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4.もしかして私は奇跡の存在?

    命の尊さを、再認識したお話しです。

    当時の私のような人に、向いていると思います。

    • うつ病は脱したけれど自己評価はかなり低め。

    • 私はいない方がいいんじゃない?と考えがち。

    • 私には存在価値がないと、根深く思っている。

    • 人の期待に応えられなきゃ私には価値がないと、いつも考えてきた。

    あの当時の私は、こんな状態だったと記憶しています。

    私にだって価値はあるとか、生きているだけで価値があるとか、頭ではわかているつもりだけど、腑に落とし切れていない感じでした。

    あの日、師の塾(宗教ではありません)でのテーマは「命」でした。

    「考えすぎず、感じて」というのが師からのアドバイスでした。


    Q1 あなたの命のはじまりはいつからで、どの時点が終わりなの?

    その日、塾で最初に問われたのでした。
    問いに対する絶対的な正解というものは、ないと言われました。自分なりの答えを考えてみることが大切だったようです。

    私の答え:私の受精卵ができた瞬間から、この肉体が死を迎える時まで。

    Q2 あなたの命はどこからきたの?


    私の答え:両親から受け取った。

    Q3 あなたの両親の命はどこからきたの?


    私の答え:それぞれの両親から

    祖父母の存在は、合計4人。その4人の命もそれぞれの両親から受け継いだもの。
    そうやってさかのぼっていくと、気が遠くなりますね。
    何人もの先祖が繋いで繋いで繋ぎつづけた命のバトンを受け取って、私が今こうして存在し、生きています。

    奇跡のような存在

    人類の誕生はいったいどれくらい前でしょうか。
    猿人?原人?ネアンデルタール人?どこまでさかのぼりましょうか。

    現代人と同じグループといわれる新人類が登場したのでさえ、20万年前くらい前ですよね。

    いったい、何代の祖先の何人の人から私の命のバトンはつながってきたのでしょうか。
    その中の誰かひとり欠けたとしても、私の命にはつながらなかった。

    あらためてそれを思ったとき、私の体の中を、あたたかく力強いものが駆け巡りました。

    命をつないでくれた誰もが、幸せを感じていたとは限りません。
    同様に、誰もが不幸であったはずもありません。
    必死の思いで生き延びた人もいたはず。
    人生を自分の手で終わらせてしまいたいと思った人も、中にはきっといたと思う。

    この世の中にいてもいなくてもなんの影響もないかのように、軽く見ていた私という存在。
    ところが本当は、奇跡のような存在だったんだと、この時あらためて思いました。

    何ができるか、何を成し遂げたか、誰から必要とされているか、そういうことは問題ではなく、存在そのものが奇跡。

    なんだ、私に価値があるかどうかなんて、考えるまでもなかったんだと思いました。
    誰かに何か言われようが関係ない。だって、今こうして生きていることが既に尊いのだから。

    それなのに自分のことを、取るに足らない人間のように決めつけてしまうだなんて、ばかげていました。

    ああ、ちょっと待って。私だけじゃない。
    家族も、友人も
    憎い誰かも、嫌いなあの人も
    これを読んでいるあなたも、読んでいない誰かも
    世界中にいる、すれ違うこともなく存在を知ることもなくお互いに人生を終わらせていく圧倒的大多数の人も
    誰もが
    奇跡の存在だ。

    Q4 だったらどうしていきたい?

    これは、私から私への問いでした。

    私が考えたのは、以下のこと。

    毎日の何かの場面で常に、これを意識していくことなんて無理だな。
    でもこうして、一度腑に落ちたものは、頭の隅にあるから大丈夫に違いない。なんならたまに思い出そうか?

    人のことをもっと大切にしなければいけないかな?
    いやいや多分、まずは自分を大切にすることからなんだろう。
    (この時の私はまだ、「自分を大切にする」とはどうしたらいいのか、わかっていなかった気がします。)

    生きていれば人とはかかわるし、そうすればネガティブな感情も絶対わく。それはそれでよくて、その後はあれ(前回書いた記事の中の「ゆるめる」に書いたこと)を続けていくしかないな。

    こんなことを、当時考えたのでした。


    師がつくった落ち着いた空間では、素直にこんな風に考えられたました。

    だけど未熟な私が、ひとたび感情の大きな波に揺られてしまえば、そうはいきません。
    超ネガティブな思考にどっぷりつかってしまったら、これを思い出す余地もありません。
    それはそれで、悪いわけじゃありません。

    どうしようもなくつらい経験をした人や、悲しみ等のネガティブな感情でいっぱいになっている人に、この話をしたところで直ぐにどうにかなるとも思っていません。

    自分のことも人のこともどうにもできずにいる自分を責める必要はなく、やっぱり駄目な奴なんだと卑下する必要もないのでした。

    大切なことを思い出さなければいけないわけでもなく、忘れちゃいけないわけでもありません。

    一度腑に落ちた自分を信じていくだけです。
    こうして考えたということ、腑に落ちたということが、大切なのでした。






     
     
     
    ものづくりで、自分の暮らしをクリエイトしています。私にとって、ものづくりは自己表現のひとつ。観察によって脳内を整理し、不要なものを手放してきました。その結果、やりたいことがクリアになり、行動できるように。

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