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30.「わかってほしい」が「わかってもらえなくてもいいかな」になっていた

    自分と向き合うと決める前から私に強くあったのは、「聴いて欲しい」「わかってほしい」「共感して欲しい」という強い欲求でした。それに気づくのにも時間がかかりましたが。

    ところがいつ頃からか、わかってもらえなくてもしょうがないし、そこにこだわる必要はないなという状態に変わりました。なんで変わったのでしょうね。

    何をわかってほしかったの?

    私が過去に経験してきたことでどんなに辛い思いをしてきたのか、わかってほしかったんです。

    そして、それは酷いね、辛かったねと、共感して欲しかったんです。

    更に奥にあったのは、「私の捉え方は間違っていない」と証明したい気持ちでした。

    良い人でいたい、デキル人と思われたい、人間的にもよくできた人と思われたいというエゴが働くから、傷ついた自分に疑いの目を向け、苦しくなっていました。

    誰にわかってほしかったの?

    最初は、誰でもよかったんだと思います。

    暫く経ってからようやく理解しました。私は私自身にわかってほしかったんです。

    もっと言うと私自身に、わいてきた感情を否定なしで認めてほしかったんです。

    誰かにわかってもらえたの?

    夫はわかってくれました。それ以外の人はわかってくれないし、誰もこんな話は聞きたくないんだなと思い知らされることが、圧倒的に多かったと記憶しています。

    話せば話すほど、私がダメ人間認定されているような感覚でした。

    どうしたらよかったの?

    方法は複数あると思うんです。

    • 専門家にお金を払って聴いてもらう
      カウンセラーさんに頼るということですね。

      求めている聴き方は、誰にでもできるわけじゃありません。極めてネガティブで重苦しい話ですから聴く側も辛いし、聴いた人の反応によってはもっと傷つきます。
      だから、専門家に頼るのがいいんです。

      しっかり傾聴の訓練を積んできた人
      こころのしくみを理解している人
      トラウマケアに長けた人
      毒親育ちの抱える問題とその対策を理解している人
      など、そういう専門家にね。

      カウンセラーさんとの相性も関係してくると思ってます。

    • 似たような経験をしてきた人達との交流
      今は、様々な体験をネットで多くの人が発信していますから、見つけるのはそう難しくないはず。

    • 書くこと①
      書くことは、頭の整理に役立ちます。
      ブログやnoteに書くのも一つの方法。読みたくない人は読まないで済むし、共感し合える人とも出会えます。

      前進するためのヒントを発信してくれている人もいます。
      この人に聴いてもらいたいなと思えるようなカウンセラーさんに出会う可能性も、ありますね。

    • 書くこと②
      他の誰にも見せず紙に吐き出すんです。

      紙に書くのは凄く有効で、以前書いたこの記事でも、ジャーナリングを紹介してます。

      私は気が済むまで書いては、その紙をビリビリ破いて捨てていました。

    わかってほしい気持ちはどうなった?

    今は、あまりわかってほしがっていません。
    私の考え方はこうなっていました。

    人それぞれ視点が違う。こころに持っているフィルターの色が違う。

    だったら、似たような考え方の人だって、完全にわかりあえるとは限らない。お互いに微妙に視点はズレているはずだから。

    それに、見てもいないこと経験してもいないことを、そう簡単に理解できるものでもない。

    ましてや自分の経験とはかけ離れたことであればなおさら、受け入れがたい気持ちになるのも自然なこと。

    人それぞれ価値観や考え方があり、それに従って判断してる。

    だったらわかってもらえなくても不思議じゃない。私自身がわかっていればいいんじゃないか?

    優しい人、デキル人、人間的に素晴らしい人と、思われなくていいじゃないか。こんな私でも、大切な自分自身なんだ。

    誰がどう思おうが、あの頃の私にとっては辛かったし嫌だったんだから、それでいいじゃないか。
    きっと私も、人のことをわかっていないはずだ。

    どうして気持ちが変わったの?

    師から学んだ方法のCを続けるうち、自分の感情を否定せず認められるようになってきました。

    この「否定しない」ことで、私自身が救われました。

    だから、誰が話を聴いてくれるか、誰がわかってくれるか、それはたいしたことではなくなっていったようです。

    こんな風に変化した頃から、(別のことで)わかってもらえてありがたいなと思うことが増えました。

    同時に、これまで経験してきたことやそれについて考えてきたことに対する、答え合わせのような情報が、次々と目に飛び込んでくるようになりました。

    以前よりだいぶ余計な力が抜けていました。

    ただね、「わかってほしい」「共感してほしい」という気持ちが悪いわけじゃないです。とても自然な気持ちなんです。そこに執着してしまうと、自分も周囲の人も辛くなるんですね。

    私にこの気持ちはまだあります。あるけれど圧倒的にその力が、弱まってます。それでいいみたいですよ。


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    ものづくりで、自分の暮らしをクリエイトしています。私にとって、ものづくりは自己表現のひとつ。観察によって脳内を整理し、不要なものを手放してきました。その結果、やりたいことがクリアになり、行動できるように。

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