
第3章 産後と意味づけの時間②【「がんばりすぎちゃったんだねぇ」】
《“怒り”の奥にあった、ほんとうの望み》
「おはな胎盤つんつん説」は、
我ながらファンキーでちょっと笑える発想だったなって、今でも思う(笑)
でも実はこれ、
2人の助産師さんとの出会いがきっかけだった。
ひとりは、出産当日、
駐車場まで迎えにきてくれて、
私の分娩を助けてくれたベテラン助産師さん。
その方と再会したのは、翌日のお昼過ぎ。
ちょっとだけ揺れた地震のあと、
「大丈夫ですか〜?」って様子を見に来た助産師さんたちの中に、あの方の姿が見えた。
「昨日の、あなたなのね」
そう声をかけてくれて、すぐに気づいてくれた。
私も「もしかして、娘を取り上げてくれた方ですか?」と聞いた。
「あなたのカルテを何度も見返したんだけど、
でも、異常は見当たらなかったの」
そう言われて、
「……そっか、そうだよなぁ」って思った。
正直、
なんであの夜、
もっと早く来てって言ってくれなかったの?
って、ずっと思ってた。
でも、何度もカルテを見てくれてたって知って、
心の中で握りしめてた“怒り”を、
そっと胸の奥に押し戻した。
それからその方は、妊娠出産は、いまだに科学的に解明されてないことも多いこと。
赤ちゃんが水子として旅立つとき、まだ肺呼吸してないから、心臓が止まっても苦しくないと言われていること。
⸻そんな話も、丁寧に伝えてくれた。
私はどうしても知りたくて、
「娘は、出てきたとき、どんな様子だったんですか?」と聞いたとき、
へその緒が、たすき掛けのようになっていたと教えてくれた。
自分の想像できなかった情報を、手に入れた瞬間だった。
「産後すぐなのに、こんな廊下で話しちゃってごめんなさい。」
そう言われて、
ああそうだった、私、まだ産んだばかりなんだって思い出した。
それくらい、夢中になってた。
そのまま病室に移動して、たっぷり時間をかけて話してくれた。
⸻もし、もっと早く病院に来ていたとしても、おはなが助かっていたかはわからないこと。
⸻もし、障害があったとしても、生きていたらきっと愛しくて、全力で守ろうと思っただろうこと。
「あなたは、頑張りすぎちゃったんだねぇ」
って、優しく言われたとき、
私の中の何かがちょっとだけ緩んだ。
それまでは、おはなのことも、自分のことも、
ずっと責めるしかなかった。
でもあの一言で、
本当はきっと私は、
「誰かを責めたい」のではなくて、
「あなたもよく頑張ったね」って、
ただそれを言ってもらいたかったんだと気づけたんだ。
《あの時、すでに始まっていた》
助産師さんの会話が終わってからも、私はぼんやり考えていた。
あの夜のこと。
深夜2時の出血。
ナプキンを何枚も取り替えたこと。
「おしるしだと思ったんですけど…」って伝えた私に、電話口の助産師さんは「とりあえず様子を見ましょう。」と言った。
だけど産後、“高位破水”の可能性があったことを聞いて、「あのとき、もう破水してたんだ」って、ようやく気づいた。
その事実が、じわじわと心に沈んできた。
あの瞬間、私は“何かが起きてる”って、
本当はうすうす感じてたのかもしれない。
でも、「準備はしてたし、病院にも電話したし、大丈夫なはず」って、自分に言い聞かせてた。
結果的に、異常と認めることができなかった。
だからこそ、今でもふと思い出すたびに、
胸の奥がザワザワする。
⸻あれが、
すべての始まりだったんじゃないかって。
《生きていた時間に、もう一度ふれる》
もうひとりは、妊娠中に参加した母親学級の講師だった助産師さん。
おはなの3Dエコーも、時間をかけて、
何度も何度も角度を変えながら、丁寧に撮ってくれた人だった。
偶然なのか、
入院中も私の担当をして下さっていたので、
足形を取るときも、おはなを見送るときも、
この方が来てくれた。
「娘が、3Dの写真と同じ顔をしていて、嬉しかったです。あのとき諦めずに撮ってくださって、本当にありがとうございました。」
普段、あまりにもたくさんの妊婦さんと接しているのだろうか。最初はピンときていない様子だったけど、やがて思い出してくれて、
あとから、
“データまだ残ってたので、見られますか?”
って連絡をくれた。
それから特別に、旦那さんも一緒に診察室に入れてくれる配慮もしてくれた。
スマホで動画を撮りながら、
もう一度、あの日のおはなに会った。
おはなは、大きなあくびをしたり、口元に手を置いてパクパク動かしたり、なんだかずっと口を動かしてた。
その映像を見つめながら、
旦那さんの目からスッと涙がこぼれた。
私はそれを、隣でそっと見ていた。
彼が、「お腹の中で、ちゃんと生きていたんだな。」って言った言葉にはっとした。
あの時間はきっと、旦那さんにとって⸻
「おはなは、ちゃんと生きてた」って、
心から実感できた、数少ない時間のひとつだったに違いない。
ずっと口を動かしているおはなを見て、
「口がさみしいのかもしれないね。やっぱり、私たちの子だね。」
なんて2人で笑いあった時間も、
これから前を向いて歩いていかなくちゃいけない一歩を踏み出すのに、
すごくすごく大切な時間だったと、振り返って思うんだ。
《意味を、私たちが作る》
退院してから、ふと思いついた「おはな胎盤つんつん説」。
この助産師さんたちがいなかったら、思いつけなかったと思う。
ちょっと笑えるけど、私にとっては本気の考察だ。
あの夜のことを思い出すと、今でもやっぱり、
「もっとこうしていれば」って思う自分がいる。
でも、あれは確かに、私とおはなが命をつなごうとした時間だった。
必死で、
真っ直ぐで、
愛にあふれた時間だった。
「私とおはなは、本当によく頑張った。
できること、やりきった。」
⸻そう思えたとき、ふと浮かんだのが、“あの説”だった。
何度も何度も考えて、
言葉にして、
繰り返していくうちに、
この“説”は私の中で確信になっていった。
私はもう、
あの夜を「悲しいだけの出来事」とは呼ばない。
あれは、
私とおはなが、
一緒に命を生きた時間だったから。