
いつだって、もう戻れない場所に戻りたい
いつだって、もう戻れない場所に戻りたい。
社会人になりたての頃、南青山にメディテーション(瞑想)サロンが出来たと聞いて、一人で行ってみたことがある。
そのサロンでの瞑想の手順は次のとおりだった。
まず、「真っ白に光り輝く部屋」と「真っ暗な部屋」を自由に往復し、日常モードから瞑想モードに心身を切り替える。
次に、心地良いウッド調の部屋に入り、音声ガイドに従って瞑想をする。
最後に、静かなお茶室のようなスペースで、自分で点てたお茶を飲みながら、心に浮かぶことを和紙に書いて、感情を整理する。
瞑想の詳しい内容は既に忘れてしまったが、真っ白に光り輝く部屋の中で、視界にちらつく自分の睫毛が異様に黒く見えたこと、瞑想中に床に手をついて、声を上げて泣いたことを覚えている。
実家に、白バラのつたうアーチ門があった。田舎の民家に不釣り合いなアーチ門は、私の祖母がこだわって作ったもの。
祖母は、バラが好きな人だった。うちにバラ園を作りたいの、とよく言っていた。
私が実家を思い出すとき、そこにはいつだって満開の白バラを重そうに抱えたアーチ門があり、昼下がりの向陽と心地良い風があり、まだ若く、仲の良かった頃の父と母の姿があり、元気な祖父母の姿がある。
慣れない東京生活でホームシックになった時、いつだって思い浮かぶのは、この景色だった。この景色の中に私は戻りたい。
でも、戻れない。この景色の中には永遠に戻れないのだと気付いて、私は大声で泣いたのだった。その当時、父と母は、長い年月を共にしてきたなりの不和を抱えていたし、祖父母は認知症が進んで、もう庭には出られなくなっていた。なにより、私はもう守られるべき小さな子どもではなかった。
ひとしきり泣いた後、私は、白バラのアーチ門を胸の奥にしまった。ここにはもう戻れないけれど、無くなることもない。
会社を休職して駐在帯同を開始した直後は、早く仕事に戻りたかった。
私が出た時とそっくりそのままのメンバーで、そっくりそのまま同じ業務に、同じ働き方に戻りたい。
常夏の国に来たのに、職場復帰したときに必要だからと、冬服を何着も取っておいた。育児中には履く機会のない高いヒール靴や、OL御用達のロンシャンのバッグも。
でも、私がいない間に組織はどんどん変わった。しまいには、社長まで変わっていた。
どんなに私が戻りたくても、あの時の場所はもう無い。
何より、私だって、もう、あの時の私ではないのだ。仕事以上に大切にしたい家族がいて、ガムシャラに働けるような時間の余裕もない。
帯同して半年程経った頃、涙で濡れた沢山の夜を越えて、私は、あの頃の私を胸の奥にしまった。洋服やバッグも、捨ててしまった。
もう戻れないけれど、私の大切な一部だ。
年を重ねるにつれて、戻れない場所が増えていく。
でももし、いつでも戻れてしまうのだとしたら、それはきっと、ここまで大切にはならなかった。
私の行ったメディテーションサロンは、ひっそり閉店したらしい。
もう戻れない場所を胸の奥にしまって、私は、まだ行ったことのない場所へ向かう。