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金より銀が好きな理由。※競争が苦手な君に

    君の目の前には1kgの金塊と、そして全く同じく1kgの銀塊があるとしよう。
    いまの相場では、同じ1kgなら金塊がおよそ2,500万円で、銀塊は40万円とちょっとだろうか。
    どちらかひとつだけ、持ち帰っても良いと言われたら、大抵の人は考えるより早く金を手に取っていると思う。

    無論、俺もそうである。

    40万円を選んだところで、格好がつくのはエッセイの中だけだ。数千万の大金を前にすると、美学は案外あっさり売られてしまう。

    おい、タイトルでは「金より銀が好き」だとか鼻高に語っていたじゃないか、とツッコミを入れたくなるのはわかる。

    でも、それはもう少しだけあとにしてほしい。

    俺が好きなのは、金の値段ではない。銀の値段でもない。

    あ、いや、金の値段は好きなんだけれども。

    もっと単純な話だ。
    アクセサリーを選ぶなら、時計を選ぶなら、車のホイールを選ぶなら、ペンを選ぶなら。

    俺はほとんど迷わず銀色を選ぶ。

    なぜなら金より銀のほうが好きだからだ。

    ある日、古着屋でアクセサリーを眺めていると、店員に「日本人は金のほうが肌に馴染みやすい」なんてことを言われた。
    それでも俺はその道の専門家を前にして、自分の人差し指にはめていた銀色のリングをこれ見よがしに突き付けた。
    それくらい、俺は銀が好きなのだ。

    金と銀を比べると、多くの人は真っ先にメダルを思い浮かべるのではないだろうか。

    金は一等賞。

    銀は二等賞。

    俺だって一等を目指したことくらいある。

    けれど、不思議なことに「金色そのもの」へ憧れた記憶はあまりない。

    俺にとって金は、一番という意味を背負わされすぎた色に思えた。

    それは決して悪いことではない。

    むしろ、誰かが一番を目指し続けたからこそ、今の豊かさがある。

    ただ俺は昔から、「一番だから好き」という価値観だけは、どうにも肌に合わなかったのである。

    先に金は一番を背負っていると言ったが、じゃあ銀はどうだろうか。

    もちろん二番手のイメージは付きまとう。
    それでも俺は、もっと銀という色の性質だったり、美しさに目を奪われてしまう。

    冷たくも見えるし、清らかにも見える。
    刃物のようでもあり、月明かりのようでもある。
    重厚にも軽快にも見える。
    銀という色は、一つの意味に収まらない。

    これは完全に主観だけれど、共感してくれる人がいると嬉しい。


    思えば、
    「一つの意味に収まらない」
    という在り方そのものが、俺には居心地よかったのかもしれない。

    一等賞や二等賞なんて話をしたけれども、その実、俺はむかしから競争が苦手だ。

    遡ること二〇年。

    始まりは幼稚園の遊び場だった。

    そこで園児は、二つの遊びに分かれるのがお決まりだったりする。

    片方は、じゃんけんで鬼を決めて追いかけ合う。

    もう片方は、泥団子を皿に盛りつけたり、見えない玄関をつくったりする。

    これはあくまで体感だが、男児は決まって前者を選ぶことが多かった。

    だから俺もよく走っていた。

    だけど、背中にタッチするために手を伸ばすよりも、泥団子に葉っぱを添えて「どうぞ」と差し出す方が、どこか楽しかった。

    あまり大きな声では言えないが、当時のおままごとなら、誰よりも上手かった自信がある。

    少しだけ成長した俺は、友達の家に集まってゲームばかりしていた。

    流行っていたのは『マリオカート』か『大乱闘』。

    もちろん俺も遊んだ。

    だけど思い出すのは、自分が一着でゴールした瞬間ではない。

    友達同士が白熱したレースを繰り広げるのを手に汗握って眺めていた時間だった。

    大乱闘でも、友達同士で殴り合うより、鬼のように強いCPUを皆で倒した時の方が、ずっと興奮した。

    当時は、それが普通だと思っていた。

    競争が嫌いだなんて考えたこともない。

    ただ振り返ってみると、俺は昔から「誰かに勝つ遊び」より、「誰かと何かを作る遊び」の方へ、自然と足が向いていたように思う。

    やがて高校生になったころ、なんとなく自分に芽生える競争への苦手意識は、いよいよ大学受験という場で顕になる。

    クラスなんて村社会もいいところで、誰がどの大学を目指しているのかなんて筒抜けだった。

    仲の良い友人らと模試の判定を見せ合うのは日常茶飯事で、偏差値というあまりにも分かりやすい優劣が突き付けられた。

    決まって友人は言う。

    「俺の勝ち」

    その言葉に文系も理系も、目指す大学も関係なかった。

    たった一桁の偏差値。

    されど、その一桁は驚くほど人の心を揺らす。

    もちろん悔しかった。
    それを糧に机へ向かった日だって数え切れない。

    そして受験は終わった。

    見事、第一志望には落ちた。
    見事、第二志望にも落ちた。
    第三志望の滑り止めにようやく引っかかった。

    でも、不思議だった。
    あの時間を思い返すと、強く残っているのは「勝った」「負けた」ではない。

    互いに同じ問題集を解いて、分からないところを教え合って、同じ未来へ向かって必死にもがいていた時間の方なのだ。

    そして大学であれこれと過ごすうちに、ぼちぼちの企業に就職して、いまに至るわけで。


    会社員になって思う。

    競争が苦手であり続ける以上、この資本主義は少しだけ息苦しい。
    社会は、咄嗟に金へ手を伸ばしがちだ。

    売上。

    利益。

    年収。

    昇進。

    どれも数字だ。

    数学はずっと苦手だったけど、数字は簡単だ。

    人を比べるには、あまりにも。

    だから俺もまた、
    その物差しを毎日のように使って仕事をする。
    少しだけ息苦しいと思っている社会の、片棒を担いでいるのだ。

    なぜなら、それが楽だからである。
    なぜなら、それが効率的だからである。


    俺が金塊を選ぶ理由に2,500万円を挙げるのは簡単だが、銀を好む理由を述べると、こうもつらつらと長文を書き綴る必要がある。

    それでも今日、こうして立ち止まったことに意味があると信じたい。

    競争が苦手な俺へ
    競争が苦手な君へ

    どうか、金塊を選ぶ自分を責めないでほしい。
    そして、君にとっての銀を大切に持っていてほしい。

    世の中には、
    一行で説明できてしまう価値もある。
    だけど、一行では到底説明できない価値も、
    きっと同じだけ、いや、もしかしたら
    それ以上に尊いのかもしれない。

    だから俺は、金塊を選ぶ。
    銀のリングをはめた指でね。



    そして、自分にとっての銀を守り続ける君に、俺は清き一票を投じる。

     
     
    作家を志す社会人三年目の日記。 今まで書き溜めていたものも含めて、気まぐれに更新します。 普段は物語を書いています。

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