
第1章 妊娠②【名前という祈り】
「ねえ、名前どうしようか?」
お腹の中に命を感じるようになって、
自然と赤ちゃんの名前の話をすることが増えた。
「何か思いついた?」
「うーん…思いつかないなぁ。」
そんなやりとりを、何度も何度も繰り返した。
候補を探すのは、どちらかといえば私の担当みたいになっていたけど、それもなんだか私たちらしいなって思っていた。
そのうち、彼が私の提案に「いいね」って返してくれるようになって、
ふたりで一緒に名前を探している感じが、すごくあたたかかった。
私は名前の候補を思いつくたびに、スマホで姓名判断のサイトを開いて調べてた。
“漢字の意味” “画数” “運勢”⸻
検索履歴がいつの間にか名前だらけになった頃、ふと目にとまった名前があった。
波奈(はな)
“花”のようにかわいらしく、
“波”のようにしなやかで。
その響きが、すっと胸に入ってきた。
「これは…いいかも」って、胸の奥がふわっとあたたかくなる感覚。
それまでに見てきたどの名前よりもしっくりきた。
旦那さんに伝えると、すぐに「いいね」って返ってきた。
そのときの声のトーンも、表情も、ちゃんと覚えてる。
うん、これがいいかもしれないねって、
自然に旦那さんと私の空気が重なった。
でも、最終決定は、赤ちゃんの顔を見てから、「やっぱりこの子は“波奈”だ。」って思えたら、そのときはこの名前にしようって、
静かに決めた。
“はな”はいつしか“おはな”になって、
私たちはその胎児ネームで毎日呼びかけるようになった。
「おはよう」「行ってきます」「ただいま」「おやすみ」
おはなとの挨拶が、夫婦の間でごく自然な日課になっていた。
そして、あるとき気づいた。
「おはな」って、ハワイ語で“家族”って意味なんだって。
呼びかけていたその名前が、偶然にも“家族”を意味していたなんて⸻
私たちは、知らず知らずのうちに、おはなとの家族の時間を育んでいたんだ。
ふたりで「すごくいい名前だね。」って、何度も言い合った。
…本当に、いい名前だなって、
私も今でも思ってる。
でも、どうしても、
ひとつだけ悲しかったことがある。
それは、死産だった場合、戸籍に名前が残らないっていう事実だった。
「家族なのに、いないことにされちゃうの?」
おはなを出産したあと、
その現実を知った瞬間、時が止まった。
その絶望は、私の心をさらに深く沈めていった。
たしかにおはなは、息をして生まれてきたわけじゃない。
だけど、私たちにとっては⸻
お腹の中で一緒に過ごして、名前を呼んで、想いを伝えて、愛してきた、
“ちゃんと生きていた”存在だった。
なのに「名前が残らない」と言われると、
おはながこの世にいたことまでも、無かったことにされてしまうような気がしたんだ。
戸籍には残らなかったけど、
私たちは今も、日常の中でおはなの名前を呼んでいる。
「残す」って言葉じゃ、
表現しきれないくらい、
おはなの存在は、
当たり前に“ここ”にある。
記録に残らなくても、
名前を呼ぶたびに、気持ちを向けるたびに、
私たちはちゃんと「家族」として過ごしてる。
それはたぶん、“決意”というより、
ただ、自然と、そうしてしまうっていうこと。
「おはよう」「ただいま」は各々で、
「行ってきます」「おやすみ」は毎日ふたりで声を揃えて。
ときどき、おはなに向かって「大好きだよー」って声をかける。
祈りのように、願いのように。
でも何より、“ただ、そこにある愛”として。
波奈という名前は、
私たちの祈りであり、誇りです。