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Photo bykomekoarts

夫のメガネが飛ぶ

    夫は、昔からメガネを飛ばす。

    意図的にではない。結果として、飛ぶ。

    それを最初に目撃したのは、まだ結婚する何年か前、山中湖だった。

    同僚2人と、私と夫の4人で旅行に行った。
    昼は湖で遊び、夜はコテージでBBQと花火。
    男女2人ずつだったから、男部屋と女部屋に分かれて、隣同士のコテージを借りた。

    このとき、私たちはまだ周囲に言っていなかったけれど、実は付き合っていた。
    今思えば、たぶんバレていた。でも、あえて何も言わずにいてくれたのだと思う。

    30を過ぎてからのこういう旅行は、妙に楽しい。
    しかも夫は12歳年下で、当時は20代。
    「30過ぎの先輩2人」と「20代の後輩2人」という、今思うとよく成立していたなと思うメンバーだった。

    もう一人の彼には、今でも本気で感謝している。
    彼が来てくれなかったら、あの妙に青春っぽい一日はなかった。

    天気はあまり良くなかった。
    小雨が降ったり止んだりしていたけれど、「せっかく来たのに」と言いながら、私たちは普通に遊んだ。

    大きな浮き輪にしがみついてジェットスキーに振り回されたり、白鳥ボートで競争したり。
    白鳥はじゃんけんでペアを決めた。
    夫と組めたとき、内心ほっとしたのを覚えている。

    そして、事件はバナナボートで起きた。

    スタッフの人が、少し笑いながら言った。
    「けっこう振り回しますよ」

    その時点で、嫌な予感はしていた。

    夫はメガネをかけていた。
    だから私たちは全力で止めた。

    「外したほうがいい」
    「絶対飛ぶ」
    「まじで外せ」
    「飛んだら今日このあとどうするの」

    3人がかりだった。

    それでも夫は、
    「大丈夫ですよ〜」
    と、なぜか自信満々でバナナボートにまたがった。

    結果は、まあ、予想通りである。

    振り回されて、叫んで、しがみついて、
    湖の水を飲みながら大騒ぎしていた最中、

    「あー!!」

    この日一番の声をあげたのが、夫だった。

    振り返ると、顔にメガネがなかった。

    こうして今も、山中湖のどこかには、夫のメガネが沈んでいる。

    それから10年以上経った。

    夫は今、メダリストにハマっている。
    フィギュアスケートのジャンプや技を、素人にも分かるように解説してくれる漫画だ。

    トウループ、サルコウ、ループ、フリップ、ルッツ、アクセル。

    夫はそれを、なぜか家で再現し始めた。

    ある日、リビングで「あっ」という声と、金属が落ちる音がした。

    振り向くと、夫が胸の前で腕をクロスして立っていた。

    「え?」

    「ジャンプしたら、メガネ飛んだ」

    意味が分からない。

    どうやら、床の上でトリプルアクセルの練習をしていたらしい。

    メガネを拾って渡すと、夫は楽しそうに言った。

    「ねぇ、見てて!2回転はいけてる気がする!」

    スケート経験はほぼゼロ。
    リンクに行ったときも、まっすぐ進むのがやっとだった人である。

    陸でジャンプができるわけがない。

    ……と思った。


    でも、できていた。


    思わず「ほんまや」と言いかけた。

    「もう一回やっていい?」




    その瞬間、口から出た言葉は一つだった。

    「メガネ外しなさい!!!!!」


    あの山中湖から、10年以上経っている。

    まさか同じことを、もう一度言うとは思わなかった。

    夫は今日も、4回転を目指して、陸で飛んでいる。

    そしてきっと、そのうちまた飛ばす。
    メガネを。

     
     
    里山で稲作したり、発達支援の相談窓口「子もサポ」を運営したり。 モノカキングダム2025王者/算数障害当事者 ヘッダーのコピーは本田すのうさん ※Amazonアソシエイトに参加しています

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