効率の外にある幸せ
趣味としての読書
私にはいくつかの趣味がある。その一つが読書だ。
中学生のときにライトノベルを読み始めたのがきっかけで、それから今日までずっと本を読み続けてきた。
しかし、「読書が趣味です」と胸を張って言えるようになったのは、実は最近のことだ。
以前は「どんな本を読んでいるんですか?」と聞かれるのが怖かった。
趣味ですと言えるほどの本を読んでいると思えなかったからだ。
そんな劣等感や、自分を成長させたいという思いから、ここ数年は自己啓発書やエッセイなどを多く読むようになった。
その代わりに、“好きな本”を読む時間が減っていった。娯楽として読むよりも、「将来のために役立つ本を読んだ方が効率的だ」と考えるようになっていたのだ。
今なら「どんな本を読んでいるのですか?」と聞かれても、きっと答えられる。
けれど、「読書が趣味です」というプロフィールの裏で、私は自分の“好きなもの”を一つ失っていたのかもしれない。
そのことに気づかせてくれたのも、やはり“本”だった。
『半うつ』との出会い
最近読んだのは、平光源先生の著書『半うつ 憂鬱以上、うつ未満』だ。
精神科に関わる者として、患者さんへの理解を深める助けになればと思い手に取った。
もちろん、専門的にも学ぶところは多かった。
しかし、それ以上に胸に響いたのは、この本に書かれている「人間」の話だった。
現代人は何よりも効率を重視し、一日に膨大な情報を取り入れ、数え切れないほどの選択をしている。
その結果、脳も心も疲弊していく——そんな指摘があった。
「現代人が一日に触れる情報量は、平安時代の人の一生分に相当する」
という一文があり、思わず笑ってしまった。
けれど、確かにそれでは脳も休まる暇がない。納得の言葉だった。
平先生は「何の役にも立たない時間」こそが、私たちの心を豊かにしてくれると語っている。
本当にその通りだと思う。
最近の私は、常に「成長しなければ」という思いに駆られ、食事中も散歩中も、常に勉強をしていた。
たぶん、成長への意欲と同じくらい、焦りの気持ちもあったのだと思う。
勉強を続けていれば、自己肯定感が高まり、焦燥感から逃れられるような気がしていた。
けれど、そんな生き方をしても、どこか幸せになれない気がしていた。
アリとキリギリス、そして金木犀
大人になって「アリとキリギリス」の話を思い返すと、休まず働き続けるアリが本当に幸せなのだろうか——
そんな疑問が浮かぶ。
今の私に必要なのは、きっと“キリギリスの気持ち”なのだろう。
そう思い、今日はゆっくりとした休日を過ごすことにした。
イヤホンを着けず、静かな時間を楽しもうと散歩に出かける。
いつもの道を歩いていると、風に乗って金木犀の香りがした。
香りのする方へ歩いていくと、住宅地の一角に立派な金木犀の木があった。
「あぁ、秋だな」と思えただけで、心に少し余裕が戻った気がした。
満足感を胸に、家路につく。
家に着く直前、もう一度ふわりと金木犀の香りがした。
気のせいかと思いながら辺りを見渡すと、すぐ近くの家にも金木犀の木があった。
こんなに近くにあったのに、行きは気づかなかったのだ。
「気の持ちようとはこういうことか」と苦笑しながら家に入り、部屋着に着替える。
そして、久しぶりに一冊のライトノベルを手に取った。
数年前から読みかけだったその本を開くと、胸の奥に懐かしい温かさが広がった。
余裕とともに、失っていた“好きな読書”を取り戻した気がした。
