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259.みんなの幸せって何?みんなの不幸って何?教えて!

    coucou@note作家

    1.しあわせに生きる


     ねえ、みんな!

    みんなの幸せって何?

    みんなの不幸って何?

    幸せって何ですか?

    不幸ってなんですか?

    教えてください!

    先日、ある会で幸福度についてのお話があった。

    coucouさんは、その講師の方に「あなたは幸せですか?」と質問したら、
    即座に「はい、しあわせです!」と答えたので、それを聞いたcoucouさんは、この人は本当に幸せで、充実した人生を送っているんなんだなあ、と感動した。

    なぜなら、多くの人たちが現状に不満を持っていて、他人の批判や悪口、政治や国のせいにした話ばかりをするからだ。

    coucouさんは、素直に「はい、幸せです!」とは答えられないかもね。

    このcoucouさんの問いに、すぐさま答えた講師は、きっと私のようなひねくれ者ではなく、何事も素直に思える人なのだと思う。

    この時、coucouさんとは違うひねくれた人がもう一人いた。

    幸せに対してその人は、「幸福度は人によって違うし、感じ方も異なるものだ。ましてや幸福度を数値で表すことは無理なこと。幸せは、ないと思えばなく、あると思えばある。不幸も同じで、幸せも不幸もないものであり、あるものだ・・・云々」と話していた。

    確かにその通りかも。

    幸せな人は幸せであることに気づかず、逆に不幸な人は、不幸だからこそ幸せがわかるということもあるからね。
    また、幸せにどっぷり浸かっていても、その幸せを感じられる人もいる。

     でも、現実的には、他者や社会に不平不満を持つ人、自分の知識を見せびらかす人、自慢する人、人の意見を素直に聞き入れない人、危機感や不安ばかりを与える人、人を傷つける人、人の気持ちがわからない人、愚痴や不満だらけ、悪口や批判、上から目線でいばる人、自分の意見を押し通そうとする人、感謝のない人などが多く、そうした人たちは不幸のカタマリともいえるでしょうね。

     

    なぜなら、そのような人の周りには人が寄ってこないからです。
    よく、友だちがいないとか、本音で話すことができない、人を信用できない、という人たちの共通点ですね。

    毎日が苦しいとか、寂しいとか、不安だらけだという人は、残念ながら幸せに生きることができない。いつもひとりぼっちの人にはこのような反射が起きているから。

     

    これでは人生が楽しいはずもない。
    日々を楽しく生きることも不可能かも。

    でも、考え方を変えることができれば、不幸を幸せに変えることができるはず、今の幸せをさらに大きくすることができる。

     

    「幸せも不幸もこの世にはない……」という仏教の教えのような「無」は、「あの世もこの世もない」というのと同じで、「ないと思えばない、あると思えばある」ならば、「有(ある)と思えばある」ということになるね。

    幸福度は人によって違うし、不幸度も数値で表すことはできず、見ることもできず、本人ですらわからないのだから、という考え方もありますが、coucouさんは、たとえ主観であっても「有(ある)」と思えれば良いと思うのです。

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    ©NPО japan copyright association Hiroaki

     

    2.ものごとはすべて主観的に判断する


     「幸福度」「不幸度」のいずれもその人の主観的な考え、思い方なのだから数値で表すことは不可能だという。

    でもね、本当に数値で表すことは不可能なの?

    私たち人間は、見えないもの、見えないことを信じることができないのでしょうか?

    例えば、空気の重さ、湿気の重さはわかりませんね。
    人の思い、愛情、友情、気持ちなどもわからない。
    けれど、それを感じる人の主観でなら計れるはずだ。

    これと同じで、物事すべてはその人の主観で決まりますね。
    身体の痛みなども同じで、脳からの命令がなければ痛みは感じなくなる。

    会社経営なども同じ。固定経費、通信費、交際費、租税公課、人件費、支払、その他に仕訳けをする。お金には名前がありませんから、そうすることで何にどのような費用が発生したのか、無駄な経費や支払い分析、原価計算ができなくなる。そして、本当の利益もわからなくなる。

    それでは困る…

     病気の場合は、さまざまな検査をして身体の状態を調べる。
    血液検査では血圧、血糖値、尿酸値、脂肪値、タンパク質などの数値で病気を判断できる。

    会社経営の数値などは会社の数字によって内容がそれでわかり、病院の検査の数値によって身体の内容がわかる。

     でも、血糖値が高いからといって必ずしも糖尿病になるわけではありませんし、会社の借入金が大きすぎるからといって必ずしも倒産する訳ではないのですから、分析したり、治療するための判断材料としての「参考数値」にすぎないものですね。

     ただ、これらは人の目に見えない、感じないもの。
    これらもないものだ、あるものだ、必要のないことだ、という人もいますが、必要な人にとっては大切な判断材料となるはずだよね。

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    ©NPО japan copyright association Hiroaki

     

    3.数字は生きているいのち


     数値は、そのものを見ている限りでは、ただの数字だ。

    その数字に感情や、その人の思いや考えなどなく、単なるその場の結果だという税理士さんがいた。

    coucouさんがその人に「数字だって生きているんだよ」と言いましたら、笑われた記憶があります。

     

    数字ばかりを扱うその税理士さんの口癖は、「飲み屋さんに行って酒を飲んでもどうしても酔えない」という。

    そこで、「どうしてですか?」と質問したら、

    「この一杯を飲んだら800円、5杯飲んだら4000円、コンパニオンの女の子に酒を一杯飲ませたら1000円・・・」と計算してしまうからだという。

    「これは職業病だね。この店の客席は20席。客単価は1人当たり約3000円、1日1回転したら60000円、月当たり180万円くらいの売り上げとして、家賃、人件費、光熱費は・・・」と、ついつい考えてしまい、これでは酒を飲んでも酔えないというのだ。

     この税理士の先生は無意識に「不幸度」の計算をしているのです。

    coucouさんは笑われましたが、まさに「数字は生きている」じゃあないですかね。
    ならば飲みにいかなければ良いのですが、夜になると寂しくなって、飲み屋を徘徊するサラリーマンと一緒だよね。
    楽しければ良いし、つまらなければやめればいいのに。
    でも毎晩徘徊するのだから、その言葉とは裏腹に憂さ晴らしができているのかもね。

     

    coucouさんはもう一度、「あなたの幸福度は?」と、その弁理士の先生に質問をしました。

    すると、「酒もうまくないし、いい女もいないから不幸度は500%だ!」と答えました(彼は100%を上限としています、だから不幸度が高いという意味)

    「そう、不幸なんですね・・・」と、私は思わず言った。

    その後も彼は従業員が退社してしまったこと、新しい社員が使えない、社内の空気が悪い、人間関係がうまくいかない、仕事がつまらない、彼女が欲しいなど、自分の不幸度を自慢していた。

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    ©NPО japan copyright association Hiroaki


     4.10段階の区別

     

    目に見えないもの、見えないことを数字で表すのは無理だといわれている。

    確かに、「幸福度」「不幸度」などを数字で表すのは無理なことかもしれませんが、「幸せは、あると思えばあり、ないと思えばない」のであれば、「有(ある)」と思えば良いのであり、ないと思う人にはなく、各人の自由でです。

    coucouさんの場合は「有(ある)」と考えて判断をし、人付き合いをあえて度数でとらえている。
    人は誰も好きな人もいれば、嫌いな人もいますからね。
    そして、この好き嫌いも主観だから。

     

    自分が嫌いでも相手が好いてくれる場合もあるように、自分が好きでも相手は嫌いだというのと同じ。
    人は物事のすべてを主観でしか判断できない動物なのですから、それも自然なこと。
    ただcoucouさんは、主観を自分の好き嫌いだけで判断してしまうと誤る恐れがあるので、数値で考えるようにしているんだ。

    例えば、嫌いな人(自分だけの主観)の場合は、1~10段階に分けている。よほどの人でない限りマイナスはない。マイナスがあった場合は、付き合わなければいいだけだから。

     Aさんは3のつき合い、Bさんは5のつき合い、Cさんは8のつき合い、といったようにランク付けをしている。

    ただし、このランクは自分だけの基準なので、Bさんは相手のことを理解することに欠けているがこんな良い所がある、Cさんは口うるさいけど優しい面もある、というように考えて10段階の何れかでつき合うようにしている。

     

    その理由は、私が10だと思っていても、相手は私を1や3の場合だってあるから。また、相手が望んでいないのに関わり過ぎても迷惑をかけますし、何よりも相手が嫌がることを押し付けたくないからね。

     

    もう一度いいますが、この度数はcoucouさんの主観での判断です。

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    5.幸福度、不幸度の計り方


     主治医が、手術後のcoucouさんに、
    「現在のあなたの痛みは、一番痛いときが10だとしたら、いくつですか?」「それは我慢できる痛みですか?我慢できませんか?」
    と質問しました。

    痛みは主観ですから痛いと感じれば痛く、痛いと感じなければ痛くないのですが、手術後の痛みは人によって度合いが違う。

    そのため、患者から痛みの度合いを聞きながら治療方法や薬を処方する。
    医者でも患者の苦痛はわからないので、本人の主観が下した痛みの度合いを判断材料にするんだね。

    その質問をされたとき、coucouさんは痛いというのは恥ずかしいことだと思い、「我慢できる痛みです」と伝えたため、一晩中、痛みに苦しんで眠ることができなかったことを思い出す。

    それ以来、オーバーに伝えた方が良いと思って、痛みが5であっても、6か7で伝えるようにした。
    自分でも痛みの尺度がわからないので人体実験をしている。

     

    coucouさんは、このときから物事を「度数」で考えるようになりました。自分の痛みでさえ、自分にもわからないのだから、他人である医者がわかるはずもない。ならば、自分の基準を作っておけば、自分の主観で度合いが計れるだろう、と思うようになった。

     今日はなんだか気分が悪いので「精神状態は4」、「身体全体の痛みは8」、「痛みが激しくて眠れず、苦しくて我慢できないなら10」、「今日の幸せ度は8」、「不幸度は8」、「嫌な思いが6」、「良い気分だから10」、「不幸度8」なのはなぜだろう?「不幸度4」なら、まあまあ。

     このように自問自答を繰り返す。

    他人に伝えるわけではありませんので、すべて自由、常に「原因=結果」が付いて回る。苦しいと思う場合にはその苦しい原因があり、哀しい、寂しいなどにも原因があるからね。

    わかって欲しい、わかってもらえない、などというのも自分に原因がある。

    このように、自分が感じる度数を基準にして調整ができるようになった。

     

    また、相手とのつき合いを10と主観がとらえたた場合、10でないと腹が立ったり、頭に来たり、怒りを覚えたりする。
    相手が自分に対して過剰な信頼を寄せていれば、その信頼通りでない自分に不満を持つはずですね。

    ですから、人のつき合いも浅すぎず、深く入りせずの中間値が良いと考えている。

     私には男性と女性2人の親友がいますが、その2人とも私にとっては100なのです。基準の最高値は10なのですが、それを越えた100というのもある。こんな風に数値で考えるつき合いも楽しいものです。

     

    さて、今のあなたの「幸せ度」はいくつですか?

    さて、今、あなたの「不幸度」はいくつですか?

    さて、あなたの友人の度数はいくつですか?

    さて、あなたの愛する人の度数はいくつですか?

     

    これも、あなたが幸せになるための基準であり、方法です。



    では、また明日ね!


    ありがとう、みんな~





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