
特等席
「社長のおっしゃる通りです」
「社長がそうお考えなのであれば」
最近、反対意見を聞いた覚えがない。
金、地位、欲しいものは全て手に入れた。
強いて言うなら…。
「この前訪問した取引先の社長がほんと頼りなくて、それに比べたらウチの社長はすごいなと再認識しました!」
顔を赤くした従業員が、グラス片手に言った。
「いや本当に、営業行くと社長の凄さに気づかされます!」
別の従業員も続けざまに言う。
「俺が特別凄いんじゃない。お前も努力すればこうなるよ。誰にでも才能はある」
まぁお前らには無理か。
心ではそう思いつつも、これも従業員のやる気を上げるためだ。
「では、社長に認められるように日々精進いたします!」
「そうだな。そろそろ帰ろう」
店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。
人混みを避けながら大通りに出る。
「俺、タクシー捕まえます!」
すぐにセダンタイプのタクシーが停まった。
行灯には個人タクシーと書いてある。
タクシーに乗り込んで、行き先を伝えた。
年季の入った布製のシートだ。
後部座席には、広告モニターすらない。
「社長お疲れ様です!ご馳走様でした!」
部下たちは賑わう繁華街を背に、俺を見送った。
「はぁ」
思わずため息が出た。
大学在学中に親友と起業した人材派遣の事業が大当たり。
卒業と同時に事業売却し、親友とは別々の道に進むことになって、15年が経った。
「社長さんですか?いい時計してますね」
運転手が話しかけてきた。
こいつもか。
バックミラー越しに運転手を確認する。
50代くらいと見られる白髪交じりの中年男性。
「えぇ、大したことないですが」
個人タクシーの文字が頭に浮かんだ。
「タバコ吸っていいですか?電子です」
「では私も」
微かに電子タバコの起動を知らせる振動音が聞こえた。
「…え?」
思わず声が出そうになった。
ダメ元での問いかけのつもりだったが、予想だにしない答えが返ってきた。
車内に電子特有の煙の匂いが充満する。
「西川さん?珍しい方ですね」
助手席の前にあるネームプレートで判断して言った。
「え?何がでしょう」
西川はとぼけたように言った。
「タバコです。運転手も一緒に吸うなんて珍しい」
「そうですね。逆に断られたらお客さんには吸わせません」
「ハハッ、なるほど。それだと許さざるを得ない」
俄然興味が湧いた。
客とタクシー運転手という関係で、これほど対等な人間は初めてだ。
大きな存在感を放つタワーマンションが見えてきた。
「名刺、いただけますか?またお呼びしたい。服部です」
そう言って名刺を差し出す。
「お客様に名刺を求められたのは初めてです」
そう言って西川は自分の名刺を俺に渡してきた。
それからというもの、少し遠い距離の移動は西川に頼むことが増えた。
たまに断られるが、それも彼らしくて良い。
移動中は、主に相談したいことを俺が話す。
西川はいつも、俯瞰で見た意見をぶつけてくれる。
そして俺が電子タバコを吸い始めると、彼も同じように吸い始める。
この移動時間が俺にとって大切な時間だった。
「西川さん、あるプロジェクトを俺の監視を抜いて、部下たちに任せたいと思ってるんだ。どう思う?」
俺はいつものように相談を始めた。
「なるほど。それはどうしてです?あなたが先頭に立った方が確実に上手くいくはずだ。それに少し心配そうに見える」
「いや、今は俺が会社で絶対的な存在になりすぎてる気がしてね。そこまで大きくないプロジェクトだ。任せてもいいと思ってる。もちろん心配は多少ある」
今までは俺のマンパワーでここまで成長してきた。
ここからは部下の力も必要だと思っていた。
「であればいいんじゃないでしょうか。ただ、最終的なチェックはあなたがした方がいいかもしれませんね。的外れ過ぎたら修正すればいい。会社の基盤もしっかりしている。多少の失敗は問題ないでしょう」
結果、プロジェクトは成功した。
大きな欠陥に気づけたのは、最後に俺が資料に目を通したからだ。
西川に相談していなければ、俺は全て部下に任せようとしていた。
数ヶ月経ったある日、俺は西川に専属の運転手を打診してみることにした。
「西川さん、実は専属の運転手を付けようと思ってるんだ。あなたに任せたい」
すると西川は、いつもの平然とした様子で言った。
「それは断ってもいいお誘いですか?」
予想外だった。
どこかで喜んで承諾してくれると思い込んでいた。
「いや、断らないで欲しい。勿論良い待遇は保証する」
俺は専属の運転手が欲しいわけではない。
いつでも気軽に相談できる相手が欲しいのだ。
すると西川は間を開けて、少し笑ってこう言った。
「タバコ、服部さんが吸い始める前に吸ってもいいなら受けさせてもらいます」
「ハハハ、やっぱり西川さんに頼んでよかったよ。これから改めてよろしくお願いしますね」
そうして俺と西川の専属の運転手という契約が始まった。
タクシー運転手と客から、専属の運転手と雇用主というように形は変わったが、俺たちの関係は変わらなかった。
唯一変わったことは、西川がタバコを吸い始めてから俺が吸うようになったことくらいだ。
そして西川が専属になってから1年が経った。
昼前に一本の連絡が入る。
他県にある下請け企業から、あることで話があるとのことだった。
いつもならリモートでミーティングをするが、直接会って話がしたいと言われた。
こちらに来ると言うが、明日の午前中に俺が出向くことにした。
何か特別な事情があると思ったからだ。
移動はもちろん西川の運転だ。
下請け企業から何かしらの話があることは、敢えて西川には話さなかった。
会議は数時間に及んだ。
結果、ウチの会社から離れたいということだった。
俺の会社がこれまで大きくなった要因の一つとも言える下請けだ。
できる限り手放したくない。
結論はまた伝えるとして、待機させてある車に乗り込んだ。
今日あったことを西川に話す。
「俺はできる限り手放したくないと思っている。待遇を良くする方向でいくつもりだ」
俺は今思っていることを伝えた。
「いや、それはやめておいた方がいいです。力を付けたから自分たちでやっていきたいってことでしょう?」
西川は冷静に言った。
俺はその発言に少しイラっとした。
なんでこいつは下請けのことを優先に考えているのかと。
「いや、あいつらは会社にとって必要な柱だ」
「それだと長続きしません。こういうのは初めてですか?その考え方はよくないと思います」
西川は、いつの間にか起動させていたタバコを吸いながら言った。
俺は余計にイラっとした。
西川が吸っているタバコにも。
俺は吸っていない。
俺が雇用主だぞ?
「おい西川、お前自分の立場わかってるか?ここで降ろせ。一人で帰る」
思わずそのままの感情を口に出してしまった。
「え?いいんですか?今のあなたは冷静ではない」
「黙れ。早く車を停めろ」
ここまで言ったら後には引けない。
俺は西川が運転する車から降りて、タクシーで帰ることにした。
ビジネス街で多くの車が行き交う中、すぐにタクシーは捕まった。
行灯には、大手タクシー会社の名前が書いてある。
運転手は席を降り、俺を後部座席へと案内した。
俺は雑に行き先を伝え、電子タバコを起動させた。
「タバコ吸っていい?電子だから」
「申し訳ございません。禁煙となっております」
「もう起動させたんだ。電子だからいいだろ?」
「困ります」
仕方なく電子タバコの電源をオフにした。
車内から見える景色と、後部座席の広告モニターを交互に眺める。
「…わかってないのは俺じゃないか」
思わず声が漏れた。
「どうかされましたか?」
運転手がバックミラー越しに聞いてくる。
「いや、なんでもないです」
そこから家に着くまで、冷たい空気が流れていた。
「ここで停めてください」
そう言って前方を見たとき、見覚えのある車が目に留まる。
俺の車だ。
タクシーから降りて後部座席の方へ向かうと、運転席から西川が降りてきた。
「おかえりなさい。無事で何よりです」
西川の言葉に、俺はホッとした。
「さっきはすまない。感情的になりすぎた」
俺は本心でそう伝えた。
「いいえ、私こそ。勘違いしていた所がありました」
「いや、西川さんは今まで通りでいい。車を出してくれ。少しドライブしよう」
俺がそう言うと、西川は少し頷き、先に運転席に座った。
俺も後部座席へ座ると、西川は静かに車を発進させた。
「西川さんが、会社から大事な人間が離れていくのが初めてなのか聞いたの、覚えてる?」
そう言いながら、俺は電子タバコを起動させた。
「もちろん、覚えていますよ」
そう答えた西川も、タバコを起動させる。
「実は初めてじゃない。大学生の頃、一緒に起業した親友がいた。形式上、俺が社長だった」
「ほう。そうでしたか」
西川が相槌を打つ。
「当時は毎日のように意見をぶつけ合って、馬車馬のように働いた。でもたった一回だけ、折り合いが付かなくて殴り合いの喧嘩になったんだ」
「……」
西川は静かに聞いている。
「その時に俺は言ったんだ。『俺が社長だ。俺の言うことを聞け』ってね」
「なんだか同じようなことを言われた記憶がありますね」
西川が少し皮肉めいた言い方をした。
「ハハ、最悪だろ?そこから今の会社を立ち上げた。でも業績が良くなるにつれて、俺に意見してくる奴はいなくなった。部下はいるけど、ある意味孤独だった」
「ほぅ、そこで出会ったのが私だったということでしょうか?」
「その通りだ。なのに俺は15年前と全く同じことをしそうになった。下請けのあいつらにも。そして、西川さんにも」
「私は気にしていません」
「下請けの件、西川さんの意見を取り入れて、社長としてあいつらの門出を祝うことにするよ」
「そうですか。あなたならいくらでも柱を育てていけると思いますよ」
「ありがとう。でも西川さんには今まで以上に相談聞いてもらうことになるよ。これからもよろしくね」
「こちらこそ。タバコが切れたんで、コンビニ停めますね」
そう言って西川はコンビニに入っていった。
大事なものを失いはしたが、大きく成長できた日だ。
落ちてきた夕日を見て思う。
「久しぶりに紙タバコ、どうですか?」
そう言った西川が持っているタバコは、昔俺が吸っていた銘柄だった。
少し前、やっぱり電子タバコは美味しくないという話題で盛り上がった。
「でもこのタバコ臭いんだよね」
俺は笑いながらコンビニの喫煙所へ向かう。
西川が先にタバコに火を付け、俺にライターとタバコを渡す。
俺も火を付ける。
懐かしい匂いがした。
高級時計に綺麗なスーツを着た俺と、白髪混じりの中年男性。
西川が煙を吐く。
少し遅れて、俺も煙を吐いた。