
その人は、ずっと伝えていた。──元言語聴覚士が気づいた、「できない」の前にあるもの
私は、成人分野の言語聴覚士だった。担当していたのは、子どもではなく、脳卒中や認知症で言葉を失った大人たちだ。仕事では、相手の状態を整理し、その人に合った関わり方を考えることを続けてきた。
けれど今振り返ると、本当に変わったのは技術ではなく、人を見る自分自身の見方だったように思う。
これは、目の前の相手を「評価する」ことから、「観察する」ことへ、自分の見方が変わっていった話である。
専門家として働いていた頃、私はずっとこう考えていた。目の前の人の強みがどこにあるかを把握し、そこを日常生活の平均値へ近づけていく。それが仕事だと。リハビリ室ではできても、病棟ではできない。訓練では言えても、家族を前にすると言葉が出ない。そうした「できる」と「生活でできる」の差を埋めることが、私たち言語聴覚士の役割だった。
チームで動く以上、優先順位がある。やりたいことを全部やることはできない。他職種と足並みを揃える必要もある。だから自然と、目標も訓練方法も、似たような形に落ち着いていく。STの介入が日常にどうつながるのか。他職種にはイメージしにくい部分もある。そのもどかしさは分かっていた。
でも、型だけでは見たくなかった。
患者さん一人ひとりの得意なこと、困っていること、伝え方は違う。それを同じ枠に当てはめることへの違和感は、ずっとあった。
それでも当時の私は、「その人の強みを見つけ、日常生活につなげる」という仕事の枠組みを疑ったことはなかった。その枠組みの中で、できる限りのことをしようとしていた。
「いす」という小さな声
ある患者さんのことを、今でもよく思い出す。数年前に一度担当し、退院していった方だった。その方が、脳血管障害で再入院してきた。以前よりも認知機能ははっきりと落ちていた。
発語はない。身振りでの意思表示もない。アイコンタクトは、たまに合う程度だった。最初は、以前と同じ訓練メニューで評価しようとした。
でも、何をやっても反応がなかった。
ここで一つ、専門的な事情を説明しておきたい。認知機能低下が重度になると、自発性そのものが落ちてくる。指示は理解していても、自分から動き出せないことがある。外から見ると、「理解できていない」のか、「理解はしているけれど動けない」のか、その違いはとても分かりにくい。
周囲のスタッフは、誰もが認知機能低下によるものだと考えていた。
私もそうだった。それでも介入をやめなかった。
退院先は施設だった。介護負担が少なければ、コミュニケーションへの介入はどうしても優先順位が下がる。制度や時間の制約があることも理解していた。
でも、それだけではなかった。
自発性が低くなっていても、何も感じていないわけではないと思っていた。施設で車椅子へ移乗するとき、話しかけてくれるスタッフがいる。食事の時間には、隣に誰かが座る。そんな何気ない時間の中で、少しでも安心できたり、誰かとつながっていると感じられる瞬間があってほしかった。
私にできるのは、他職種が日常では拾いきれない小さな変化を見つけることだった。
声が出ない。表現できない。
そう見えていても、その手前に何かが残っているなら、それを見逃したくなかった。
声だけでも出せるようにしたい。
その一点に目標を絞って、訓練の形を変えた。絵カードを何枚も並べる方法はやめた。カードを一枚だけ渡し、マスクを外して、「い・す」とゆっくり口を動かして見せた。
患者さんは、迷うように唇を動かした。
五、六秒、待った。
臨床では、「待つ」ことも技術だった。急かせば、その人が出せたかもしれない反応まで消えてしまうことがある。沈黙を埋めるのではなく、相手が出てこられる時間を残す。その数秒に意味があることを、私は何度も経験してきた。
カードを見ていた瞳が、ゆっくりと私の顔へ移った。退院前に見ていた視線が戻ってきたような気がした。
喉に力が入るのが見えた。
もしかして、声が出るの?
そう思った次の瞬間だった。
かすれた、小さな声が聞こえた。
「いす」
長い間、発声していなかったのだろう。かすれてはいたけれど、確かに「いす」と言えた。
別の場面では、他職種が車椅子へ移乗させようとした瞬間、患者さんはびくっと体を震わせ、スタッフの服をぎゅっと掴んだ。何をされるのか分からなくて、行動そのものに驚いているように見えた。
その頃から、小さな違和感が積み重なっていた。
反応がない場面でも、私が正面に立つと、一瞬だけ視線が動くことがある。口元を見ようとしているようにも見えた。その違和感が、頭から離れなかった。
もしかしたら、耳が聞こえていないのかもしれない。
そう考えて、訓練を組み立て直した。声を出さなければいけない状況を作る。課題はできるだけ単純にする。一度にたくさんの情報を出さない。自発性には波があった。それでも、二、三回だけ絵カードの呼称ができる時があった。
意味記憶は残っている。
状況判断も、完全には失われていない。
そうなると、指示への無反応が認知機能によるものなのか、それとも聴覚によるものなのか、もう一度考え直さなければいけなかった。補足すると、認知機能が低下して物の名前が出てこない場合、多くは「物の名前そのものを思い出せない」ことが原因になる。でも、この患者さんは違った。「いす」という言葉は覚えていた。カードを渡され、私が口を動かして見せた時、「今、自分は何か言う場面なんだ」と理解し、声を出していた。
つまり、負荷の低い単純な状況なら反応できる。
一方で、他職種が行っていたジェスチャー中心の訓練には、ほとんど反応できなかった。衝撃だった。目の前で起きていることと、手元にある説明が、どこか噛み合わない。
「できない」のではなかった。「届いていなかっただけ」なのかもしれない。
この気づきをチームへ共有した。最初は、「ん?」という反応だった。訓練の様子を説明すると、PTさんが脳画像を見せてくれた。
「その可能性はあるね。」
そんな話になった。でも、結論はすぐには変わらなかった。二回目の入院で、退院先は施設と決まっていた。残された時間の中で何を優先するか。
現場としての判断があった。
正直なところ、この視点を十分に活かすことはできなかった。言語聴覚士として気づいたことを、他職種の日常ケアへ落とし込めるほど、この患者さんの状態は安定していなかった。気づいたからといって、全部が変わるわけではない。組織の判断や時間の制約は、一人の気づきだけでは動かせないこともある。
今振り返れば、あの違和感をチームの共通認識にするには、伝え方や時間の積み重ねも必要だったのだと思う。それでも、「できない」のではなく、「届いていなかっただけかもしれない」。その見方だけは、私の中に残り続けた。
一人の見方が変わると、その見方は少しずつ周りにも伝わっていくことがある。その時すぐに形にならなくても、問い続けることには意味がある。
そう思っていた。
けれど、その見方を自分自身に向けることは、思っていたよりずっと難しかった。
知識があったから、正解を追いかけていた
息子の指さしが八か月で出なかった時、私が持っていたのは、成人領域の知識と、あの「いす」の記憶だけだった。私は小児発達の専門家ではない。それでも、発達の基礎知識は学んできた。
「九か月頃には指さしが見られ始める。」そんな目安も頭に入っていた。息子は、指をささなかった。でも、欲しいものがある時、息子は何かをしていた。
じっと見る。
声を出す。
手を伸ばす。
それでも私は、知識があったからこそ、無意識に「正解」を追いかけていた。知識は、本来なら子どもを理解するためのものだったはずだ。でも私は、その知識を「目安どおりか」を確認するために使っていた。
安心するためではなく、不安になるために知識を使ってしまっていた。
指さしの代わりに視線で要求を伝えている息子を見ながら、
「これは大丈夫なのか。」
そんなふうに採点し続けていた。
あの患者さんのことが頭をよぎった。「できていない」ように見えることと、「伝えようとしていない」ことは、決して同じではない。仕事を離れてから、自分自身を評価する時間が増えた。
「何ができるか」「役に立てるか」。
気づけば、私は仕事で患者さんを評価していたのと同じように、自分自身も評価していた。息子が生まれて、その基準が少しずつ揺らぎ始めた。
息子は私を評価しない。
ただ、そこにいる。
それなのに私は、息子まで評価しようとしていた。
指さしが出るか。
発達の目安に合っているか。
そんなことばかり見ていた。
気づけば私は、
患者さんも、
息子も、
そして仕事を離れた自分自身も、
「できるか、できないか」という同じ物差しで見ようとしていた。
でも、息子はそんな基準の外で、毎日何かを伝えていた。
この子の中に、リズムがある
一歳を過ぎた頃、息子の成長が、目に見えて進み始めた。歩き始めて、声の出し方が豊かになった。ご飯を食べさせようとすると、イヤイヤとはっきり拒否するようになった。歩きたい時は、私の手を握って、その場で足踏みをする。
「歩きたい。」
そんな気持ちを、自分なりの方法で伝えていた。
そんな日々を送るなかで、あれ?と思った。
この子の中に、リズムがある。
毎日同じではない。
よくこちらを見てくる日がある。
遊びたい。甘えたい。歩きたい。
そんな日は、視線も、声も、手も、まっすぐこちらへ向いてくる。
反対に、新しいおもちゃに夢中で、ほとんどこちらを見ない日もある。
患者さんにも、その日の波があった。昨日できたことが今日はできない日もあれば、その逆もある。一回の様子だけで、「できる」「できない」は決められない。その感覚は、息子を見ている今も、自分の中に残っている。
この子はずっと、自分のやり方で伝えていた。
視線で。
声で。
イヤイヤで。
手を握ることで。
ある時は、おもちゃを渡してくることがある。最初は、その意味が分からなかった。やってみせると、奪って自分で触る。でも、すぐにまた渡してくる。
「これをやってほしかったんじゃないの?」
そう思って戸惑う。
でも、息子は私の反応に怒っておもちゃを投げるわけではない。何か違うことを期待されているような気がする。それでも、また同じことを繰り返す。
渡して、
受け取って、
また渡す。
その繰り返しを見ているうちに、「やってほしい」だけでは説明がつかない気がした。そこには、別の何かがあるように思えた。私が少し違う反応を返すと、息子はじっと私の顔を見る。
またおもちゃを渡してくる。
そんなやり取りを繰り返すうちに、この子は私の反応そのものを見ているのかもしれない、と思うようになった。
だから今は、同じ反応を返す時と、少しだけ変える時を意識して作っている。正解を当てはめるのではなく、この子が何を受け取っているのかを見ながら関わる。
今は、それを一番大切にしている。
そうして見ていると、遊びの中だけではなく、日々の何気ない場面でも、この子は気持ちを伝えていることに気づく。眠くなると、手を伸ばしてくる。抱っこしてほしい、と体で伝えてくる。それは昼だけではない。夜はパパが寝かしつけを担当している。でも、おやすみを言いに私が部屋へ入ると、息子は泣きながら私へ手を伸ばす。
「一緒がいい。」
言葉はなくても、その気持ちはよく伝わる。
要求だけじゃない。
安心したい。
ここにいてほしい。
そんなことも、ずっと伝えていた。
私は、指さしがないことばかり見ていた。でも、指さしと同じ役割を果たしているものは、もう目の前にあった。
私がするべきことは、「正解を当てはめること」ではなかった。「この子が何を伝えようとしているのか」を受け取ることだった。
あの患者さんが、「いす」と言った瞬間と、同じ感覚だった。「できない」と思っていた相手の中に、確かに伝えようとする意思があった。
だから、私にしかできない観察を続けていく
昨日、予防接種へ行った。クリニックへ着いた瞬間、息子はイヤイヤし始めた。痛いことをする場所だと、覚えているのかもしれない。パパが抱っこしてなだめようとした。でも息子は、私へ向かって手を伸ばしてきた。
あぁ。
この子にとって、安心する場所は、ちゃんとママになっているんだ。
そう思った。
資格も、肩書きも、もうない。
でも、観察する姿勢だけは残った。
臨床では、その人の状態を整理することが必要だった。でも今になって思う。私が本当に続けたかったのは、評価ではなく、観察だったのかもしれない。
観察とは、ただ相手を見ることではない。
相手の反応を手がかりに、「届いていないのは何か」「こちらの伝え方を変えられないか」と、自分の見方や関わり方を問い直し続けることだと思っている。
一度つけた評価を疑うこと。
「できない」と決める前に、本当に届いていないものは何なのかを問い直すこと。それは患者さんだけではない。息子にも、そして仕事を辞めた私自身にも向けられる問いだった。仕事でも、子育てでも、人と関わる以上、相手を理解しようとする前に、自分の伝え方や前提を問い直す場面はきっとある。
何かが噛み合わない。
そんな違和感があったなら、通り過ぎる前に、少しだけ立ち止まってみる。すぐに答えを出さなくてもいい。見えていないものがあるかもしれない。
そう思ってもう一度見てみる。
あの患者さんも、
息子も、
そして私自身も、
そうやって少しずつ見え方が変わってきた。
あの日、「できない」のではなく、「届いていなかっただけかもしれない」と気づいた。あれから私が問い直し続けているのは、相手ではなく、自分の見方なのだと思う。だから私は、これからも観察を続けていく。
目の前のその人は、今日もきっと、何かを伝えている。