
第3章 産後と意味づけの時間④【おはなの色は、やっぱり黄色だった】
おはなを火葬した帰り道。
車の窓の向こうに、
ほんの一瞬だけ現れた菜の花畑。
それは、まぶしいくらいに黄色くて、
やさしいあたたかさでそこに咲いていた。
わたしたちは、おはなが笑っているような気がした。
おはなのイメージカラーは黄色。
そのときはまだ、
“おはなのイメージカラーが黄色”
なんて、決まってなかった。
でもあとから思い返すと、あの頃、私たちのそばには、さりげなく黄色が登場してた。
最初に気づいたのは、あの花屋の親父さんが作ってくれた、渾身の花束だった。
ふたりでおはなに贈った、初めての花束。
その中に入っていた黄色いチューリップが、
最後までしおれずに、元気に咲いてくれていた。
火葬の日にお義姉さんからいただいた花束の中にも、黄色いガーベラが入っていて。
それも、最後まで元気に咲いてくれた。
そして思い返してみれば、妊娠中からも、黄色はそばにあったんだ。
ハンドメイドが得意な私の母は、
甥っ子や従兄弟の子どもが産まれるたびに、
スタイを作ってプレゼントしていて、
孫であるおはなにも、3枚のスタイを縫ってくれた。
• 淡いピンクのドット柄。
• 黄色のパンダ生地。
• レモン色の、ほんの少しレースの入った生地。
「産まれたら使おう」って、大切にしまってあった。
おはなを棺おけに納めるとき、私たち夫婦で選んだ洋服と一緒に、母の手作りのスタイも入れてあげた。
「女の子だし、いちばん似合いそうかな」
って思って、自然とピンクのスタイを選んだ。
そうして手元に残ったのが、
黄色のスタイ2枚だった。
おはなを入れていただいた
遺骨ケースも、不思議と黄色だった。
おはなを火葬した日のこと。
乳幼児の火葬では、
骨が残らないかもしれない⸻
そう聞かされていた私たちは、運よくその日の一番早い時間に予約が取れたことで、ほんの少しだけ希望を持っていた。
でも同時に、ちゃんと覚悟もしていた。
待っている時間は、
長くて、
苦しくて、
本当に地獄みたいだった。
それなのに⸻
迎えに行ったおはなは、大腿骨も骨盤も、ひと目ですぐにわかるくらいしっかりと残っていた。
あまりに立派な姿が嬉しかった。
さらに「これ……もしかして歯ですか?」
と私が尋ねると、スタッフの方が丁寧に答えてくれた。
「はい。生えてくる予定だった乳歯ですよ」
思わず「歯まで残ったの!?」って声が出るくらい驚いた。
何より、ほっとしたのを覚えている。
おはなの“存在”が確かにそこにあったこと。
そして、自分がその現実をちゃんと受け止められたこと。
どちらにも、私は深い安堵を感じていた。
火葬が無事に終わって、私たちは「一緒にドライブできたね〜」なんて話しながら、おはなを自分たちの車に乗せて家に帰った。
途中で彼が、「俺の運転が荒かったから、おはながぶてくされちゃったんじゃないか説」を語り始めて、
私も負けじと「おはな胎盤つんつん説」を熱弁して。
車の中は、ずっと笑い声でいっぱいだった。
でも、その空気がふと落ち着いた瞬間、私は思った。
⸻なんで、おはなは死んじゃったのかなぁ。
そのときだった。
住宅街の中、
突然、窓の外に広がった黄色い景色。
ほんの一瞬だけ現れた、
まぶしいくらいの菜の花畑。
「あ、キレイだね」
運転席の彼も、後部座席の母も、同時にそうつぶやいた。
まるでおはなが、「大丈夫だよ」って笑ってくれてるみたいだった。
その後、なんとなく遺骨ケースに、母の手作りスタイをつけてみた。
骨になったおはなが、ふんわり愛らしく見えた。
おはなのそばには、黄色いチューリップとガーベラ。
「あれ?……おはな、完全に黄色コーデじゃん!」
その瞬間、車窓にひろがった菜の花畑の景色がパッと蘇った。
おはな胎盤つんつん説を思いついたときと、同じくらいの衝撃。
だから、私たちは決めた。
「おはなは黄色が好きってことにしよう!」って。
“黄色は元気カラーだし、私たちも元気になれるしね”……なんて理由も添えながら(笑)
それからは、自然と黄色が集まってきた。
おはなのそばに飾るお花も。
ゲーセンで仲間入りしたダック隊長たちも。
大阪旅行の射的でゲットした、黄色い恐竜のフィギュアも。
おはなのまわりは、今日も⸻
やさしくて、
あったかくて、
ちょっと笑えて、
元気になれる
黄色であふれてる。