
なにかを楽しむとき、無責任な部分を残しておくといい。
ようやく春を感じる暖かさ。近所の公園から小さな子どもたちの遊ぶ声がよく聞こえてくるようになった。
うちの子たちも、もうすぐ春休み。つぎは4年生と2年生。いろいろあった1年だが、2人ともよくがんばって登校できた。えらい。
ふつうのことをふつうにできるということは、ありがたいことなのだ。ふつうであることは難しいし、ことごとくややこしい。毎日、決まったことを決まったままにできるということは、それだけでえらいんだ。

責任がともなわない状態は身軽でいい。人間は知らずしらず責任にしばられてしまう。
例えば趣味のイラスト。何を描いてもいいし、描かなくてもいい。描いた絵をnoteに投稿してもいいし、誰にも見せずにそっとしまっておいてもいい。
なにかを楽しむとき、無責任な部分を残しておくといい。仕事には責任がともなうが、そのなかにも無責任でいられるところを忍ばせておく。

AIが将棋を指すようになっても、プロの棋士はやはりかっこいいままだ。
人間の頭脳はAIに勝てないかもしれないが、それでも棋士はかわらず将棋を指し続けるだろうし、将棋をイチから学ぶときもその楽しさは変わらないだろう。
ネットを見れば無限の音楽にあふれているが、人は楽器を弾くし、カラオケで歌う。
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子どもたちと一緒に寝入ってしまい、夜中に目が覚める。
