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長尾為景と上杉謙信 ⑮弥右衛門、京へ

    #創作大賞2026 #オールカテゴリ部門

    弥右衛門、京へ

    弥右衛門一行が京に辿り着くまでひと月ほどかかった。特別急ぐ旅ではなかったこともあるが、何より厳冬期の北陸地方の寒さと風雪は並大抵のものではない。弥右衛門たちは当然知る由もないが、この頃の気候は小氷期に当たる。年間平均気温は現在より1~2度ほど低い。ナイロンやダウンなどの防風・防水・保温性能の優れた装備のない中での1度は考えている以上に影響が大きい。
    府中を出てすぐ、糸魚川で暴風雪に遭い、数日無為に過ごしたこともあった。糸魚川の先は有名な親不知子不知の難所である。海岸線に平地が無くなり山塊が海際まで迫り出しており、そこに刻み付けられた道は日本海から叩きつけられる北風を遮るものもなく、強風に煽られて海に落ちればまず助からない。急ぐ旅ではないとはいえ、そう何日も無駄にはできない一行は迂回も検討したが、海路もしくは飛騨山脈を越えるしかなく、いずれ劣らぬ危険度である。結局風雪の穏やかな日を待って一気に超えるのが最も安全な策と言えた。
    弥右衛門は地形や領主の評判など、道中で見聞きしたものを可能な限り書き残した。供の中には魁庵以外にも数名の軒猿が含まれており、彼らは彼らでそれとなく情報の収集と記録をしているようだった。それにしても「百姓の持ちたる国」と言われた加賀だけでなく越中にも一向宗の支配力が及んでいるのは少なからぬ驚きを受けた。越中守護は三管領の一家である畠山氏である。その分国で門徒宗が公然と関銭を取り立てたりしているのである。特に信心深いわけでもない弥右衛門でさえ、欲に塗れたその姿には辟易としたものだ。
    厚い雪雲が一層荒寥とした雰囲気を掻き立てる越中、加賀を抜け若狭に入ると雰囲気は明るくなり、京が近いことを感じさせた。特に敦賀の殷賑ぶりは凄まじいもので、北は蝦夷地、南は薩摩から名品・珍品が夥しく荷揚げされていた。明国からの陶磁器や織物、銭、仏教経典なども多く、外国など見たこともない弥右衛門にさえ、異国の空気を感じさせた。
    敦賀からは疋田、駄口を経て近江海津に抜ける、所謂「七里半越え」となる。室町幕府の効用ルートでもあり、京に向かう荷駄は非常に多い。こうなると夜盗や追剥の標的は旅人から商人に移るため、弥右衛門たちは安心して歩を進めることができた。実際、越後府中から敦賀までの間に二度、山賊に襲われていた。当然魁庵を始め供の軒猿達が叩き伏せているが、人通りの多い街道でそんな真似をすれば目立つことこの上ない。
    弥右衛門が魁庵の真の姿を見たのもこの時だった。柞という非常に重く堅い材を用いた八角の杖に鉄条を鋲打ちにした得物を小枝の如く振り回し、腹当て程度であれば片手の一振りで打ち拉ぐことができた。恐ろしいまでの膂力はその魁偉な容貌からもある程度想像はつく。真に驚くべきはその身の軽さである。脛を薙ぎ払いに来た山賊の薙刀を跳躍して躱し、あろうことかそのまま敵の頭上で宙返りの要領で体を回転させ、頭上から杖の一撃を加えたものである。あの巨体での軽業も然ることながら、空中で威力を減衰させることなく重い得物を振るのは至難の業である。魁庵の一撃を受けたものは、あるいは熟した柿の如く頭部を潰され、あるいは鼻と口から夥しい血液を噴き出し、無残な最期を遂げた。滅多に感情を表に出さない魁庵だが、戦闘の最中は不気味な笑みを絶やさない。それは不敵な笑みではなく、心底楽しそうな笑みであった。ところが敵を追い散らし、宿に入るころには沈鬱極まりない表情で壁に向いて坐り、一心に経を上げたり仏像を彫ったりしているのだ。闘いが好きなのか厭いなのかは分からぬが、闘っているときの魁庵には普段には無い輝きがあることは間違いない。

    弥右衛門たちは坂本で最後の宿を取った。ここまで来れば二刻もあれば京に入ることができるが、その前に旅の垢を落とし、武士の姿に戻ることにしたのだ。
    坂本は比叡山延暦寺や日吉大社の門前町であり、京へ物資を運ぶ琵琶湖水運の集積地でもあった。敦賀のような賑わいを想像していた弥右衛門だったが、坂本に入ってすぐに異変を感じた。
    一言でいえば退廃的なのである。船乗りと商人の多い敦賀も、荒々しく、時に利己的な人間も無いではなかった。しかしそれは磊落と言うべきもので、ある種の潔さを伴っていた。商習慣の中で人倫にもとるような振る舞いがあれば激しい制裁が待っているのも然ることながら、彼らは生業とそこに立脚した「生」にゆるぎない誇りを持っていた。
    一方でこの坂本の町はそのような潔さは微塵も感じられなかった。町の指導者層は全て延暦寺・日吉大社(当時は神仏習合の時代であり両者は不可分のものだった。)に神人として供奉し、代わりに各種税の免除や商売上の特権を認められていた。彼らはそれを笠に横暴を極め、暴利を貪っていた。延暦寺の僧は里坊などと称し公然と妻帯し、所帯を持たない僧は誰憚ることなく遊女を買い淫蕩に耽った。
    魁庵は坂本に着いてから不機嫌を極めている。弥右衛門には何となくその理由がわかる気がした。同じ僧として紊乱を極める比叡山の僧達に憤っているのだ。必要であれば殺生を厭わない魁庵ではあるが、決して破戒僧というわけではない。それは戦闘行為のあと、自分が殺してしまった者への弔い方を見ても分かる。まめまめしく弥右衛門の世話を焼き、素朴だが丁寧に料理を作る魁庵も、無慈悲に敵を粉砕することに愉悦を覚える魁庵も、どちらも本当の魁庵なのだ。こうなりたいと思う姿が前者で、理性を離れたいわば本能的な姿が後者なのであろう。魁庵はどちらも偽りのない二つの心に挟まれて苦しんでいるのだ。
    「お座主様はなんと思われておるのだ。」
    珍しく魁庵が自分から口を開いた。
    時の天台座主は百六十一世尭胤法親王である。皇族である法親王が王城鎮護の比叡山延暦寺の座主を務めているにも関わらず、僧や寺院関係者の退廃ぶりは目に余るものがある。
    何を隠そう、阿漕な真似をしてでも金を稼ぐ姿勢は他ならぬ尭胤法親王によるものであった。比叡山延暦寺は十年前、明応八年の政変で細川政元によって焼き討ちされていた。尭胤法親王は根本中道を含め多くの伽藍を失った延暦寺の復興に心血を注いでいた。そのためには何にも増して金が必要だった。
    比叡山の焼き討ちと言えば後年の織田信長によるものがつとに有名であるが、比叡山は都合三度焼き討ちに遭っている。初めて焼かれたのは永享七(1435)年の事だった。正確に言えばこの時は延暦寺自体は焼かれなかったが、坂本の町が焼き払われた。坂本の町は比叡山延暦寺における俗世間との窓口ともいえるもので、その機能を失った延暦寺は著しく勢力を減退させた。漸く回復してきた所に今回の焼き討ちである。なりふりになど構っていられないのが実態であった。
    もっとも信長によるものも含め、比叡山が焼かれたのは自業自得ともいえた。高野山金剛峰寺が物理的にも政治的にも比較的俗世間との距離を置いたのに対し、この時代の比叡山延暦寺は強大な軍事力を有する俗世間の一大勢力に他ならなかった。宗教勢力が過度に俗世間での力を有すると悲劇を生むのは後年の石山本願寺も証する歴史の必然と言える。
    どうやら山から下りてくる僧達はほとんど例外なく破戒僧のようで、遊女たちやいかがわしげな宿の客引きを振り払って歩く弥右衛門一行はそれだけでよそ者とわかってしまうようだ。そうなると今度は土産物や食い物などの物売りが付きまとってくる。どれも法外な値段で、払った代金のいくらかがあの僧侶達の食い扶持になるのだと思うと、たとえ必要なものであったとしても買う気にはなれなかった。
    弥右衛門一行はここまでの旅で何度も野宿を経験していた。山を根城にしていた軒猿の知恵は流石という他なく、獣や毒虫を防ぐ業、極寒の中でも凍えずに眠る方法、石や岩の多い所でも体が痛くならぬ寝具など、弥右衛門にとって初めて見るものばかりであった。
    「宿は諦め、河原にでも寝床を作りましょうかな。水さえあれば身綺麗にすることはできますぞ。」
    うんざりした顔つきで弥右衛門に問いかける魁庵に、弥右衛門は首を振って見せた。
    「儂やお主らはそれでよかろうが、殿からつけていただいた者達もおる。都に入る前くらいは心ばかりでも労ってやりたい。」
    「この様子で清げな宿などございましょうかな。」
    「無ければ儂らに付き合わせる必要はない。若い者はあのような宿に泊まりたい者もあろう。」
    魁庵はまじまじと弥右衛門を見つめ
    「お頭もお若いではございませぬか。」
    「儂は、ああいうのは好かぬ。」
    やや目を伏せた若い主人の首筋に、見る間に赤みを帯びてくるのを見た魁庵は表情一つ変えなかったが内心では苦笑していた。
    (なんという初心さだ。)

    同じ軒猿でも、若く見える藤次郎と異なり魁庵は逆に老けて見える。五十手前くらいに見えるのだが文明八(1476)年生まれの三十五歳なのだ。弥右衛門より一回りも年上の魁庵でも鬱勃とした衝動の突き上げを抑えきれぬことがある。
    魁庵は女の肌身を知らない。軒猿のような集団にあってこれは非常に珍しく、大概は精通があるとすぐに女を抱く機会があてがわれるものだ。女を知らぬ男は、任務中に女で失敗をすることが多い。そうならぬためにも体が大人になるとすぐに存分に女を味わわせるのだ。性欲をなくすことはできぬが、安全な環境で性欲に溺れさせ、熟知することによって理性で背欲をある程度支配することができるようになるのだ。
    魁庵は物心ついた頃にはどこかの寺で小僧をしていた。どこの寺かも、なぜその寺にいたのかも知らぬ。覚えているのは荒れ果てた外観に釣り合わぬほど荘厳された内陣に立つ観世音菩薩像の御姿と、人買いに自分を売った和尚の背中だけだ。魁庵が生まれつき有していた怪力と敏捷性を気味悪がった和尚は僅かな金と引き換えに魁庵を軒猿(当時は天狗衆)に売ったのだ。寺の事しか知らぬ幼い魁庵であったが、連れてこられた戸隠は幸い寺には困らなかった。仏道修行と並行して軒猿の業を叩き込まれていった。
    ある時、天狗衆は仁科荘(現在の長野県大町市付近)まで勢力を伸ばしてきた盗賊一味を襲い、魁庵もこの急襲に参加していた。厩にあった水桶で、捻じり切った敵の頭目の首と、返り血に汚れた自分の手や顔を洗っていた時、ほとんど打ち壊された敵の小屋からこれまで聞いたことのない異様な声が聞こえてきた。魁庵が小屋を覗くと、何とも言えぬ生臭さが鼻を突き、天狗衆の男たちが捕えた女たちを入れ代わり立ち代わり犯しているのが見えた。女たちは全て敵の一味というわけではなく、近くの集落の娘なども混じっているようだ。猿轡を噛まされながらも激しく声を上げ、抵抗しようとするのを押さえつけられているのが盗賊の女で、ほとんど放心状態になっているのは無関係の娘であろう。男たちは下卑た笑みを浮かべながら毛むくじゃらの体を一心に動かしている。
    「小僧、丁度良い。お前も年頃じゃ。混ざれ混ざれ。」
    魁庵に気付いた男の一人が汗に光る体を揺すりたてながら近づき、魁庵の手を引いた。
    不邪淫戒。
    これまで仏道修行で何度も耳にしたが、女を知らぬ小僧には今一つどういうものかわからぬ言葉であった。まさに今、眼前に繰り広げられているのがその邪淫に他ならぬことはそんな魁庵にもわかった。
    魁庵は手首を掴んだ男の手首を握り返すと前方にとんぼ返りを切った。手首を捻り上げられる形になった男は、堪らず翻筋斗を打って倒れ込んだ。
    「小僧、何をさらすか!」
    気色ばんで立ち上がる男たちを魁庵は仁王立ちで睨み返す。
    「ふん、そんな摩羅をしくさって、女どもの前でええ格好をしたつもりか。」
    魁庵は初めて自分の陰茎がかつてないほどいきり勃っていることに気付いた。男たちは楽しんでいたところに水を差され急激に興を失っていった。
    「まあ良い、もはや飽いてきた所じゃ。」
    男の一人が言うなり逆手に抜いた小刀を女の胸に突き立てた。迸るような絶叫と共に夥しい血を吐いて女は絶命した。猿轡のせいで吐ききれなかった血が鼻孔からも溢れ出て、その死に顔は凄惨極まるものだ。
    「何をする!」
    「若造め、知った風な口を聞くな。こやつらを生かしておってはいつ寝首を掻かれるか知れたものではないわ。」
    男たちは盗賊の女たちを次々と殺め、事のついでとばかりに百姓女も手に掛けようとした。
    「よせ!」
    魁庵の身は我知らず動き、女の前に立ち塞がった。
    「殺すなら俺を殺してからにしろ!」
    男たちは暫く魁庵とにらみ合っていたが、いよいよ気が萎えたらしく
    「何という青臭さじゃ、こんな者を相手にしても始まらぬわ。小僧、ここは大目に見てやるが、儂らへの無礼はお頭に報告させてもらうぞ。」
    捨て台詞を残すと身じまいをして去っていった。
    「…南無頓生菩提。」
    盗賊女の達の亡骸はみな秘所が露わになっている。側に打ち捨てられていた筵を被せ、手を合わせた。百姓女は三人おり、比較的年長に見えた一人は男たちがいなくなるとすぐに着物を抱えて駆け去った。残る二人は魁庵と同じ年頃の娘だった。二人は着物を着ようともせず、床に転がったままただ虚ろな目を虚空に向けている。激しい凌辱によって完全に心が破壊されてしまったのだろう。殺されこそしなかったが、こんな状態で娘たちはこの先生きて行かれるのだろうか。
    小屋を出た魁庵は厩に戻り、洗い置いたままの頭目の首を拾い上げようとした。
    その時。
    「…お前だって同じじゃねえか。」
    地面に転がったまま向こうを向いている首から声が聞こえた。
    「なんだと?」
    「お前だってあの野郎どもと同じだってんだよ。女どもを慰み者にした挙句、殺したり壊したり。お前がやったことと何がちがう?」
    首はひとりでに起き上がりこちらに向き直った。目は爛々と開き、食いしばった歯の奥からくぐもった声が続く。
    「お前も俺を殺したんじゃねえか。あいつらと何が違うんだ?」
    「俺は正々堂々闘ったんだ。あいつらと一緒にするな。」
    「いいや同じだね。誰だって死にたくねえんだ。殺されるのに過程も理由も関係ねえさ。」
    「俺は…」
    「違うと、まだ言うかい?だったらお前さんの股座のそれは何だ?」
    痛いほどに怒張した魁庵のそれは滲み出るもので染みを作ってさえいた。
    「ほらな。いい恰好したところで、本当はお前だって混じりたかったのさ。だったらあいつらと何が違うんだい?」
    「…黙れ!」
    魁庵は駆け寄って首を蹴り飛ばそうとした。
    「魁庵、何をしている?」
    突然の声に振り向くと、藤次郎が立っていた。
    「どうしたのだ?」
    「いえ、この首が…。」
    視線を戻すと首は元通り向こうを向いて転がったままだ。藤次郎は言いさしたまま絶句してしまった魁庵の様子と、小屋の様子を見比べて凡その事態は呑み込んだらしい。
    「先程お頭のもとに吉蔵らが参ってな。お主が無礼を働いたと喚いておった。」
    魁庵は膝をついて頭を垂れた。
    「魁庵は無礼を働いたとしても無体なことはするまいから様子を見てこい、とお頭は仰せられた。」
    魁庵は更に深く頭を垂れた。
    「ま、この様子を見れば何となく察しは付くゆえ、深くは聞くまい。聞いたところでお主自身言葉にできぬのではないか?」
    藤次郎に心の底を見透かされているようで空恐ろしくなった魁庵は何も言えずにただ平伏した。
    「お頭には儂から上手く話しておこう。が、次は無いぞ。長幼の序は弁えよ。」
    藤次郎は闇に消えた。

    宿屋の軒先に聞こえる遊女の嬌声や酔客の濁声はそんな遠い記憶を魁庵に思い出させていた。
    あの時の自分の振る舞いが本当に不邪淫戒に根差したものなのか、今でも自信は持てないが、仏者であるということは魁庵にとって揺るぎない存在意義であった。後に天狗衆が夜盗集団に堕した際も、魁庵は略奪や凌辱には加わらなかった。
    そんな生い立ちを持っているわけでもないただの青年である弥右衛門が欲望に身を預けないのは偏におはるの存在があるからだろう。弥右衛門が出発前におはると交わしたやり取りを魁庵は知らぬが、九兵衛宅から戻った弥右衛門の顔つきが変わっているのには気付いていた。強烈な信念と自己抑制によって全てを抑え込んできた自分と比べ、相手に見えぬ所でも操を立て続ける弥右衛門が微笑ましかった。
    結局坂本の町はずれまで来て漸く老夫婦が切り盛りする宿を見つけた。全員は宿に入りきれないため、魁庵を除く軒猿衆はどこかへ散り、為景から付けられた供の者らは弥右衛門と共に宿泊することにした。宿の主人は
    「何も特別なものはございませぬが…」
    などと言っていたが、琵琶湖の鮎や鮒を使った料理はなかなかのものだった。
    翌朝、老夫婦は一行がすっかり武士の姿になっていたことに唖然としていたが、なんと宿に宿泊しきれなかった軒猿衆の分まで弁当の握り飯を拵えてくれていた。
    「訳あっての旅でな。仔細を申せぬのが心苦しいが、これまでの道程で最も満ち足りた宿であった。心ばかりだが取っておいてくれ。」
    「あれ、こんなにいただけませぬ。」
    主人の老爺は弥右衛門が渡す銭袋をなかなか受け取ろうとはしなかったが、到頭懐に押し込まれるように押し付けられた。
    軒猿衆がどこで手に入れたのか馬を引いて現れ、弥右衛門は馬上の人となる。老夫婦は笠を振り遠ざかっていく弥右衛門を、見えなくなるまで見送っていた。
    「…盗んだ馬ではあるまいな?」
    「お頭に恥をかかせるようなことはしませぬ。無論贖ったものにござる。」
    「ならば、よい。」
    一行は武士の姿となっていたが、仰々しいものではなく、近郷の小領主に仕える下級武士といった風体だ。
    爛熟を極めた坂本の町を出て一刻も歩くと逢坂の関だ。ここを越えるといよいよ京・山科の里だ。京の内とは言え山科は都とは東山連山で隔てられており、古来都の喧騒から逃れるため貴人が別荘を構えたり、僧が修行の庵や隠棲所を営んできた風流の里だ。だが眼前の光景は全く弥右衛門の印象を変えるものだった。
    二十年ほど前に浄土真宗八世宗主・蓮如上人によって建立された山科本願寺の伽藍は壮麗を極めてはいるが、弥右衛門の眼にはどこか威圧感を伴って見えた。かの応仁文明の乱から幾度となく戦火に巻き込まれた山科の荒廃は予想を遥かに超えていた。復興してもすぐに焼かれてしまう町屋は越後府中よりもみすぼらしく見える。人心の荒廃も甚だしく、弥右衛門たちを見る目は怯えと警戒に満ちていた。荒廃した町屋の上にのしかかるように聳える山科本願寺の甍は、衆生を極楽へ導き魂の平安を齎すものにはとても見えなかった。魁庵も同じように感じているのであろう、本願寺を睨むように見据え太いため息を吐いた。
    「待て。」
    一行の前に数人の男たちが立ち塞がった。いずれも腹当てや半頬の軽武装ではあるが胴と半頬の意匠がちぐはぐである。恐らく盗品であろうことはすぐわかった。このあたりで追剥まがいのことをしているごろつきであろう。
    「何用かな?」
    弥右衛門は馬を止め、穏やかに聞き返す。
    「見慣れぬ奴らじゃ。何者じゃ、何処へ参る。」
    「越後守護、上杉兵庫頭様の家中である。所用あって都に参る。」
    「何用あって参るのじゃ?」
    「何者かわからぬ者に申せるわけがなかろう。」
    「なに?」
    男たちが一斉に気色ばんだ。魁庵が僅かに膝を曲げ、いつでも飛び掛かれる態勢となっている。
    「待て待て、この者が申すのも尤もじゃ。」
    どうやら頭分であろう男が殺気立つ男たちをかき分けて現れた。墨染の衣に半袈裟を纏ってはいるがどちらも襤褸きれのようで、髪も髭も伸び放題でまともに人相もわからぬ。
    「兵庫頭様の手形はあるが、改めるか?」
    「それには及ばぬ。どうせ読めぬのでな。」
    男はへらへらと笑った。凄まじい口臭だ。弥右衛門は僅かに顔を背けて再度問う。
    「で、何用か?」
    「儂らは御坊様(本願寺)の関守じゃ。ここを通るには一人につき銭十枚置いてゆくがよい。」
    ここは開けた往来のど真ん中で柵も門も無く、こんな場所が関所であるはずはない。この手合いは名目は何であれ金品が目的である。
    「払ってやれ。」
    「おか…殿。」
    咎めるような目をする魁庵に弥右衛門は
    「よい。払ってやれ。」
    魁庵は露骨に嫌な顔をしながらも銭を払った。
    「よし、通ってよいぞ。ああ、何ぞ食い物があったらそれも置いていけ。」
    魁庵は言わないことじゃないという顔で弥右衛門を見やった。
    「あることはあるがこれを渡してしまっては我らの食うものが無くなってしまう。」
    「知ったことか。」
    ごろつきどもは明らかに調子づいている。
    「宿の主人の心づくしなのでな。こればかりは勘弁せよ。」
    「知らぬと言うておろうが。」
    ごろつきどもは錆槍を弥右衛門の眼前に突き付けてきた。弥右衛門はやおら手綱を引き絞り馬腹を蹴った。馬は棹立ちで嘶くなり一目散に駆けだす。魁庵はじめ供の者らは心得ていたように間髪入れず後に続いた。
    「待てぇ!」
    追い縋るのごろつきに、殿を務めていた魁庵が振り向くなり八角棒を突き出した。強かに胸を突かれた男は一丈も後ろに吹っ飛ばされ、怯んだ賊は追うのをやめた。悔し気に何か喚いていたが、もうよく聞き取れない。
    「殺したのか?」
    「胸の骨は砕けたでしょうが死にはしませぬ。」
    「死ななければ良いというわけではないぞ。京で騒ぎを起こすわけにはいかぬ。」
    「わかっております。」
    一行はそのまま駆け続けて山科盆地を横断し東山連山の麓に辿り着いた。ここから稲荷山峠を越えれば洛中である。峠道の登り口には柵を巡らせ、木戸を備えた物々しい番所が設えている。番兵は小具足姿ではあるが左個ほどのごろつきとは異なり、見るからに洗練されたものを身に着けている。魁庵が入洛の目的と上杉定実の道中手形を示すと、番兵の顔つきが俄かに改まった。
    「無事のご到着、祝着至極にござりまする。兵庫頭様家中のご一行が参られる由、主の右京太夫より承っておりまする。」
    以前は武蔵守を名乗っていた細川高国は、細川京兆家家督継承を機に歴代当主と同じ右京太夫を称するようになっていた。出発前に定実が神余家に使いを出すことは聞いていたが、細川家にまで報せが行くとは聞いていなかった弥右衛門が一瞬戸惑いを見せると、
    「ははぁ、そのご様子では道中なかなかご苦労をされたようですな。ご安心くだされ、我らは歴とした関守にござりまする。」
    番兵は肩口に縫い付けられた細川家の合印をみせて微笑んだ。
    「これは失敬。いや疑うたわけではないのだが、つい今しがたも関銭を毟り取られたもので、何が真なのか些か当惑しておりまして。」
    今来た方向を振り返りって弥右衛門が苦笑してみせた。
    「やられましたか。全く手に負えぬ者どもでござりましてな。まっこと申し訳もござりませぬ。」
    「もしやご家中の者でござったか?」
    「まさか。あれは本願寺に巣食う貉どもにござります。我らの役目は関守だけではござりませぬ。ああいった輩の捕縛も命ぜられておりまするが、我らの姿が見えると彼奴等は境内に駆け込み、守護不入の地じゃと喚きくさるので。」
    番兵はいかにも腹に据えかねた表情で遠く本願寺を眺めやった。
    「ここからは当家が随伴致しまするゆえ、ご案じなく。」
    「それは心強い。何卒よしなに願い奉る。」
    弥右衛門一行は休息所のような一間に通され、随伴の支度が整うのを待つことになった。
    「何も随伴など必要はないのではありませぬか。」
    「先方のご厚意を無碍にもできまい。それに何かあっても我らが手を下さずに済む。」
    魁庵は不満をあからさまに顔に出しながらも引き下がった。
    準備が整った旨を告げられ、外に出てみて弥右衛門は瞠目した。随伴の一隊は甲冑を着けた完全武装の姿であった。
    「これは?」
    「いや、お恥ずかしい話ではありますが、今の都ではこれ程の備えが必要なのでござる。」
    「なるほど…。」
    半信半疑のまま出発した弥右衛門は稲荷山の峠から眼下に広がる都の様子を見て漸く得心が行った。
    そこにあったのは思い描いていた都ではなかった。寺院や邸宅の築地塀は剥がれ落ち、戦火に巻き込まれ焦土と化した一帯もある。所々で火の手が上がっており、まるで市街戦が行われているような様相であった。
    事実市街戦は行われている。前将軍・足利義澄派の残党が都のあちこちでゲリラ戦を展開しており、足利義稙方はその掃討に追われていた。その混乱をいいことに各地で強盗が多発し、隠し財を探すために町屋に火をかけ、女を襲う。大寺院は自分たちの身を守るため足軽達を雇い、別の寺院が雇った足軽集団と小競り合いを起こす。まさに地獄絵図だ。
    先にも触れたがこの時代は小氷期に当たる。ただでさえ冷夏による凶作や飢饉が続く中、連日のように繰り返される戦闘と略奪行為に住民の困窮は極まっていた。
    (これは、のんびりなどしておられぬ。長居すれば命がいくつあってもたらぬわ。)
    稲荷山下の泉涌寺は上杉家の雑掌・神余氏の宿所である。弥右衛門は京に辿り着いた安堵感を味わう間もなく、待ち受ける困難を思い胴震いしていた。

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