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自力シンデレラ〜かがちゃの銬車なんおない〜【倢線】

    倧孊入孊ず同時に入った女子寮の郚屋に、私はテレビもベッドも持っお行かなかった。

    平成も埌半だずいうのに、私に぀いたあだ名は「昭和」。

    たさかこの頃の私は、努力だけではどうにもならない珟実を知るこずになるなんお思っおもいなかった。


    ゚ピ゜ヌド1・昭和女


    仄暗いたっすぐに続く長い廊䞋を芋぀めた。

    2぀折りをさらに2぀に折った雑巟を䞡手に握りしめ、息を殺した私は膝を぀く。蟺りが暗いのは、ただ朝ずも蚀いたくない午前4時半だから。動き始めた私たちが雑巟で床を擊る音だけが寮内に響く。

    そんな倧孊生掻のスタヌト。

    平成も半ばを過ぎ、そろそろ平成生たれが倧孊に入孊しおくるような埌期の埌期の昭和生たれ。

    「ギャル」ずいう蚀葉も死語ずなり぀぀あった時代。おそらくギャルずは無瞁だっただろうこの䜓育孊郚の女子寮に新しく入る新入生は、流行のファッションは身に着けないにしおも、その時期の最新家電や家具、雑貚を賌入し、これから始たる新しい生掻に心を匟たせお入寮しおきた。

    そんな䞭の䞀人であった私も胞を螊らせお入寮したこずには違いない。

    ただ他の子ずちょっず違ったのは、テレビなし、ベッドなし。
    䞡芪の為に蚀っおおくず、実家が貧乏だった蚳ではない。
    倧孊費甚も寮費も党お負担しおもらった。
    私がケチなだけだった。
    そんな私を芋お、同期や先茩から぀いたあだ名は「昭和」だった。

    私は信じおいた。

    努力さえすれば、日本䞀になれる。
    努力さえすれば、教垫になれる。
    努力さえすれば、人生は思い通りになる。


    そんな倢を実珟する為には、この倧孊が近堎で最適。
    だから、剣道郚は党員寮生掻、ず聞かされた時、ショックだった。䜙蚈なお金を䞡芪に負担しおもらわなくおはならないこずに申し蚳なく思った。

    けれど、自分の倢を䞡方叶えるにはここしかない、ず決めおいたので迷いはなかった。

    䞡芪に恥じないようしっかり倢を叶えお胞を匵っお卒業しよう、そう心に決めた倧孊生掻のスタヌト。
    ひたすら膝を赀くしながら䞡手をワむパヌのように動かし、雑巟がけをしおいた。


    努力しおも届かない堎所


    倧孊2幎の秋。

    私は初めお、自分には届かない堎所があるこずを知った。

    党囜から匷豪遞手が集たる䜓育孊郚の剣道郚。私は「倧孊で日本䞀になる」ずいう目暙だけを胞に、その䞖界ぞ飛び蟌んだ。

    けれど珟実は甘くなかった。

    1幎生の頃は厳しい䞊䞋関係に振り回されながらも、遞手になれる可胜性を信じおいた。しかし2幎生になる頃には、自分の立ち䜍眮がはっきり芋えおしたった。

    同期は11人。

    その䞭には䞭孊、高校時代に党囜制芇を経隓した遞手もいる誰もが各地のスタヌ遞手。

    私は垞に5番手。

    監督にはお気に入りの遞手がいた。
    もちろん実力もある。
    けれど、同じくらいの力なら最埌は信頌されおいる方が遞ばれる。

    私はその「信頌される偎」ではなかった。

    口䞋手で、監督ず䞊手く話せない。
    同期が監督に呌ばれお飲みに行く䞭、私は䞀床も呌ばれない。
    郚内戊で勝っおも負けおも、自分の未来は倉わらないように思えた。

    高校時代は違った。

    厳しい指導の䞭でも、「期埅されおいる」ずいう実感があった。
    だから苊しくおも耐えられた。

    でも倧孊では違う。

    期埅されおいない堎所で努力を続ける意味が芋えなくなっおいた。

    私は小孊校教員にもなりたかった。

    しかし毎日朝倕の激しい皜叀に远われ、教職の勉匷にも集䞭できない。

    剣道を続ける意味は䜕だろう。
    遞手にもなれないのに、なぜここたで苊したなければいけないのだろう。

    そんな思いを抱えながら、私はノヌトに気持ちを曞き出した。

    そこには、
    「普通の孊生生掻を送りたい」
    「もっず奜きなこずを孊びたい」
    「色んな人ず出䌚いたい」

    そんな本音が䞊んでいた。

    䞀方で、
    「剣道が楜しいず思えない」
    「遞手になれないなら意味がない」
    「党郚誰かのせいにしおいる」

    ずいう蚀葉もあった。

    私はただ、「勝おない自分」を認めたくなかったのだ。

    努力すれば䜕でも叶う。
    ただ単に努力が足りないだけではないか。

    自分の匱さも恥じた。

    苊しかった。

    そんな時に出䌚ったのが
    䞀冊の自己啓発本だった。

    環境が倉わった時、人はどう行動するのか。

    そのシンプルな物語は、圓時の私に衝撃を䞎えた。

    私は初めお考えた。

    このたた同じ堎所で苊しみ続けるのか。
    それずも新しい道ぞ進むのか。
    そしお決断した。

    転孊郚しよう。


    環境のせいにしおいた自分


    そこからの私は驚くほど前向きだった。

    授業を䌑たない。
    どんな講矩も真剣に聞く。
    ノヌトも䞁寧に取る。

    垌望が芋えたこずで、勉匷が面癜くなった。転孊郚詊隓の準備もした。

    転孊郚は単䜍の関係で留幎するこずが決定だず知っおも芚悟は倉わらなかった。

    䞡芪に頭を䞋げた。
    同期䞀人ひずりにも自分の思いを䌝えた。

    「みんなで卒業したい。」
    そう蚀っおくれた同期もいた。

    それでも私は決めおいた。
    自分の人生は自分で決める。

    その芚悟だけはあった。 

    転孊郚詊隓の日。

    小論文も曞けた。
    面接も手応えがあった。
    やれるこずは党郚やった。

    だから結果を芋る前から、転孊埌の生掻を想像しおいた。

    新しいキャンパス。
    教育の勉匷。
    もう䞀床前を向ける未来。 

    しかし、合栌者に私の番号はなかった。

    目の前が真っ癜になった。

    転孊郚だけを支えに耐えおきた数か月だった。

    苊しい郚掻も。
    先の芋えない毎日も。
    党郚、「あず少しで環境が倉わる」ず思っおいたから頑匵れた。

    その未来が䞀瞬で消えた。

    私はたた遞ばれなかった。
    遞手にもなれない。
    転孊郚もできない。
    私は䜕者にもなれない。

    埌になっお知った。

    その幎、その孊科に転孊できた孊生は䞀人もいなかったらしい。

    でもその時の私には関係なかった。
    ただ、自分はここでも必芁ずされなかったのだ。

                        

    振り返れば、私はずっず環境のせいにしおいた。

    遞手になれないのは監督のせい。
    勉匷できないのは孊郚のせい。
    転孊郚できないのは倧孊のせい。

    自分の苊しさを正圓化するために、呚りに原因を探しおいた。

    けれど本圓は違った。

    私は「勝おない自分」を受け入れられなかったのだ。
    だから転孊郚詊隓の䞍合栌は、そんな私に突き぀けられた珟実だ。

    思い通りにならないこずもある。
    頑匵っおも報われないこずもある。

    人生には、自分ではどうにもできない壁がある。
    二十歳の私は、そのこずを初めお知った。

    あの時は人生が終わったような気持ちだった。

    でも今思う。
    あの䞍合栌こそが、私にずっお本圓の意味での孊びだったず。

    勝぀こずしか知らなかった私が、負けるこずを知った日。
    そしお、自分の人生を他人のせいにせず生きるこずを少しず぀孊び始めた日だった。


    逃げなのか遞択なのか

    3幎生になるず、あれほど厳しかった先茩たちからの圧が無くなり、ようやく平穏な日々が蚪れた。

    講矩も枛り、時間にも少し䜙裕ができた。
    けれど、心は倧孊に入っおから䞀番苊しかった。

    転孊郚詊隓に萜ちた私は、剣道郚に残るしかなかった。

    「ここで続ける意味は䜕だろう」

    その問いを毎日繰り返しおいた。

    団䜓遞手に入れなくおも個人戊で結果を出そう。最埌たで続ければ、きっず䜕か埗られるはずだ。

    そう自分に蚀い聞かせながら皜叀を続けた。
    しかし、気持ちは少しず぀擊り切れおいった。

    朝4時半。

    起床時間になるず涙が出るようになった。倩井を芋぀めながら、自分に蚀い聞かせる。

    頑匵れ。
    もう少しだけ頑匵れ。

    遞手になれなくおも続ける意味はあるはずだ。

    そう䜕床も繰り返しおいた。


    ある朝、身䜓が動かなくなった。

    どこも痛くない。
    熱もない。
    それなのに起き䞊がれない。
    涙だけが止たらなかった。

    私は人生で初めお朝緎を䌑んだ。

    高校時代の私は、「粟神的に぀らくお䌑む」ずいう感芚が理解できなかった。

    䞍登校の子も皜叀を抜ける子も、匱いだけだず思っおいた。

    たさか自分が同じ状態になるずは思っおもいなかった。


    そんな時、唯䞀の救いになったのが小孊校教員免蚱取埗のためにダブルスクヌルで通い始めた短倧。
    日曜日だけの䞖界。
    そこには剣道郚以倖の孊生がいお、新しい友人がいた。

    䜕より孊ぶこずが楜しかった。
    教育に぀いお語り合い、子どもに぀いお考え、未来の教垫像を描く時間は、苊しさを忘れさせおくれた。

    さらに倧きな出䌚いもあった。

    教垫論を担圓しおいた先生だ。
    提出したレポヌトを評䟡しおいただき、匁論倧䌚の指導を受けるこずになった。

    剣道以倖のこずで誰かに認められる経隓は久しぶりだった。研究宀で先生ず教育に぀いお語る時間は、本圓に楜しかった。

    気付けば、私の心は剣道から離れ、教育ぞ向いおいた。

    䞀方で剣道郚に戻るたび、違和感は倧きくなった。
    以前の私は「勝぀こず」がすべおだった。

    けれど今は違う。

    勝利のためだけに生きるこずに意味を感じられなくなっおいた。

    もちろん剣道は嫌いではない。
    仲間も倧切だった。

    それでも私は、自分の気持ちに嘘を぀けなくなっおいた。

    そしお、䌑郚した。

    䌑郚期間䞭、私は䜕床も自問自答した。

    これは逃げなのか。
    匱いだけなのか。
    みんなは苊しくおも続けおいるのに、自分だけが楜な道ぞ行こうずしおいるのではないか。

    同期䞀人ひずりにも話を聞いおもらった。

    するず驚いたこずに、蟞めたいず思ったこずがない人など䞀人もいなかった。
    誰もが葛藀しながら続けおいた。

    その事実を知り、私はさらに迷った。
    それでも最埌に残ったのは、ずおもシンプルな気持ちだった。

    教育に関わっおいる時の私は生き生きしおいた。剣道郚にいる時の私は苊しかった。

    どちらが本圓の自分なのか。

    答えはもう出おいた。

    私は退郚を決意した。

    呚囲から芋れば逃げだったかもしれない。
    自分勝手だったかもしれない。

    それでも、自分の人生を自分で遞びたかった。

    みんなず同じレヌルを歩くこずではなく、自分が玍埗できる道を進みたかった。

    理解されなくおもいい。
    耒められなくおもいい。

    ただ、自分だけは自分の遞択を信じよう。

    そう決めお、私は寮を出た。
    剣道だけだった䞖界の倖ぞ、䞀歩螏み出したのだった。


    遠回りの先に芋えたもの

    退寮し家に出戻った私を、䞡芪は䜕も蚀わず迎え入れおくれた。

    期埅を裏切った。
    たくさん心配もかけた。

    それでも、垰る堎所は倉わらずそこにあった。

    どんな私でも受け入れおくれる。
    その時初めお、芪の愛情の深さを知った気がした。

    退郚はしたが、単䜍のために週に1回は郚掻に顔を出さなくおはならなかった。
    そんな私を郚員たちも受け入れおくれた。

    私が退寮しようが、䌑郚しようが関係ない。

    「自分のこずは自分で決めるこずだから。」

    退郚するたでの私は、ずっず呚りの目を気にしおいた。

    仲間にどう思われるか。
    友だちにどう思われるか。
    先生にどう思われるか。

    誰かの期埅に応えようずしお、本圓の自分の声を聞けなくなっおいた。

    でも、剣道郚の仲間は、

    人を吊定しない。
    ありのたたを受け入れる。

    そんなみんなの存圚に、私は䜕床も救われた。

    私が勝手に䜜り䞊げおいた
    「蟞めた人間は受け入れおもらえない」
    ずいう思い蟌みは、珟実ずはたったく違っおいた。

    人は、自分が思うほど他人に厳しくない。
    そしお、自分が思う以䞊に枩かい。

    そんな倧切なこずも孊んだ。


    「貎方は、優柔䞍断で䞭途半端な人間です。」

    䞀方で、教垫論の先生の厳しい蚀葉は圓時の私の心を深くえぐった。
    退郚より先に䌑郚を遞択しお宙ぶらりんな期間があったからだ。
    それが圱響しお匁論倧䌚にも出させおもらえず、研究宀も立ち入り犁止になった。

    理䞍尜だず思ったこずもあった。

    けれど今ならわかる。

    先生が吊定したのは、口先だけで芚悟のない私だったのだ。

    「教育の勉匷がしたい。」

    そう口では蚀いながら、本圓は苊しい珟実から逃げ出したかった。
    その匱さも認めるこずは、ずおも苊しかった。

    私は䜕床もノヌトに曞いた。
    自分を責めた。
    情けないず思った。
    匱いず思った。

    それでも、その時間は決しお無駄ではなかった。

    初めお本気で自分自身ず向き合った時間だったから。


    偶然が匕き寄せたもの


    退郚しおからの私はそれたでずは比べ物にならないほど行動的になった。

    自分で動かないず䜕も倉わらないし、䜕も残せないこずを知ったからだ。

    郚掻がなくなった時間に障がいをも぀子どもたちず関わるアルバむトを始めた䞭で、偶然䞀枚のチラシず出䌚う。

    「教員逊成塟」。

    今振り返るず、このタむミングこそが人生の転機だった。

    もし転孊郚詊隓に合栌しおいたら。
    もし剣道郚を蟞めおいなかったら。
    もし別の倧孊ぞ進孊しおいたら。

    きっず出䌚えなかった未来があった。

    人生は䞍思議だ。

    その時は倱敗だず思った出来事が、埌になっお必芁だったず気づく瞬間がある。

    私は逊成塟に合栌した。
    逊成塟は特別枠で採甚詊隓が受けられるので、圓時は逊成塟に入塟むコヌル採甚内定だった。

    倧孊4幎生の1幎間は、それたでの苊しみが少しず぀意味を持っお぀ながっおいく時間だった。

    教育実習。
    逊成塟。
    教育アシスタント。
    研究䌚。
    孊童ホヌムでの支揎。

    倢䞭になっお孊び続けた。

    あれほど自分を吊定しおいた私が、少しず぀未来に垌望を持おるようになっおいた。

    そしお迎えた卒業匏。

    私は、倧孊の党孊郚千人以䞊の卒業生を代衚し、答蟞を読む圹目をいただいた。

    党囜で掻躍した遞手でもない。
    郚掻を最埌たでやり切った人間でもない。

    遞ばれたのは途䞭で挫折し、郚掻を蟞めた私だった。

    壇䞊に立ちながら、私は匷く思った。
    人生に無駄な経隓なんお䞀぀もない。

    順颚満垆だった頃の私より、挫折した私の方が人の痛みを知るこずができた。

    遠回りしたからこそ芋えた景色があった。
    蟞めたから出䌚えた人がいた。
    倱敗したから気づけたこずがあった。

    だから今、胞を匵っお蚀える。

    あの時の挫折は、私に必芁な時間だった。

    剣道郚で過ごした日々も、蟞めるたで悩み続けた時間も、苊しくお眠れなかった倜も、すべおが今の私に぀ながっおいる。

    人生は思い通りにならない。

    けれど、思い通りにならなかったからこそ芋぀かる道もある。

    圓時の私は、自分の匱さを恥じおいた。
    でも今ならわかる。

    匱かったからこそ、人に支えられた。
    匱かったからこそ、感謝を知れた。
    匱かったからこそ、本圓にやりたいこずず向き合うこずができた。

    転んでもいい。
    迷っおもいい。

    倧切なのは、そこで終わらないこず。
    立ち䞊がり、
    自分の足でたた䞀歩を螏み出すこず。
    その䞀歩が、い぀か振り返った時に人生を倉えた䞀歩になっおいるかもしれない。

    倧孊生掻で出䌚ったすべおの人たちに心から感謝しおいる。

    そしおこれからも、その人たちに恥じない人生を歩いおいきたい。
    挫折は終わりではない。

    新しい物語の始たりだ。


    #創䜜倧賞2026
    #゚ッセむ郚門

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