
子どもの自己肯定感を育てたいなら、最初に結び直したいもの
子どもには自分のことを好きになって欲しい
自分に自信を持って、いろんなことに挑戦して欲しい
自分の意見を堂々と言える人間であって欲しい
親ならそんなことを願ったことはあるのでは、ないでしょうか。
実際に本屋に足を運べば
・子どもの自己肯定感を高める◯◯
・◯◯な自己肯定感を高める子育て
・自己肯定感✖️◯◯力
など子どもの自己肯定感にフォーカスした書籍が多数出版されています。
かくいう私も、
「自己肯定感を高める子育て」
がしたいと常々思っていた母親の1人です。
ただ、私は長い間「自己肯定感」を大きく誤解していました。
今日は娘の学校行き渋りや不登校を経て、
私が辿り着いた「自己肯定感」の話をしたいと思います。
日本の子どもの自己肯定感の現実
これだけ「自己肯定感」というワードが子育てにおいてフォーカスされるのは、なぜなのか。
それは、残念ながら「日本の子どもは自己肯定感が低い」と言われるのがイメージではなく現実だからです。
これは、子ども家庭庁が発表している、
【我が国と諸外国のこどもと若者の意識に関する調査(令和5年度)】
から子どもたちの自己認識に対しての質問の結果をグラフにしたものです。

一目でわかるとおり、
他の国と比べて日本の子どもたちは自分への満足度が低いです。
また、自分の考えを主張出来るか、物事に挑戦できるかという質問についても以下の通り。

自分の意見をいうこと、失敗するかもしれないことに挑戦することにも苦手意識があることがわかります。
冒頭に挙げた
・自分を好きでいて
・意見を伝えられて
・挑戦できる
という親が求める人物像と、子どもの実情には大きな乖離があるということです。
誤解される自己肯定感
自己肯定感と聞いて、どんなイメージを持ちますか。
自分を好き。
自分を認められている。
自信がある。
チャレンジできる。
私自身も、そう思っていました。
つまり、「自分のことが大好き」で、「何でもできる」こと。
それが自己肯定感だと思っていたのです。
だから少しでも自分に納得できないところがあると、「私、自己肯定感が低いので……」と言ってしまう。
できない自分では、自分を肯定してはいけないような気がしていました。
でも、「肯定」とは「その通りだと認める」こと。
出来ないことがある自分も
失敗してしまう自分も
ダメなところがある自分も
全てまるっと認められること。
それが、本来「自己肯定感がある」ということです。
何かができる。
人より優れている。
失敗しない。
人の役に立つ。
賞賛される。
そんな条件つきの自己肯定感は、とても脆いものです。
けれど私は、それこそが自己肯定感を高める唯一の方法だと、本気で思っていました。
自己肯定とは、自己否定をやめること
条件つきで自分を肯定するということは、
その条件から外れた自分を否定することでもあります。
たとえば、テストで90点をとっても、
「ここ、計算ミスさえしなければ100点だったのに」と思って喜べない。
営業成績を達成しても、
「達成なんて当たり前。120%達成して表彰されなければ意味がない」と自分を責める。
私たちはそうやって自分を否定しないために、
勉強・学歴・習い事・能力・資格
ありとあらゆるものを積み上げることに価値を置きます。
私たちが価値を置いているのは、目にみえる成果だけではありません。
いい人でいることを自分に強いて、
性格の悪い自分は自己嫌悪する。
前向きな自分でいるために、
ネガティブな自分は顔を出させないようにする。
こうした目に見えない部分までジャッジしながら、
自分という土台を叩き続ける。

積み上げても積み上げても、
自分というベースを叩くたびに全てが揺れて崩れていく。
この状態で自己肯定感が育っていくはずがありません。
自分を叩くのをやめない限り、
自己肯定感は育っていかないのです。
自己否定とは、心のクセ
なぜ、「こんな私はダメだ」と思ってしまうのか。
多くは、幼い頃に「こんな私ではダメだ」と感じる経験をしているからです。
100点じゃないと褒められない。
泣くと怒られる。
しっかりしていると褒められる。
失敗するとがっかりされる。
そんな経験が、
「できない私はダメ」
「泣く私はダメ」
「失敗する私はダメ」
という心のクセを育てていきます。
自己否定を感じないように、
「もっと頑張らなきゃ」
「もっとちゃんとしなきゃ」と、自分を奮い立たせ続ける。
私は、それを何十年も続けていました。
自己否定の連鎖が生み出す地獄
母親が子どもを置いて自分の趣味に時間を使うなんてありえない
子どもが小さいのに預けて働くなんてありえない
バカ学校に行くような子になったら困る
いつまで泣かしてるんだ、泣き止ませろ
母乳で育てないと発達障害になる
オムツは2歳になったら外さないと
母親なんだから仕方ないわね
今SNSに投稿したら鬼のように燃えそうな発言の数々ですが、
全て私が娘を育てている時に親から言われた言葉たちです。
小さな頃から親の言うことが絶対だと思っていた私は、この言葉を全て「当然、そうあるべき」として受け止めていました。
要約すると
「ちゃんとした母親として、ちゃんとした子どもを育てる」
泣き止まない娘も、
泣いている娘に怒ってしまう自分も許せない。
自分の育て方のせいだと思い、
こんな母親はダメだとずっと自分を責めながら子育てをしていたのです。
そんな私にとって娘が小学校に行きたがらないということは、まさに青天の霹靂でした。
信じられないなんて言葉では片付けられない。
正直、「許せない」という言葉が一番だったと思います。
学校に行かないなんて、許せない。
口には出さないけれど、心の中はずっとそう思っていました。
「学校に行く」なんて価値の積み上げにも入らない、当たり前のことだったからです。
学校に行くのは当たり前で、
その当たり前のことが出来ないあなたはダメだ。
私はあの時、間違いなく態度でそのメッセージを娘に出していました。
「今の学校に行けないなら、中学は違うところに行こう」
と言いくるめて中学受験の道を本人に強く要求したのは、結局は私が「違う道での成果」を娘に求めていたからです。
学校に行かないような娘を育ててしまった。
そう考えて、私は自分を「許せなかった」のだと思います。
だから、いつものように何かしら違う成果を私自身に出して欲しかった。
小学校は行きたがらなかったけど、
中学受験は成功した
その成果を自分の価値を証明するために娘に求めていました。
学校に行けないなら、
別の場所で成果を出しなさい。
それが出来ないあなたはダメなのよ。
私は娘にそうメッセージを送り続けていたのです。
親がこんなメッセージを送り続けていて、
子どもの自己肯定感が育つはずがありません。
私が娘に渡していたのは、自己肯定感ではなく、
「成果がない自分には価値がない」という自己否定だったということです。
自己肯定感は育て直せる
地獄の道で毎日娘は癇癪を起こし、
私は血便が出て自律神経を病み、
中学受験するを辞めるのを決断した後。
私は本格的に自分の自己肯定感を育て直すことにしました。
娘の自己肯定感を育てたい。
そのためには、まず私自身の土台を整えなければならないと思ったからです。
土台を整えるために必要だったのは、たった一つ。
自分の話に耳を傾けること
自分の話?
いつも聞いているけど?
そう思いますよね。
ここでいう耳を傾けるというのは、
聞くのではなく聴くということ。
世間で言われる「傾聴」です。
キャリアカウンセラーとして学んだ「傾聴」は、
相手が言った言葉だけではなく、その奥にある本当の気持ちを理解しようとする姿勢だと教わりました。
不思議なことに、その技術を私は自分自身には一度も使ったことがありませんでした。
「正しく在ること」を自分に強いているので、
すぐに「正論」を振りかざしてしまう。
そんなこと言っても仕方ないよね。
こうした方がいいに決まってるよね。
気持ちはわかるけど、それって意味ないよね。
みたいなことを、自分にやってしまう。
辛いな…
悲しいな…
嫌だな…
と自分の心が言っても、
「そんなこと言っても何も状況は変わらないよね?」
と心を否定して理屈で論破してきました。
言わんとすること聞いてたら、物事進まないと切り捨てて、1ミリも自分に傾聴しない人生を歩んできたわけです。
そんなことするカウンセラーと信頼関係なんて構築できるわけがないように、私は自分との信頼関係が全く構築出来ていませんでした。
自分との信頼関係を構築することこそ、
自己肯定感の土台となる
「私という土台を整えなおすこと」。
だから、まずは自分の頭や心の声を否定しないことから始めました。
辛いと言った自分を否定しない。
悲しいと言った自分を励まそうとしない。
怖いと言った自分を論破しない。
そんなふうに、自分の話を最後まで聴けるようになること。
そのためにジャーナリングをしたり、
セルフトークを書き換えたり、
自分を責める振り返りを、自分を労う振り返りへ変えていきました。
やっていたことは全部違うようで、
結局は一つのことだったのです。
自分の話を最後まで聴けるようになった時、
私は初めて「自己肯定感を育てる」という言葉の意味がわかりました。
自己肯定感を育て直すと世界は優しくなる
自分の話に自分が耳を傾けるようになると、
人の話にも耳を傾けられるようになります。
良い・悪い
正しい・間違っている
正解・不正解
という2択の世界ではなく、
自分には自分の背景が相手には相手の背景があること
を私はやっと知ることが出来るようになったということです。
常に正しく在ろうとしている時、
正しさを脅かしてくる人たちはみんな敵です。
自分の正しさだけを理解してくれる人だけの世界は、とても冷たくて厳しい世界でした。
だけど、自分が自分を否定しなくなると、
自分は誰からも否定されないのだ
ということがだんだん実感としてわかるようになります。
もし否定してくる人がいたとしても、
それは敵だからではなく
「考え方が違うだけ」というフラットな受け止め方が出来るようなります。
この世界にたどり着いた頃にやってきたのが、
娘の1回目の不登校でした。
おそらく、この世界にたどり着いていなかったら、不登校になった娘を私がたくさん傷つけていたと思います。
そして、そうやって娘を傷つける自分を自分がまた傷つける。
その悪循環に陥っていたはずだと、自信を持って言えます。
私はずっと、「娘の自己肯定感を育てたい」と思っていました。
褒め方、声かけ、関わり方
こうした知識については一通り理解していたつもりです。
でも、一番大きく変わったのは、
私が自分との関わり方を変えてからでした。
自分を責める回数が減ると、子どもを責める回数も減っていく。
娘を「成果」で見なくなると、
学校へ行く・行かないという事実よりも、
その奥にある娘の気持ちに目を向けられるようになりました。
子どもの自己肯定感は、親が教え込むものではありません。
親が自分自身をどんな目で見ているか。
子どものことをどんな目で見ているか。
そのまなざしの中で、少しずつ育っていくものなのだと、私は思います。
終わりに
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
自己肯定感を高める
自己否定をやめる
自分を受容する
ありのままの私を愛する
こういった言葉を知れば知るほど、
出来ない自分を責めてしまう。
もしも、かつての私のようにそう感じる方がいたら、
一つだけお伝えしたいことがあります。
それは…
「本当に、よく頑張ってきましたね」
ということです。
誰かに認めてもらうために
自分を傷つきから守るために
ずっとずっと小さな頃から戦ってきました。
でも、その戦いはもう終わりにしてもいい。
自分を好きになれなくてもいい。
自信が持てなくてもいい。
まずは、自分の話を最後まで聞いてあげること。
「そんなふうに感じていたんだね。」
その一言が、自分との信頼関係を育てます。
私は今、それこそが自己肯定感なのだと思っています。
親が自分との戦いを終えると、
子どもを変えようとする戦いも終わっていく。
だから私は、子どもの自己肯定感を育てたいなら、まず親自身が自分との信頼関係を結び直すことから始まるのだと思っています。
この記事が、あなたとお子さんの世界が優しくなるきっかけになったら嬉しいです。
では、また次のnoteで。