
疲れた君と、君を愛してやまない人へ
朝になると、息子が布団の中から出てこない日がある。
何度か声をかけても、返事は小さい。
「行かないの?」
そう聞きたくなる朝もある。
けれど、その言葉を飲み込むことがある。
布団の中で動けずにいる姿を見ていると、学校へ行かないことは、ただの怠けや甘えではないのだと思う。
外から見れば、何もしていないように見える。
けれど心の中では、誰にも見えない何かと、必死に向き合っているのかもしれない。
私は、休みたい日は休むタイプだった。
気が乗らない日は少し立ち止まり、呼吸を整えてから、また歩き出してきた。
休むことは、止まることではない。
次へ進むために、自分を整える時間なのだと思う。
それでも親である私の中にも、ときどき「普通」というものが顔を出す。
毎日学校へ行くこと。
遅れずについていくこと。
人に迷惑をかけず、与えられた場所で頑張ること。
いつのまにか、それを正しさのように思ってしまう瞬間がある。
けれど、その普通は本当に、誰にとっても普通なのだろうか。
親が思う普通には、親の育ってきた時代がある。
見てきた社会がある。
家庭の空気や、過ごしてきた環境がある。
それは、その人が生き抜くために必要だった知恵なのかもしれない。
けれど、その知恵が、そのまま次の世代にも合うとは限らない。
時代は変わる。
社会も変わる。
苦しみの形も、支えになるものも変わっていく。
親もまた、一人の人間でしかない。
経験があり、愛情があり、けれど万能ではない。
だからこそ、親の願いどおりに歩かせることより、
その子自身が、自分で立てる力を育てることのほうが大切なのかもしれない。
君へ。
学校に行けない日があることを、そんなに悪いことだと思わなくていい。
人の心にも、体と同じように、調子のいい日とうまく動けない日がある。
朝起きても力が出ない日。
教室のことを思うだけで胸が重くなる日。
布団から出ようとしても、体が動かない日。
それは、君が弱いからではない。
少し疲れがたまっているのかもしれない。
理由は、一つではないのかもしれない。
世の中には、「毎日学校へ行くのが普通」と言う人もいる。
たしかに、それができる子もいる。
でも、その普通が、すべての人に当てはまるわけではない。
まっすぐ歩ける子もいる。
少し休みながら進む子もいる。
遠回りしながら、自分の道を探す子もいる。
ただ、歩く速さが違うだけなのだと思う。
無理をして笑わなくていい。
苦しいのに平気なふりをしなくていい。
しんどいときは、しんどいと言っていい。
休みたいときは、休んでいい。
少し立ち止まることは、逃げることではない。
それは、次に進むために、靴ひもを結び直している時間なのかもしれない。
学校へ行く日も、行けない日も、君の価値は変わらない。
テストの点や、出席の日数で、君の大切さが決まるわけではない。
今日、ごはんを食べられたこと。
少し笑えたこと。
好きなことに、ほんの少しでも心が向いたこと。
布団から出られなくても、今日という一日をここまで過ごしたこと。
それは「何もしなかった」一日ではない。
君が、今日を生き抜いたということだ。
それだけでも、十分に意味がある。
急がなくていい。
みんなと同じ速さでなくていい。
君には、君の道がある。
君には、君の季節がある。
つらい日は、ひとりで抱えなくていい。
苦しさが続くなら、家族でも、先生でも、相談できる誰かでもいい。
君の気持ちを一緒に持ってくれる人につながっていい。
私たちは、君の味方でありたい。
できることより先に、君自身を大切に思っている。
君を愛してやまない人へ。
どうか、焦らせないであげてほしい。
「みんなは行けているのに」
「いつまで休むの」
「このままで大丈夫なの」
そう言いたくなる日もあると思う。
不安になるのは、それだけ大切に思っているからだ。
けれど、今いちばん苦しんでいるのは、誰より本人かもしれない。
責める言葉より、安心できる沈黙を。
問い詰める言葉より、変わらない日常を。
正しさより先に、「ここにいていいよ」という空気を。
どうか、自分の物差しだけで測らないであげてほしい。
その子には、その子の人生がある。
その子には、その子の歩幅がある。
転ばないように縛るより、
転んでも起き上がれるように、そばで見守ってあげてほしい。
頑張らせる力も、愛情だ。
でも、待つ力もまた、愛情だ。
そして、待つことは、何もしないことではない。
必要なときに手を差し出せるように、学校や相談先とつながりながら、静かにそばにいることもできる。
何かをしてあげることだけが愛ではない。
信じて待つことも、深い愛なのだと思う。
私は、息子が布団から出てこない朝に、そのことを少しずつ学んでいる。
学校に行かない日は、終わりの日ではない。
また歩き出すために、少し立ち止まり、靴ひもを結び直している日なのだと思う。