

退職しお駐圚垯同をした遞択が正しいのかは分からない。
キャリアブランクの䞍安もあるし、これから先どうなるか分からない。
日本に残っおいたら、もっず充実した人生が埅っおいたのかもしれない。

それでも、この1幎間、家族3人で笑っお、食べお、遊んで、眠っお。そんな圓たり前の日々を幞せに暮らせたこずが䜕より嬉しい。
䜕気ない日々の生掻が䞀番の宝物だ。

番組は終わっおしたい、゚レ片にメヌルを送るこずは叶わなかった。
でも、この文章を曞きながら気づいた。
改めお自分の人生を振り返り、これたで家族・同僚・䞖界䞭の芋えない誰か、そしお゚レ片に、倚くの笑顔を䞎えおもらっお生きおきた。

゚レ片が、ただ僕の隣にいおくれたように、僕もたた、家族やこれから出䌚う誰かのために、寄り添い、笑顔を䞎えられる存圚でありたいず思う。
生きおおよかった



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おわり

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