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55.誰もかれも、我慢はほどほどにね

    私は子どもの頃から我慢強いとほめられたことがあるけれど、それは自慢にできることではないと思っています。

    我慢はほどほどがいいし、わがままは悪いことじゃないし、自分を偽って生きるより、もっと本音を自分で大切にしたいねというお話しです。

    我慢し過ぎた結果も自分に返ってくる

    今では、過去の私の我慢強さに驚いています。

    常に我慢して嫌なエネルギーを浴び続け、やりたくないことを我慢してやり続け、苦しくてもやり抜くしかないと自分に鞭打ち

    その結果やってきたのは、うつ病でしたから。

    着替えも洗面もままならず、
    布団に横になっても具合の悪さも変なだるさもとれず、
    何もできず、
    気力はかけらもなく、
    こころはおもりがついたように沈み、
    希死思念や罪悪感も一緒に波のように押し寄せる、
    そんな日々を送りたかったわけじゃありません。

    いったい私が何をどれだけ我慢してきた結果なのか、書こうとしたら手が止まってしまいました。

    もう具体的に書きたくはないという、こころの奥からの声が聞こえた気がします。

    これも虐待なんだと知ってまた救われた

    私と母の間で、子どもの頃から続いていたことで、どうせ信じてはもらえないとわかっているから、父親にも親戚にも言わないことがありました。

    他の人が強く信じている人物像と、私が見てきた母親の姿がまるで正反対だからです。

    信じてもらえなければ、私自身がさらに傷つくだけです。

    共感してもらえないばかりか、私の考え方を正そうとすることがあまりにもはっきりと予測できるので、絶対に口にしませんでした。


    ですが、同じ経験をしてきた人が少なくないことを、何年も前に知りました。

    そして最近は、あるカウンセラーさんの発信された情報から、その体験がいったいなんであったのかを知ったのです。

    本来子どものこころに寄り添うのは親の役割なのに、その逆になっていました。

    さらに最近も、知ったことがあります。
    結局私は、ある種の虐待を受けていたと言えるのだと。

    ああ、やっぱり虐待と言えるんだとわかった私は、まだ残っていた胸のつかえがまた少しとれたのでした。

    そして、素直に認めました。
    私の母親は毒親でした。
    はっきり文字にすることで、私のこころにあるモヤがまた少しはれていくのです。

    私が経験してきたことは、本当は我慢すべきことじゃなかったと、今は思っています。

    うつ病になって希死思念を抱えるくらいなら

    あの頃思い切って反抗して、本音でぶつかり合って、それでもダメなら家出でもするくらいの気持ちがあってもよかったんだなと、今なら思います。

    でも、そうできなかった自分を責めることはありません。
    あの頃の私にできるベストな選択だったのでしょうから。

    我慢し過ぎると相手の学びの機会も奪う

    「あなたが良い人でいようとして、本心を出さないのは、相手の学びの機会を奪うことにもなる」

    こんな風に言われたことがあります。

    私がいつまでも良い人ぶって良い顔をしていれば、相手は気付かず同じことを繰り返すということなんです。

    多分私は、色んな人にそれをやってきました。

    最も大きな勘違いをさせてしまったのは、母親ですね。

    本音に従ってみたら体の力が抜けてきた

    私の本音は、身体が教えてくれます。

    「こうしたいのに!」「やりたいのに!」という言葉(思考)の罠にかからず、本音に従っていくには、私の場合は身体の声に耳を傾けることが大切なのです。

    身体の声に従っていくと、最終的には様々なことがスムーズに進む結果になっていることが多く、

    なんだこんなことだったのかと、拍子抜けすることが最近は多いんです。

    考えすぎる傾向のある私が、考えすぎから脱却するためのひとつの方法とも言えますね。

    すると、体が以前よりラクだし、なんだか余計な力が抜けていくようです。

    自分でうけとめて向き合っていきます

    子どもの頃から諸々ため込み、40歳でうつ病と診断され、そこから自分と向き合う日々でした。

    過去に押し込めた感情が記憶とともに引きずり出されると、その感情を味わうしかありません。

    それは辛い経験でしたけれど、61歳の今は、こころの穏やな状態を圧倒的に長く保てるようになりました。

    こころが大きく揺さぶられても、真ん中あたりにもどるためにかかる時間が、圧倒的に短くなりました。

    それでも時々、まだ未消化な感情とそのときの記憶が出てくることがあります。

    それもこれも、全て私が選択してきた結果なので、自分でうけとめていきます。

    未消化の感情をうけとめて味わっていくのは、未来の私のさらに満ち足りた日々のためです。


    親も私もそれ以外の人も、完璧な人などいないなら、多かれ少なかれ親との関係で何かを抱え込むことは、あるのだと思います。

    みんなそうなのだからこのままでいいとは、思っていません。

    負の経験を子どもやその子どもへと引き継ぎたくはないからです。

    だからこそ、忙しかどうかではなく、自分の中で繰り広げられる思考や、湧き出る感情を、しっかり自分でみつめていくことは、これからも忘れたくないと思っています。


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    ものづくりで、自分の暮らしをクリエイトしています。私にとって、ものづくりは自己表現のひとつ。観察によって脳内を整理し、不要なものを手放してきました。その結果、やりたいことがクリアになり、行動できるように。

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