
ナルシシズムについての覚書
精神分析で言うナルシシズムについて、自分なりの理解を書いておく。あくまで筆者の見解です。覚書なので、途中でもアップロードいたします。
◯人間は普通の動物より早く産まれるため、誕生の後には徹底して庇護されねばならない。卑近な言葉でいう「親の愛」であろう。この時期に庇護されると自我も健康に育つ。
◯この庇護が受けられなかった場合、自分自身で何とか生き抜くしかない(だが実際には、自分自身で何とかするという意識が持てない事が多い)。要するにこれがナルシシズム(自己愛)の正体なのだろう。
◯ナルシシズムは自分自身を守るため、誰しも持ってはいる。ナルシシズムが病的なものになるかどうかは、幼年期に庇護を受けられなかった度合い(トラウマの程度)によるのではないか。
◯トラウマの本質は「自己の喪失」だという。自我や自分を見失うことだ。自分を失っていた場合、自分に対する庇護や愛情や評価を他者に頼るしかなくなってしまう。他者の承認が無ければ生きられない、という病理だろう。失った度合いが強いほど、自分ではどうしようもなくなってしまう。
◯誕生の直後に庇護が受けられないと、二重の病理に苦しむということだ。
庇護を受けておらず自分で何とかせねばならないことと、だが自分が失われており他者に託さざるを得ないこと。さらに自己評価を他者に委ねることは自分の功績の自慢・ひけらかしになりやすく、自慢しているとの非難も周囲から受けやすい。
◯この病理から脱出するためには最終的に、自分で何とかするしかない。ナルシシズムの苦しみは原理的に、外部委託で完全解決できないのである。だがそもそも、「自分を見失っていた場合はどうしようもないのではないか」と考えたのがハインツ・コフートという精神科医らしい。病者は「自分を育てなおす」しかなく、病者の弱さを批判しても始まらないのだと。
◯「自分が好き」には2種類ある。似て非なるものどころか正反対。健康に自分が好きなのと、病的に自分が好きなのとだ。違いの本質はやはり、自分の主体性(自我)の強さだろう。日本における著名な精神科医の精神科医の中井久夫は「主動(「主導」ではない)」と記している。自我の強さは健康につながる。
◯自我は本来、成長とともに強くなる。青年期に自我の強さが十分でないと大人になれないが、これは幼年期に庇護されたことを前提とする。言い換えると幼年期に適切な庇護を受けることは、実は大人として自立することの前提条件なのだ。
◯幼年期に受けるべき「庇護」とは平たく言えば愛情であるが、これは親による「甘やかし」ではない。子供の甘えを認めるのが愛情であるが、これは子供を甘やかすことではない。「甘やかすと、子供は甘えられなくなる」(土居健郎『甘えの構造』より)という逆説がある。「物質的に豊かなほど、子育ては難しくなる」(河合隼雄)という言葉も同様の逆説。つまり家庭が物質的に豊かであれば親は子供に、愛情の代わりに物質を与えてがちなのである。
◯実は大人とは、「ナルシシズムがだいたい満たされた心理状態」を指すのではないだろうか。その時点で、次の世代を育てる心理的余裕が生まれるということかもしれない。
◯幼年期に庇護を受けられなかった場合、究極的には「自分が自分の親になる」必要が生じる。精神分析家のエリクソンはそういう境遇だったらしい。自分で自分を育てなおすということなのだろう。
◯土居健郎『甘えの構造』によると、日本は社会に「甘え」が存在する文化である。英語圏には「甘える」という語彙は無い(depend 「依存する」はあるが、日常語ではない)とのこと。
◯土居によれば、日本では大人になってからも社会で「甘え」を満たしてよいとされている。逆に考えればこれは、前述の「幼年期に受けるべき庇護」が等しく足りていないことの裏返しではないか? 日本人がポジティブな母性を求めがちというのは、ネガティブな母性を根底に抱えているからではないか?
◯日本神話でネガティブな母性を描写したものといえば、死後のイザナミであろうか。死後の彼女は恐ろしく、迎えに行った夫のイザナギも逃亡する。イザナミが逃げた夫を許す描写は見られず、つまり未だに許していない可能性がある。
◯死後のイザナミのような日本のネガティブな母性に物質的基盤を求めるとしたら、自然環境かもしれない。地震の多さが代表的だろうか。地震は火山のマグマと関係するが、イザナミはそれこそ火の神(カグツチ)を産んで亡くなっている。これらのことには、何か象徴的な繋がりがあるであろう。
◯ネガティブな母性に脅かされている
→補償としてのポジティブな母性を求めるが、(前述のごとく)自分ではいかんともし難いので「外部委託」する
→得られなかった幼年期の庇護にあたる分を、社会の中で満たす
→互いの依存を良しとする「甘え」の文化となる
◯こう考えると、幼年期に庇護が受けられず「外部委託」するという心理は日本人が無意識に広く行っている方法だと言える。これは多かれ少なかれ、人間に普遍的な心理なのだろう。「承認欲求」自体は誰でも持っているものだが、自分で自分を承認するに至らない場合に問題となる。そもそも本人だけでは、なかなか解決できない問題だからだ。前述のコフートはこのような患者に対し、「自我の育て直し」が必要だと考えたようである。
◯日本の漫画作品でも、肯定的な母性の希求をテーマとする作品は多い。「銀河鉄道999」や「ブラック・ジャック」などは代表的だが、母性賛美は「ドラえもん」でも行われている。アンパンマンのアンパンは、まさに「甘さ」の象徴ではないだろうか。「新世紀エヴァンゲリオン」も同様に、ポジティブな母性を求める話だと思われる。「ジョジョの奇妙な冒険」(第三部)のDIO討伐は、実はネガティブな母性を退治する話ではないだろうか。または、自我がDIOが象徴するナルシシズムを乗り越える話のように思われる。DIO一味の言動は、自己愛性パーソナリティ障害の人の特徴に合致しているところがあるからだ。
◯人間は元来、誰しも身勝手で無力な存在である。そしてそんな欠点を、他者に引き受けてもらわねば成長できない。だが少しずつ順調に成長すると、メタ認知も育ってくる。ここで自分の欠点をフィードバックさせて反省することさえできれば、ナルシシズムを抜けることは可能なのである。
◯自分の甘えを満たすことは本来、人間に不可欠だとしたのが土居健郎の「甘え」理論だ。許容量のある相手、依存しても大丈夫な相手にうまく甘える。そして自分の甘えを満たす。但しこれが幼いうちにうまくいかないと、大きくなってから同じ課題をこなさねばならなくなる。
◯特撮ドラマ「ウルトラマン」では、人間は問題解決(怪獣退治)に為すすべなくウルトラマンに依存している。だが最終回は人間が、「これからは自分たちでやって行こう」と言う。いわば絶対的な依存がうまくいったために、自立できたのだ。また浄土教で「他力」が強調されるのも、人間の成長には「自分の自我を超えた働き」が肝要であるという考え方だと思われる。ただしその自我を超えた働きには外界のみならず、自分の無意識も含まれるのであろう。
◯ユング派分析家のフォン=フランツは著書『永遠の少年』で大人になれない男性の心理を分析している。そしてそういう人の治療に効果的な方法として、労働を挙げている。
◯ユング派分析家の織田尚生によれば、永遠の少年の臨床像は自己愛パーソナリティ障害だとのことである。
◯フォン=フランツの勧める労働がナルシシズム克服に有効な理由は、(外的な)現実に根ざした生き方ができるようになり得るからだろう。労働の対価として得た賃金は数値で表され、ある程度客観的な指標になる。それは、「それ以上でもそれ以下でもない」のであり、また誰かのために責任を引き受けた証でもあるからだ(ただもちろん、働こうと思えば働ける環境にいることが前提だろう)。たとえ労働やお金が全てではなくとも、そうした考え方が精神の健康に資するところは少しあると言える。
◯複雑性PTSD患者が自己愛パーソナリティ障害になる例は多いらしい。やはりトラウマにより、自己の喪失を起こしたケースではないだろうか。
<一旦ここまで>