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幞犏ず䞍幞の総量


人生の䞭で、幞犏な時ず䞍幞な時、どちらが自分の人生においお比重が高い倚いず思いたすか

ここ数幎、思うのです。
人生の幞犏ず䞍幞の総量は同じではないかず・・・

䜕 蚀っおんだ⁉
ず思った、そこのあなた。少しだけ耳目を貞しおください。


私の人生の若い時代は䞍幞の連続でした。
寂しくお寂しくお誰かに頌りたくおも頌る人もいない。
そんな日々が長く続きたした。

時代は過ぎ、たたに悲しいこずがあっおも日々ずっず䞍幞だず思わなくなっおいった。

そしお、こう思うようになった。

人生においお、幞犏な時間ず䞍幞の時間の総量は案倖同じなのかもしれない。
それは単玔な足し算ではなく、感じ方の深さずいう重さを持っおいるのだろう。



長く続く悲しみの䞭では䞀瞬のやさしさが胞に沁み、苊しみがなければ決しお気づけなかったぬくもり。
逆に幞犏の䞭にいるずきには、それが氞遠に続くず信じ、ありがたみを忘れおしたう。

䞍幞の底を知る人ほど、幞犏の光を深く感じ䞍幞の圱を恐れずに歩ける。

幞犏ず䞍幞は互いに支え合う察の存圚であり、どちらか䞀方が欠けおも人生ずいう均衡は成り立たないのだろう。


幞犏の裏には䞍幞の因があり、䞍幞の䞭にもたた幞犏の芜が朜んでいる。
因果ずいうものの深い働きがある。


たずえば、病を埗お苊しむ人がいる。
その苊しみの䞭でこそ、人は呜の尊さを知り他者の痛みに心を寄せる。
たた倱うこずを通しお初めお、持っおいたものの有難さに気づく。

もし人生に䞍幞がなければ、幞犏を「幞犏」ずしお感じる心さえ芜生えないのではないか。

苊も楜も共に人を育おる瞁であり、切り離しお蚈るこずはできない。


その均衡を厩すのは出来事ではなく、それをどう受け取るかずいう䞀人䞀人の心。

幞犏も䞍幞も、もずは同じ氎面に映る光ず圱。
ただ、その揺らぎの䞭に生きるずいうこずの深さが宿っおいる。


長い人生を振り返れば、あの時の悲しみがあったからこそ、いた穏やかに笑えるこずがある。

あの別れがあったからこそ、いた誰かを倧切にできるこずがある。
そしお思う、幞犏ず䞍幞の総量は始めから等しかったのだず。



それでも、“私はずっず幞せです” ず蚀う人もいたす。

その人たちも、䞍幞が存圚しない䞖界に生きおいるわけではない。
むしろ䞍幞を䞍幞ずしお認識したうえで、それに呑み蟌たれない心の眮き方を知っおいる人たちです。

理䞍尜なものを、矎化しない。
その䞊で、
「それでも、私はここに立぀」ず遞び盎す力がある人。


先倩的な才胜で、䞍幞を䞍幞ず捉えずに過ごす人。
深い䞍幞や寂しさを通過した人。

どちらがどうずいうこずではなく、たしおや珟実逃避した人ではなく、どちらも珟実を盎芖した人の蚀葉だず思うのです。




䞀昚幎、䞋半身麻痺ずいう珟実に盎面しお、「なぜ私がこんな病気に  」ずいう気持ちよりも、本圓に苊しかったのは、「病気の正䜓が分からない」「治療できない」ずいう宙づりの時間だった。

身䜓の痛み麻痺よりも意味の分からなさに耐えられず、方向が芋えない䞍安に最も気持ちが消耗された。


もし人生が䞍公平で、䞍幞が理䞍尜に偏っお降り泚ぐものだず思っおいたら、
「なぜ私が・・・」ずいう蚀葉を発しおいたこずでしょう。


「起きおいる」ずいう事実をそのたた匕き受け、
その䞭でどう圚るかを、静かに遞んでいるだけ。


遞ばない自由も含めお。



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