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48.バランスをとるために自分にゆるしたこと

    皆さんの期待にこたえられるように頑張ります。

    淡々とこう話す一流アスリートの言葉を聞くといつも私は、尊敬します。

    勿論、その言葉の奥にあるアスリートの思いは、人それぞれ違います。

    ただ私にとっては「期待」というものが、うんざりするような単語のひとつになってしまっていたのでした。

    そんな私が、「期待される」ということに関して、こころのバランスをとろうとした話しです。

    この内容を書くことは、私自身の恐れのひとつにあえて飛び込むことも意味しています。

    読んで誤解した人からは、ひとでなしとか、とんでもない奴だなと思われるのでは?という恐れをもっていたからです。

    師からかつて教えてもらったことのひとつ

    師から教えてもらったこういう考え方が、かつて私に今回書く気づきをくれました。

    人は、波のように揺れる存在。
    じっと一定のところにとどまることなく、常に波を描いている。

    ものごとには、陰陽両方がある。
    必ず両極があるということ。

    その中心にいればバランスが取れているのだけど、
    私たちはいつも、間を行ったり来たりしている。

    行ったり来たりしながら、バランスをとっていけばいい。

    陰陽どちらが良いか悪いかではなく、優劣もない。ただ、あるだけ。

    今もし自分が偏った場所にいて苦しいのなら、反対側に動いて中心近くでバランスをとっていけばいい。

    シーソーでどうやってバランスをとるか、考えていけばいい。

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    シーソーの反対側に思い切り傾くことをゆるした

    私がかつて、自分を追い詰めていた強く偏った思考のひとつがこれ↓です。

    「私は、人の期待にこたえなければならない。
    その期待に応えられない私には、存在価値はない。
    人の思い描いた私像の型に私がハマっていなければ、人から認めてはもらえないし受け入れてももらえない。」

    こういう考え方を強く持ってしまった原因は、今日は脇に置いておきます。

    客観的な視点に立てば、そんなバカな!と、気付けますよね。

    無意識のうちに発動する考え方の怖さが、それに気付けないことですね。

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    私の考え方が大きく偏っているのなら、その反対側を強化していくしかありません。

    ただ、あまりにも大きく傾いた思考のバランスをとるためには、極端なくらい反対側へ傾くことを自分にゆるしてしまった方がよさそうだと、思ったのでした。

    中途半端に少しずつ少しずつと加減していると、あっという間に元に戻ってしまうことは何度が経験してきましたから。

    なので私は、こう考えることを自分に許可しました。

    「人に期待するのは自由。

    だけど、期待に応えるかどうかも自由。

    期待されても、やりたくないならやらなくていい。

    相手が示した私像の枠が私にとって窮屈なら、私にはハマれないしハマらなくていい。

    期待外れと言われても、私の存在価値はゆるがない。

    私に期待した人が、期待外れだと言って抱くネガティブな感情は、本来は私にではなく期待した自身に向けるもの。

    なぜなら、その人が私を見誤っていたということだから。

    いや、本来はあなたにはできるはずだ。今回はあなたがやり方を間違えたんだ!

    と、その人が思ったとしたら、今回そうなると予測できなかったのはやはり期待した本人だ。

    私が期待されてやった何かがうまくいかなかったとしても、精いっぱいやったのなら、その努力は私自身が認めるべきだ。

    改善は、その上ですればいい。

    やりたくもないのに期待されたからやったなら、うまくいかなくても何の不思議もない。

    やりたくなくてもやり始めたら一生懸命やるなんて、この私自身がわかりきっているじゃないか。」


    こんな風に考えてバランスをとっていくことは、今後の私にとって大切なんだと、あるとき気づきました。

    そうでないと、誰かがかけてくれる「期待」というものが持つ輝きを、私には見えないままになってしまうんです。

    誰かが私を認めてくれているということを、受け入れられませんからね。

    さらに、「期待」というものが与えてくれる私の可能性を、自分でつぶしてしまうことにもなります。

    自分では気づかなかった私の可能性を無視することになり、成長や新たなチャレンジのチャンスを自ら潰してくことになりますからね。

    ふとこんなことを思い出して、noteに書こうと考えていたら、今朝こんな動画をみつけました。

    これを見たら、さらに吹っ切れた感がありました。

    同時に思ったんです。

    私が誰かに何かを期待していると気づいたとき、その期待する気持ちの奥にあるものに気付いた方がよさそうだなと。

    期待するのもされるのも、出てきた感情のその奥には、自分の持っている価値観や考え方が隠れています。

    私がこころの奥でずっと叫び続けていた「私の気持ちも考えて」という言葉は、私から私自身へ向けられたものでもあるんです。

    だから私は、人には見せたくないような本心も、自分で認めていくんです。


    ふうとはこんな人↓

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    ものづくりで、自分の暮らしをクリエイトしています。私にとって、ものづくりは自己表現のひとつ。観察によって脳内を整理し、不要なものを手放してきました。その結果、やりたいことがクリアになり、行動できるように。

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