
じぶんで選ぶって、ちょっとめんどくさい。
この言葉は、
株式会社ミラタップのテレビCMの一節だ。
コピーの狙いは、
同社の住宅設備機器のデザイン性を前提に
顧客に“選ぶ楽しさ”をアピールする点にある。
したがって、次に
「でも、じぶんで選ぶと、
そのあとのくらしが
もっと楽しくなる」と、続く。
■社会(親)が選んでくれた道
最初に冒頭の言葉を耳にしたとき、
社会学的に面白いな、と思った
(広告的に、ではなく)。
“自分で選ぶのは面倒だ”という意識が
日本人のマインドになっている、
という時代の空気
を
このコピーライターは感じとった、
のではないかと思ったのだ。
現代の子供たちは、
小学生のときから進路選択を急かされ、
あたかも有名大学に入り、有名企業に就職することが
理想的な道であると暗黙のうちに言われ、
選ぶ機会もないまま大学に進む。
そこで、
「ゼミを自分で選べない学生が多くなった」
と某私大教授から聞いたのは、
もう15年ほど前だ。
*
noteからデビューした
桜林直子さんの対談集
「つまり“生きづらい”って
なんなのさ?」のなかでも
東畑開人さんが
(街のバリアフリー化から入りつつ)、
次のように話している。
「自分というものの形と、社会という環境の形が異なっているために、
生きていくのが大変だ」というのが、生きづらさの
出発点なのだと思います。
これに対して、日々クライエントさんの話を聞いていると、
最近は「社会の形に自分を合わせて生きることはできるけれど、
それでいいのだろうか」という〝生きづらさ"
があることを感じます。
この社会と心との齟齬みたいなのが生きづらさの正体ですね。
社会に合わせられない生きづらさと、
社会に合わせられるがゆえの生きづらさ。
この
「社会の形に自分を合わせて生きる」ことは、
“自分ではなく、社会や親の価値観で選ぶ”
ことと似ている気がする。
どちらも「自分」をいかに導くか、
という命題で一致するのだ。
■自分で選ぶ時間が無駄?
“生きづらさ”なるものの存在を
ずっと考えている。
私自身は
「人生とは、そもそも生きづらいもの」
と思っているが、
それでも
あえて「生きづらい」と言う人の
“生きづらさ”の出所は知りたい。
それはもちろん一つに集約できる
ものではないが、
たとえば
「じぶんでえらぶって、ちょっとめんどくさい」
という感覚は、
明らかに(間違った)コスパに通じている気がする。
*
自分で決める時間が無駄だから、
会社選びも、会社を辞めるのも他者に頼む。
自分で決める時間が無駄だから、
自分の強みすらも他者に決めてもらう。
自分で決める時間が無駄だから、
デートも、恋愛もめんどくさい。
自分で決める時間が無駄だから、
食べる店も、着る服も、口コミを頼る。
自分で決める時間が無駄だから、
政党まで誰かのリポストで支持する。