メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bymado_no_kotoba

祈りながら生きる

    母になって7年目になる。子供が亡くなるニュースは毎年流れてきて、特に自分が生んだ子と同い年の子が亡くなる情報は気持ちをとことん沈めてくれる。想像を絶する苦しみに思いを馳せ、もし自分の子供が亡くなったらと怯えるのだ。同様のニュースについて、子供が生まれる前は可哀想だとは思うものの、親の気持ちまでは気が回らなかった。親になって当事者となり、はじめて子供を失う恐怖というものを実感できるようになった。

    今年の報道は子供と無理心中した母親の事件が目立って見える。子供を道連れにする親の心理は理解できない。子供を誰かに預けるような配慮ができるならば、そもそも無理心中なんてしない。親の気持ちよりも、親に殺された子供は無念だったろうと思う。心中に成功して一緒に死んだ親、死にきれず司法に保護された親もかつては子供だった。親の役割に耐え切れなかったのだろうかと考えるも、救いはどこにもない。

    ずっと離れた遠い世界の悲劇に心を痛めることに、一体何の意味があるのか。自分には関係のない世界線の出来事にいちいち傷ついて疲れている。実際に起きた事件をエンタメとして消費しているわけでもなかろうに、情報の海に溺れいている。

    我が子の安全については、できることを尽くしてあとは祈るしかないと思った。どんなに手を尽くしても、日常に落とし穴は存在していて、死ぬときは死んでしまうのだ。ただ運が良くて今日も生存しているだけにすぎない。

    もしたった一人の我が子を失ったら、私はもう一度妊娠・出産を試みるだろうか。まだ生殖可能な年齢の場合、私は子供をまた求めるのだろうか。それに対する答えはノーで、私はもう二度と子供は生まないだろう。例え二人目を生んだとしても、一人目とは別人である。私は今の一人だけを永遠に愛していたいと思ったのだ。もう、私に子供を新たに生む気力はない。

    我が子だけではない。私もいつ死ぬかわからない。せめて我が子が独り立ちするまでは健康を維持し生きていたいと願う。

    不幸な事件を目にするたび、自分の生活が脅かされる恐怖に身がすくむ。

    他人事は他人事して割り切りながらも、一日一日を善く生きるように、今日も祈りながら生きていくのだ。

     
     
    1988年生まれ、群馬県出身の文芸作家。noteでは毎週日曜日20時更新のエッセイ、コラム記事のマガジン『週刊ノワキ』を配信します。たまに書評も書きます。小説はマガジン、talesをご参照ください。

    あなたへのおすすめ