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『ドラゴンの習字セット』をめぐるわが家の顛末。

    3年生になったわが家の息子が、学校から習字セットの申込み用紙を持ち帰ってきた。

    習字かあ。もう筆とか持ちはじめる時期なんだなぁとしみじみしつつ。

    キャラクターとかスポーツブランドとか色んな種類の習字ケースから自分の好きなものを選ぶシステムなので、気に入ったものはある?と聞いてみる。


    「絶対ブラックドラゴン!!!!」
    息子は鼻息荒く指さした。

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    これです

    ブラックドラゴン……ってこれね。
    この、墨バージョンのドラゴンみたいなやつね。
    了解です。

    去年学校のチラシで買った絵の具セットも、息子の迷いなきひと声で、既にドラゴンを使用中。

    この小学生男子のドラゴンへの揺るぎない憧れなんなの。 

    「男子は全員ブラックドラゴン!!」
    クールポコの熱量でかぶせてくる息子。

    あ、はい。じゃ、これもドラゴンで申しこんどきますわ。

    と、紙をしまったのだけど、そのあとでなんだかもやもやした不安が頭をもたげてきた。

    …ほんとに?
    男子たちほんとに、ブラックドラゴンでいくって?

    そうはいいつつもおうちの人からのアドバイスで、結局シンプル系にいくやつじゃないよね?
    高学年とか中学生になっても持ちやすい柄をって、
    母界隈ではよく聞くけど。みんなスポーツブランドとか無地で落ち着くやつじゃない?大丈夫?

    好きの勢いだけで行っちゃって、大丈夫?

    なぜ絵の具ドラゴンはオーケーで習字ドラゴンに二の足を踏んでいるかというと、少し前にネットで『ドラゴンの習字セット』がバズっていたのが記憶に新しいためなわけです。

    その懐かしさや、小学生には最高にカッコイイのに成長してみると最高にダサイみたいな、そんな共通認識で盛り上がっていたあの習字ドラゴンが、ついに、わが家にも。

    実際に「習字セット ドラゴン」で検索すると、トップに「恥ずかしい」というワードが出てくる。 そのままわたしは、その昔小学生でドラゴンシリーズを選んだ人が、大きくなって恥ずかしい思いをしたという内容の記事、またその一方で後悔はしていないという内容の記事などをいくつか読んだ。

    天井を仰ぎ、うーむと考えた。
    本人に選ばせることを大切にしたいけど、彼はまだ8歳。今だけを生きている子どもである。

    今後の成長も見越してひとつ忠告はしとくってゆうのも、もしかして少し長く人生を歩んできた大人の責任であり務めなのではなかろうか?

    「あのさ、習字セットだけど。本当にブラックドラゴンで大丈夫?」
    おずおずと再び紙を引っ張り出して、机に広げる。

    「うん!」

    気持ちよい即答。

    「これね、6年生とか、もしかしたら中学生とかでも使うものになるみたい。中学生になっても、このドラゴンで大丈夫かな?」

    「………」

    息子の顔に、ハテナが浮かんでいる。
    なぜそんなことをいっているのだか、さっぱり分からない表情だ。

    「もしかしたら、大きくなったらこういう方がカッコイイと思うようになるかも。長く使うかもしれないものとして、よく考えてみてね」

    わたしはそう言って、ミズノの地味な無地のケースを指さした。

    息子は、しばらく紙をみつめたまま黙っていた。

    そして、「やっぱこっちにする」といって
    ミズノの無地ケースを指さしたのだった。

    さて、実際こうなってみて、心底慌てたのはわたしだった。
    わたしは、一応はほかに目を向けさせてみても、彼はブラックドラゴンを選ぶということを疑いもしてなかったのだ。

    ほんとうに矛盾しているようだけれど、「別にそれでもいいからぼくはブラックドラゴンにする」となる結末以外、考えていなかった。
    ちょっと、言っておきたかっただけなのだ。

    「えっ? ほんとうに?ブラックドラゴンがいいんじゃないの?今ドラゴンにしたい気持ちだったら、ドラゴンでいいんだよ」

    わたしは早口で言った。

    「いい。ドラゴンはやめとく。」

    何度聞いても息子は強く首をふる。
    彼の中で、あんなにかっこよかったドラゴンが、急速に輝きを失ってしまったようだった。

    わたしの言葉によって息子は、「このドラゴンを、大きい人はかっこいいと思っていないこと」を、敏感に感じ取ってしまったのだ。

    わたしは一体、何がしたくてあんな忠告をしたのだろう。自分のしでかしたことに気づいたときには、もう遅かった。


    大きくなって、恥ずかしい思いをしてほしくないから?
    あのときドラゴンを選んで、失敗したとは思ってほしくないから?
    どれだけ考えたって、それがどんなに思い上がった考えだったかということ以外何も出てこない気がした。万が一、未来の息子がその選択を後悔したとて、それがなんだというのか。
    その選択が失敗か決めるのは本人だけであること。そして何度だって自分で失敗もする権利があること。それを、わたしがはなから奪っていいはずはないように思った。

    習字ドラゴンがどうやら大人にとってはダサいらしいという価値観すら、ネットの声をもとにしたもので、わたし自身の意見ではない。

    なんかダサいの?あのドラゴンって?

    それさえも自分ではよくわからないくせに、まるでそれが真実であるかのように、わたしは息子の小さな耳にささやいてしまった。

    失いかけてみてからそのきらめきに気付くものが、どれだけ多いことだろうか。

    わたしは後悔で重くなった頭で、息子の部屋を眺める。保育園の頃からずっと、ドラゴンをはじめとした空想の生き物が大好きな男の子だった。


    壁には自分で描いたドラゴンの絵が貼られている。
    コツコツ書き溜めてきたドラゴンの図鑑もある。
    夜な夜な布団の中でしている冒険のお話だって、ラスボスは決まってドラゴンではないか。彼にとってドラゴンは、最強かつ唯一無二のカッコイイ存在なのだ。

    息子の心の中の大切なものまで、汚してしまったような気持ちになった。

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    1年生のときの絵
    『ドラゴンにのって、まかいの森にいく』
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    息子の愛読書


    この時期ドラゴンの習字セットをめぐる親子の攻防については、ネットでもちらほら見かけたので、きっと色んな考えのご家庭があるのじゃないかなと思う。これはもう、子を持つ親に与えられた現代の踏み絵といって差支えない。(大げさか)

    ブラックドラゴンの前では、なんとなく浮草のように流し流されでやってきた子育て方針が、内に秘めた信仰のごとく白日にさらされるのだ。そしてそれには、正解というものはない。ここに書いたのも、あくまでわたしはそう考えたというだけのもの。

    でも、自分という人間が母として、どこを見て、何を軸に子どもと接してゆきたいと思っているかをふいに省みることになった。


    後日談として、改めてわが家では落ち着いて話をし、彼は結局ブラックドラゴンのセットを選んだ。

    届くの楽しみー!と、かわいい笑顔で言ってくれた。墨で描かれたあのブラックドラゴンの戦闘力や必殺技について、話してくれた。やはり内心は、ブラックドラゴンに憧れてたんである。

    この結果に誰より喜んでいるのはわたしだ。
    本当に、身勝手なものよ。

    これからも、彼のカッコイイ!を、全力で大切にすることをここに誓いたい。


    ▼息子の頭の中をのぞく


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    おいしいものと、ワインと旅が好き。 感受性豊かな息子(9歳)との日々の記録。 出版社勤務→2024年からフリーランス

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