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誰もが自分の役割を見つけられる野球部へ──新チーム始動、その名は「チームこころ」

    プロローグ:静かな職員室で交わされた密談


    夏の大会が終わった翌日の朝。
    甲府学館高校の職員室の隅、荒井部長のデスク周りには、いつもとは違う緊張感が漂っていた。
    柏村監督、荒井部長。そして、その向かいに座るのは、まだ大会の疲れが抜けきらない表情の前主将・高橋歩と、目の腫れが引いてスッキリした表情の前マネージャー兼統括リーダー・斉賀藍乃。
    二人とも、もう「現役」ではない。それでも、次の代への引き継ぎだけは、しっかりと責任を持ってやらせてほしいと、柏村監督に直談判した末に設けられた席だった。

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    「新チームの骨格について、率直な意見を聞かせてほしい」
    柏村監督が切り出す。テーブルの上に置かれたタブレットには、選手とマネージャーの名前が表示されていた。

    主将・副主将については、あまり議論は割れなかった。
    「山口と蒔田だと思います。2年生全員が満場一致で賛成してくれています」
    歩が即答する。
    「二人とも、レギュラーとして常にグラウンドに立つ。守備の要である山口が下級生の面倒見も良いのは、僕が一番近くで見てきました。彼が2年生リーダーだったからこそ、1年生も相談しやすい雰囲気になっていると思います。蒔田は……常に声を張り上げて、チームを引っ張ってくれています。打撃や走塁を教えるのも上手く、秋には夏の不完全燃焼は必ず取り返してくれるはずです」
    星加が最後にかけた言葉を、蒔田がどう受け止めているか。練習に対する闘志を燃やしているか。歩は誰よりもそれを理解していた。

    柏村監督が静かに頷く。
    「バッテリーキャプテンは、投手の甲賀。副に投手の江角と捕手の山本。これも順当だろう。問題は、統括リーダーだ」

    一瞬で、部屋の空気が変わった。
    「候補には、山口を推す声もあった」
    荒井部長がそう切り出す。
    「守備の要でもあり、真面目で、下級生からの信頼も厚い。主将の山口が統括も兼ねる、あるいは山口を統括に回して、主将に蒔田、副主将に今井か松岡、高橋健吾という案もあった」
    その案に対して、真っ先に口を開いたのは斉賀藍乃だった。

    「山口くんは、野球に関しては本当に真面目でしっかりした子です。だからこそ、主将としてグラウンドに立つことに、全力を注いでほしいんです」
    藍乃は、言葉を選びながら続けた。
    「それに……統括リーダーの仕事は、正しさだけじゃ務まらないと思うんです。私、この3年間、ずっと感じてました。型にはまりすぎたやり方だと、かえって窮屈に感じる子もいます。特にうちは、1年生マネージャーが3人も入ってきて、それぞれ個性が強いです。おとなしい子や控えめな子、考え方が違う子が輪に入れなかったら意味がないと思います」
    「じゃあ、誰が適任だと?」
    柏村監督が静かに問う。
    藍乃は、少しだけ微笑んだ。
    「玉野こころさんです」

    荒井部長が眉を上げる。
    「玉野……か。リーダーシップを出して周りを引っ張っていくタイプではないと思うが。それに、あの子は良くも悪くも、天真爛漫が持ち味だろう」
    「そうです。だからこそなんです」
    藍乃は、まっすぐに部長と監督を見た。
    「こころさんは、誰といても壁を作らないんです。1年生マネージャーの3人が、それぞれ全然違うタイプなのに、自然と彼女の周りに集まって、それぞれの得意分野で活躍できるようになった。碧依さんはコンディション管理、帆乃花さんは渉外広報、緋菜多さんは選手に近い立場でグラウンドに立ち、アナリストにも入る。これ、こころさんが『まとめよう』と気負ってやったことじゃないんです。ただ、あの子がそこにいるだけで、みんなが自然と自分の個性を出せる空気になります。私には、あの才能はなかったです」

    その言葉に、歩がふと口を挟んだ。
    「僕からも一つ、いいですか」
    柏村監督が頷く。
    「僕は主将として、3年間ずっと『チームを引っ張る』ことばかり考えてきました。でも、正直にいうと、僕には向いてなかったと思う瞬間が何度もありました。真面目にやることと、チームの空気を良くすることは、必ずしもイコールじゃないんです。山口や蒔田は、僕と同じタイプだと思う。真面目で、努力家で、不器用。だからこそ、彼らがグラウンドで結果を出すことに専念して、その裏側の『空気づくり』は、こころみたいなタイプに任せたほうが、このチームは絶対にうまくいくと思うんです」

    しばらくの沈黙のあと、柏村監督が小さく笑った。
    「斉賀、歩。お前たちがそこまで言うなら、間違いないだろう。確かに彼女なら、誰一人置き去りにしない、全員に居場所のある野球部を作ってくれそうだ」
    荒井部長も頷く。
    「統括サブリーダーには、松岡と今井をつけよう。あの二人なら、玉野の補佐として、彼女のペースに飲まれずに意見を出す事もできる」
    「そして、補佐には1年生の帆乃花さんを。彼女は既に私のやっていた仕事は全部できます。1年後の統括リーダー就任を見据えて、こころさんのサポートをさせて経験を積ませたいです」
    藍乃が最後にそう付け加えた。彼女がこの3年間でこなしてきた、電話対応や来客対応、渉外関係の細やかな実務。選手間や選手と指導陣のコミュニケーションの円滑化。その全てを、旅館の娘として培ってきたホスピタリティを持つ帆乃花に託す。それは、藍乃にとって最後の、そして一番大事な引き継ぎだった。

    たまたま、他の先生に用事があり、職員室に松岡龍星がやってきた。
    「玉野の暴走を止める役、頼めるか?松岡」
    柏村監督がふと呟いた冗談めいた一言に、その場に小さな笑いが起きた。
    新チームの骨格は、こうして、たった一つの職員室の隅で、静かに、しかし確かな熱を持って固まっていった。

    グラウンドでの引き継ぎ式

    その日の夕方、練習後のグラウンド。
    まだ夏の余熱を残す黒土の上に、新旧全部員が整列した。柏村監督、荒井部長を前に、いよいよ新体制が発表される日だった。

    「これより、新チームの体制を発表する」
    柏村監督の声が、静まり返ったグラウンドに響く。

    主将・副主将

    「主将、山口慶彦」
    名前を呼ばれた山口が、一歩前に出る。表情は変わらず、いつもの落ち着いた佇まいのまま、いつも以上に背筋が伸びていた。
    「副主将、蒔田駿佑」
    蒔田が続く。夏の敗戦から眠れぬ夜を過ごしたであろう2年生の目には、あの日流した涙とは違う、静かな決意の色が宿っていた。

    高橋歩が、二人の前に進み出る。
    「山口、蒔田」
    短くそれだけ言うと、歩は自分がずっと着けていた主将としての重みを、そのまま二人の肩に乗せるように、両手を置いた。
    「俺は、お前たちほど器用じゃなかった。試合に出る時間も少なく主将業に専念していたところもある。だけど、お前たちにはお前たちのやり方がある。二遊間から、声を出せ。グラウンドの真ん中からチームを引っ張るのがお前たちには似合っている」
    山口が、深く頭を下げる。
    「承知しました。歩さんが繋いでくれたものを、絶対に繋いでいきます」
    蒔田も、唇を強く結んだまま頷いた。前副主将の今野遼太郎が、蒔田の肩を軽く叩く。
    「駿佑。俺は控えから声出すことしかできなかったけど、お前は違う。グラウンドで試合に出ながら、チームを動かせ」
    言葉少なに交わされたその一瞬に、旧チームの矜持が、静かに次の代へと流れ込んでいった。

    そして、主将、副主将がどちらも内野の選手のため、守備時の外野手のリーダーには飯田瑠海が就くことも併せて発表された。

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    バッテリーチーム

    続いて、バッテリーキャプテンに甲賀裕大、副キャプテンに江角聖那、山本太地。そして1年生ながら比嘉直樹がリーダー補佐として名を連ねる。
    前バッテリーキャプテンの笠松翔が、甲賀に一つのボールを手渡した。あの夏に負けた2回戦の試合前に二人がキャッチボールをした際に使ったボールだった。
    「甲賀。お前は自然体でやっていれば全員が付いてくる。だから、バッテリーを引っ張ることより、自分がちゃんと成長することを1番に考えろよ」
    甲賀は涙ぐみながら、笠松と握手した手をなかなか離そうとしなかった。

    「比嘉」
    甲賀が声をかける。
    「お前は、春からベンチ入りしていて1年生の中では誰よりも自覚を持っていると思う。ただ、明るさと、誰とでも仲良くなれるコミュニケーション能力は消すな。1年生バッテリー全体で気付いたことを言い合える雰囲気を作ってくれ」
    まだあどけなさの残る比嘉の顔に、初めて「リーダー補佐」としての重みを背負う覚悟が浮かんだ。

    アナリストチーム

    アナリストチームの発表では、少しどよめきが起きた。
    「アナリストチームリーダー、佐々木瑠偉」
    「サブリーダー、池田雄介」
    「リーダー補佐、一瀬緋菜多」
    「そしてもう一人リーダー補佐、佐々木叡」

    野山友羽が、静かに一歩下がり、佐々木と握手した。
    「春まで私が1人でやってきたことを、これからは4人で頑張ってやってね。データは、1人の頭で抱え込むものじゃない。誰かと共有して、初めて意味を持って動く情報になるから」
    佐々木瑠偉が力強く頷く。
    「野山さんが積み上げてきたものを、絶対に無駄にしません」
    一瀬緋菜多が小さく手を挙げた。
    「あの……グラウンドで動きながら考えるタイプの私が入っていいのか、正直まだ実感がないです。でも、数字を読むのは嫌いじゃないので、頑張ります」
    その素直な言葉に、野山が小さく笑った。
    「緋菜多さんは来年にはアナリストチームのリーダーになる存在だから、そのつもりでね。私みたいにならなくて良い。グラウンドで選手に混じりながら情報を得たり、アドバイスをする。新しいアナリストチームリーダー像をあと1年掛けて作り上げていって」 
    そして、もう一人のリーダー補佐は、アナリストチームリーダーの佐々木瑠偉の弟で1年生の叡(えい)だった。
    彼は、兄から聞くデータを使った野球や育成に興味があり、当初希望していた公立高校から甲府学館志望に切り替え、アナリストとして入部してきた。
    しかし、グラブ捌きや肩の強さなどの内野手としての守備技術は兄に匹敵するものがあり、現在は兄と同様、選手兼アナリストとして奮闘中だ。

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    統括リーダー

    そして、いよいよ発表されたのは統括リーダーだった。
    「統括リーダー、玉野こころ」

    グラウンドがどよめいた。1年生マネージャーたちも、選手たちの多くも、驚きを隠せない表情だった。
    名前を呼ばれたこころは、一瞬きょとんとした顔をしたあと、慌てて姿勢を正した。
    小柄な体を精一杯伸ばして前に出る様は、普段の猪突猛進なイメージそのままで、緊張感の中に、どこか場を和ませる空気があった。

    斉賀藍乃が、こころの前に立つ。
    「こころちゃん」
    藍乃の声が、少しだけ震えていた。
    「この3年間、私はずっと、みんなをまとめなきゃ、正しくいなきゃって、気を張ってきた。でも、こころちゃんは違う。ただそこにいるだけで、みんなが自然体でいられる。碧依ちゃんも、帆乃花ちゃんも、緋菜多ちゃんも、それぞれの得意なことを見つけらて、ノビノビ活躍できているのは、こころちゃんがいたからだよ」
    藍乃は、自分がずっと大切にしてきたマネージャー用のバインダーを、そっとこころの手に渡した。
    「栄養管理も、全員が力を出しやすい雰囲気づくりも、こころちゃんにしかできない。これからは、チーム全体をチームこころとして、みんなを見てあげてね」
    こころの目に、みるみる涙が溜まっていく。
    「わ、私なんかで、本当にいいんですか……。新作おにぎりで失敗して、いつも太地くんに怒られているのに……」
    その言葉に、笑いが起きた。緊張していた場の空気が、一気に和む。藍乃も涙を堪えながら笑った。
    「それでいいの。それが、こころちゃんの力だから」

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    統括サブリーダーの松岡龍星が、隣に並ぶ。
    「こころちゃん、僕がしっかり手綱握るから、暴走はほどほどにね」
    「え、松岡くんまでそれ言うんですか!?」
    その掛け合いに、また笑いが起こった。今井竜太も、静かに頷きながらこころの肩を叩く。
    「俺は気がついたこと、思ったことは全て言うからそのつもりでな」

    最後に、桜本帆乃花が統括リーダー補佐として前に出る。
    「藍乃先輩がやってきた実務、私が引き継ぎます。旅館仕込みの気配り、ここで全部使いますから」
    彼女の言葉に、藍乃は小さく頷いた。憧れの先輩から後輩へ、確かにバトンが渡された瞬間だった。

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    コンディションケアチーム


    新設されたコンディションケアチームには、2年生マネージャーでメンタルケア担当の宮川絵菜がリーダー、西田大翼が選手兼任でサブリーダー、1年生マネージャーでコンディションケア担当の間山碧依がリーダー補佐に就任。
    この3人を、玉野こころ統括リーダーが栄養管理面でサポートする。
    「碧依ちゃん、あなたがお父さんから学んできた知識と経験、これからうちの選手たちのために貸してね」
    宮川の言葉に、間山医師の娘である碧依が、静かに、しかし芯のある声で応えた。
    「はい。コンディション管理は、地味だけど絶対に大事な仕事だと思ってます。頑張ります」
    サブリーダーに西田大翼を据えたのは、荒井部長の「グラウンド内にも仲間のコンディションに目を光らせる存在が欲しい」という希望からだった。
    元々、栄養や、怪我予防トレーニング、負荷などを学んでおり、知識のある西田が立候補した形となった。


    すべての発表が終わり、柏村監督が最後に選手たちの前に立った。
    「今日から、新しい甲府学館野球部が始まる。指導陣は変わらずここにいる。だが、このチームを本当に動かすのは、お前たち自身だ。肩書きがある無いに関わらず、全員がこの組織を良くするための動きを常に考えていけ」
    「そして、特に1年生たちに聞いてほしい。統括リーダーの玉野こころ、統括サブリーダーの松岡龍星。この2人は1年生の頃は、子供会にしか見えなかった。そんな2人がこれからは、先頭に立って引っ張っていく立場に立った。人は成長する。君たちも、今がどうであれ、成長していって欲しい」

    夕暮れの光が、グラウンドを赤く染めていく。旧チームが積み上げてきたものを胸に、新しい体制が、確かに動き出した瞬間だった。

    新チーム始動

    翌週の月曜日。朝自習棟は、いつもより少しだけ早い時間から始まった。

    グラウンドに一番乗りしたのは、統括リーダーに就任したばかりの玉野こころだった。まだ日も昇りきらない中、彼女は小柄な体でせっせとブルーシートを広げ、給水タンクの準備をしている。
    「こころ先輩、おはようございます!」
    桜本帆乃花が駆け寄ってくる。
    「帆乃花ちゃん、おはよう!今日から、私が正式に統括だから、チームこころ全員気合入れていくよ!」
    「はい!実務のほう、しっかりやっていきますね。まずは今日の練習メニューの確認からいきましょうか」
    帆乃花は早速、旅館仕込みの手際の良さでスケジュール表を広げる。こころがそれを覗き込みながら、うんうんと頷いた。

    グラウンドの中央では、主将の山口慶彦が、いつも通り黙々とノックの準備をしていた。そこに、副主将の蒔田駿佑が駆け寄ってくる。
    「山口、今日のシート、こっちで大丈夫か?」
    「ああ、それで頼む。守備のローテーション、1年生も交ぜて回そう」
    二人の間に交わされる会話は簡潔で、飾り気がない。だが、そこには夏の敗戦を経て培われた、確かな信頼関係が滲んでいた。二遊間を組む二人が、そのままリーダーとしてグラウンドに立つ。山口主将は声を張り上げるタイプではないが、その存在自体が、後輩たちにとって何よりの指標になっていた。

    ブルペンでは、バッテリーキャプテンの甲賀裕大が、1年生の比嘉直樹に声をかけている。
    「比嘉、1年生バッテリー陣とは、常にコミュニケーションを取り合うようにな。困り事があれば、俺でも、江角でも、山本でも良いからいつでも言ってくれ」
    「はい……!」
    比嘉が、まっすぐな目で頷く。まだ1年生だが、リーダー補佐という肩書きが、その背筋を少しだけ伸ばしているようだった。

    グラウンドの隅、日陰になったベンチ付近では、アナリストチームの佐々木瑠偉と池田雄介、佐々木叡が、タブレットを広げていた。
    「野山さんが残してくれたデータ、まずは全部読み込むところからだな」
    佐々木瑠偉がそう言うと、池田が頷く。
    「投手のデータは俺が中心にまとめる。守備位置と打球方向は瑠偉、頼んだ」
    「僕は、各選手の成長状況と、各メニューの進捗状況についてまとめておきます」
    そこに、1年生マネージャーの一瀬緋菜多が駆け込んでくる。
    「あの、私、まだ数字読むの慣れてないですけど、何か手伝えることありますか!?」
    「もちろん。まずは記録の取り方から一緒に覚えよう」
    佐々木が優しく笑いかけると、緋菜多は目を輝かせてノートを広げた。

    コンディションケアチームの宮川絵菜と間山碧依は、選手たちの体調チェック表を片手に、グラウンドを一周していた。
    「碧依ちゃん、今日はちょっと蒸し暑いから、給水のタイミング多めに声かけていこうか」
    「はい。あと、松岡さんが昨日足首の様子気にしてたので、後でテーピングの相談乗りますね」
    碧依の落ち着いた口調に、宮川が頼もしそうに頷く。父の知識を受け継いだ彼女の観察眼は、すでにチームにとって欠かせないものになりつつあった。

    練習開始の時間、玉野こころが選手たちの前に立つ。統括リーダーとしての初めての挨拶だった。
    「え、えっと……。今まで通り、みんなが野球に集中できるように、私たちマネージャー陣、精一杯支えます!」
    「今日から、甲府学館野球部の全員が『チームこころ』なので、そのつもりでいてください!」
    そう言ったあと、こころは急に目を輝かせて、一歩前のめりになった。
    「あ、そうだ!統括リーダーになって最初のお仕事、夏バテ予防メニューの研究なんです!
    夏バテって、体を冷やしすぎると胃腸の血流が悪くなって消化酵素の働きが落ちるのも原因の一つなんですけど、それだけじゃなくて水分と電解質のバランスも超大事なんですよ!
    だから今日からは、経口補水液の浸透圧をちゃんと計算して、塩分とクエン酸とカリウムの比率を最適化した特製ドリンクを用意しました!
    昨日の夜も、ミトコンドリアのクエン酸回路について論文読んでたら、気づいたら深夜3時で……。今日は2時間しか寝てなくて、正直めちゃくちゃ眠いんですけど、あのドリンク、最近パパがビール代わりに晩酌で飲んでくれてるので、大丈夫です!」
    グラウンドが、一瞬、静まり返った。
    「いや、それと寝不足、何も関係なくないか?」
    統括サブリーダーの松岡龍星が、すかさずツッコミを入れる。
    「え、関係ありますよ!パパが元気にドリンク飲んでくれてるので、私も元気をもらってるので、大丈夫です!」
    「その因果関係、こころにしか通用しないやつだ!」
    「選手の栄養管理する前に、自分の体調管理してくれよ!統括リーダー!頼むからちゃんと寝てくれ!」と西田大翼の声が飛ぶ。
    その掛け合いに、思わず選手たちから笑いが漏れる。緊張していた空気が、一気に和んだ。
    「よし、みんな、今日も一日頑張ろう!」
    山口の一声で、選手たちが声を揃える。
    「おー!!」

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    新しい甲府学館野球部の朝が、確かに動き出していた。
    夏の敗戦で流された涙と、そこで交わされた無数の言葉。それらすべてを土台にして、新しい体制が、それぞれの持ち場で、静かに、しかし着実に根を張り始めていた。

    まだ何も証明されていない。成長も、勝利も、これから先の話だ。
    だが、統括リーダーとしてグラウンドに立つ玉野こころの、あの人懐っこい笑顔を見れば分かる。
    このチームには、確かに「全員の居場所」があるということが。

    秋の大会に向けて、甲府学館の新しいチームが、今、動き出した。

    🎙️ おまけトーク|宮川絵菜のメンタル相談所 #4
    今回の相談者:玉野こころ(2年・マネージャー)


    朝練前、まだ誰もいないミーティングルーム。
    絵菜が体調チェック表に目を通していると、ドアが勢いよく開いた。ノックはあったが、開けるほうが先だった。
    「絵菜ちゃん!いる!?」
    新統括リーダーになった玉野こころだった。
    「いるよ。というか、開ける前に返事待って」
    「あ、ごめん!」
    悪びれる様子もなく、こころはいつもの調子でパイプ椅子を絵菜の正面に持ってきて、ドスンと座った。
    「相談所、来ちゃった」
    「珍しいね。こころちゃんが来るの」
    絵菜はメガネを押し上げながら、少し面白がるような声で言った。二人は同期であり、1年生の頃からずっと隣で支え合ってきた仲だ。相談所のかしこまった空気は、二人の間ではあっさりと消える。
    「あのさ」
    こころは、いつもの勢いを急に落として、膝の上で手を握った。
    「統括リーダーの件、なんだけど」
    「うん」
    「絵菜ちゃんじゃなくて、私でほんとに大丈夫かな」
    絵菜は一瞬だけ、手を止めた。
    「……それ、本気で聞いてる?」
    「本気。だって、絵菜ちゃんのほうが冷静だし、話も聞き上手だし、こういう相談所だって開けるくらいちゃんとしてるし。私、統括サブリーダーの松岡くんが『私の暴走止める役』とか言われてる時点で、もう向いてない気しかしないんだよね」
    絵菜は少し黙って、こころの顔を見た。いつもの快活さの奥に、珍しく不安の色が見えた。
    「こころちゃん。一個聞いていい?」
    「うん」
    「斉賀さんが、なんでこころちゃんを選んだか、聞いた?」
    「あー……。全員がやりやすい空気を作れるから、みたいなことは、言われた」
    「じゃあ、それで合ってるじゃん」
    絵菜はメガネを押し上げた。今度は、話しながら整理するように、ゆっくりと。
    「統括リーダーの仕事って、正しい判断を一人ですることじゃないの。私や碧依ちゃんが、それぞれ専門でやってる部分を、ちゃんと機能させるための土台を作ること。心理学的に言うと、集団のパフォーマンスは、リーダー個人の能力より、心理的安全性がどれだけ確保されてるかに左右されることが多いの。こころちゃんがいると、みんな、完璧じゃなくても大丈夫って空気になる。それ、能力の話じゃなくて、こころちゃんにしかできない役割」
    「心理的安全性……」
    「うん。私にはそれ、できない。私は多分、正しさで安心させるタイプで、こころちゃんは、存在そのもので安心させるタイプ。どっちも要るけど、トップに立つ人に必要なのは後者」
    こころはしばらく黙っていた。窓の外で、早朝練習に来た1年生たちの声が、遠くから聞こえてくる。
    「……でも、正直、山口くんとか蒔田くんみたいに、ちゃんと考えて発言できるタイプじゃないから。この間も、夏バテ予防の話するとき、テンション上がりすぎて訳わかんない理屈で締めちゃったし」
    「うん、あれは正直、意味わかんなかった」
    「わ、絵菜ちゃんに言われるとダメージ大きい!」
    「でも」絵菜は続けた。
    「あのあと、グラウンドの空気、明らかに軽くなったよね。松岡くんや西田くんがすぐ突っ込んで、みんな笑って。新チームの練習で緊張していた人も平常心に戻れたし。あれ、誰にでもできることじゃないよ」
    「……それは、そう、かも」
    「こころちゃんが完璧な理論武装したリーダーになる必要は、多分ないの。むしろ、そうならないほうがいい。1年生の3人がそれぞれ、こころちゃんの周りで自分の役割を見つけられたのは、こころちゃんが『隙のある人』だったからだと思う」
    「隙のある人……」
    こころは、その言葉を反復してから、小さく笑った。
    「それ、褒めてる?」
    「褒めてる」
    絵菜は珍しく、はっきりとそう言った。
    少し間があって、こころがまた口を開いた。今度は声が少しだけ、柔らかくなった。
    「絵菜ちゃんは、コンディションケアのリーダーになって、不安になったりしないの」
    絵菜は少し考えた。
    「なる。碧依ちゃんのほうが医学的な知識は正確だし、私は選手のメンタル面しか見れないから」
    「え、絵菜ちゃんでもそれ思うんだ」
    「思うよ。でも、不安だから向いてないってことには、ならないと思ってる。向いてるかどうかは、多分、後からついてくるものだから」
    「後からついてくる」
    「うん。だから、こころちゃんも今、答え出さなくていいと思う」
    こころはしばらく黙って、それから、ふう、と息を吐いた。
    「なんか、来て良かった」
    「来てくれて良かった」
    「絵菜ちゃんは、こういう時、本当に落ち着いてるよね」
    絵菜は少し口の端を上げた。
    「こころちゃんが、思ったことそのまま言ってくれるからだと思う。取り繕われると、逆にどう返していいかわからなくなる」
    「それ、褒めてる?」
    「褒めてる」
    こころは声を出して笑った。ミーティングルームに、朝の光が少しずつ差し込み始めていた。
    こころが立ち上がりながら、ふと思い出したように言った。
    「あ、そういえば。声のボックス、絵菜ちゃんが引き継いだんだよね」
    「うん」
    「私の分の相談も、いつかあそこに入れていい?」
    絵菜は少し考えて、答えた。
    「もちろん。でも、今日話したことは、もう箱に入れる必要ないと思うよ」
    「なんで?」
    「もう、ちゃんと話せたから」
    こころは一瞬きょとんとして、それから、いつもの人懐っこい笑顔に戻った。
    「……そっか。そうだね!」
    ドアが、今度は静かに閉まった。
    絵菜はしばらくそのままドアを見ていてから、体調チェック表を手に取り直した。
    表の隅に、一行だけ、小さく書き加えた。
    ──こころ。隙のある人。それがいい。
    それだけを書いて、ペンを置いた。

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