
笑って誤魔化していた頃の私へ
空気を読んで、自分を演じてしまう。
他人に必要以上に気を遣い、勝手に疲れてしまう。
こんな人間だった私が、素の自分で生きた方が結果的に楽だと腑に落ちた出来事があったので、それについて書きます。
空気を読むことで守ってきた自分
過去、真顔でいると「怒ってるの?」「話面白くない?」と、よく周囲に聞かれる顔(?)だった。(確かに、ニコニコはあんまりしてないw)
初対面では「怖い」ともよく言われたので、いつからか、無理に笑顔を心がけるようになった。会話でも、当たり障りのないことしか言わないようになった。
そのおかげか、今では「人当たりがいいよね」「感情の起伏がなさそう」と、よく言われる。
怖そうだと言われてきた私にとって、それは一種の処世術であり、すべてうまくいっていると思っていた。
たった一言で崩れた価値観
そんな考えがひっくり返る出来事があった。
ある日、場の雰囲気を壊したくなくて、とっさに笑顔を作ったときのこと。隣にいた人から、こう言われた。
笑って誤魔化してない?(笑)
小馬鹿にしたような口調だった。
その言葉に、強い怒りと悔しさが湧き上がってきた。

内観して見えたもの
なぜ、こんなにも怒りが込み上げるのか。自分でもわからず、ひたすら問いかけた。
すると、見えてきたのはこれだった。
良かれと思ってやった行動(場の空気を考えて笑顔を作ったこと)が、踏みにじられたと感じたのだった。
こんなにも周りのことを考えてるのに。
こんなに気遣ってるのに。
私は、私は、私は…!
自分を殺して周囲のことを考えている私を否定されたことに、腹が立った。
でもこれは、「周りのため」という仮面を被った、「エゴの塊」「気遣いの押し売り」に過ぎない。
誰にも頼まれていないことを勝手にやって、わかってもらえず勝手に怒っていただけだった。
素の自分で生きるという選択
こんなことなら、最初からありのままの自分で生きたほうが、ずっといい。
どんなときも正直でいることは、自分に対する最低限の礼儀であり、愛でもある。
もし素の自分でいれば、批判されたとしても、「まぁ、これが私だし」と納得できる。
偽った自分でいると、見返りを求めてしまう。
無表情を「怖い顔」と言われても、「これが私」と思うほうが、「察してほしいエゴが踏みにじられる」ことより、ずっと後味がいい。

周り気にしすぎてしまう人へ
周りを気にしすぎて、自分を取り繕ってしまう人は、きっと過去に傷ついた経験があったり、嫌われることが怖い人なのだと思う。
空気を読んでる期間の方が長くて、もはや自分が何を求めているのかすら分からなくなっている。
そんな人は、「自分は本当はどうしたいか」を、都度問いかけたうえで、感情や行動を選択してほしい。
きっと最初に返ってくる答えは、「そんなのわからない」という声だと思う。
周りの空気は読めるけど、自分の心は分からない。
でも、まずは、聞いてあげるところから。
その「わからない」に対して、「何でわからないんだろう」「何がわからないんだろう」と、聞き続けていく。
徐々に傷ついた記憶や、感情を押し殺してきた過去が浮かび上がってくるはず。
だからまずは、この瞬間から、
今この瞬間、私はどんな自分でありたい?
を問うことから始めてみる。
感情に素直になる練習を積み重ねていくと、取り繕ってた自分がしっくりこなくなる。
そして、人には見せられないと思っていた素の自分が、意外と心地よく感じられたり、思いがけずその姿を「魅力的」と言ってくれる人が現れたりする。