
黒いひとりと、白いみんな。
たまに小学生の頃を思い出す。
大雪だったらなとか、
早く大人になりたいなとか、
ずっと目が覚めなければいいなとか、
そんなことばっかり考えてた。
とにかく痛かった。
物理的にとかじゃなくて、胸の奥底が。
ラオスと日本のハーフで、生まれた時から肌が黒い。
当時は外国人の移住者が地元に居なかった。
だからみんなからしたら、珍しい存在だった。
クラスのみんなは肌が白かった。
日焼けしてもみんな肌が赤くなってるくらいで、
少ししたら元に戻る。
肌が黒いのは学年でたったひとりだった。
もしかしたら学校でひとりだったかもしれない。
小学四年生くらいの頃、 “ いじめ ” が始まった。
“ 汚い ”
“ ばい菌が移る ”
1人が急にクラスで言い始めた言葉。
嘘みたいにみんなの目が急変した。
そうか、、みんなとは違うのか、、。
自分だけ違う存在であることに気づいた。
肌は遺伝だから仕方ないのにね。
机も離されるようになったり。
タイヤの遊具から押されて、転んで、大きな傷ができたり。
給食のご飯を服にべっとりつけられたり。
あまりもうよく覚えてないけど、
毎日何かしらの痛いことがあったことだけは覚えてる。
幸い、心の芯だけは太かった。
だから、負けずに強くいようって思えてた。
だけど毎日それらが続くと、じんわりと無意識に心が侵食されていく。
一緒のペアなんて嫌だよね。
あまり近づかないように気を遣おうとか。
そんなふうになってく。
ただただ、生まれてきたことが辛かった。
あぁ、生きづらいなって。
家族でファミレスに行っても、外国人と認識されたくなくて、日本語で話すようにお願いしたこともあった。
父親も母親も、 “ なんで?いいじゃん ”って。
なんか、その言葉が寂しかったし、理解できなかった。
授業参観で大号泣。
ある日の授業参観の出来事。
その日は、たくさんのお母さんたちがクラスの後ろに立っていた。
ちなみに僕の両親はいない。
いや、呼ばなかった。
なんか堪えてきたものが抑えきれなくなったのか、
何か現状が変わるのを期待したのか、
涙が勝手に溢れ出た。
泣いてるのに、
机に伏せてるのに、
泣き声も出ていたはずなのに、
授業はそのまま続いてる。
何も変わらなかった。
ただ気づかれなかっただけかもしれない。
ただ運悪く悪条件が重なってしまっただけかもしれない。
だけど、なんかその状況が悲しかった。
初めて仮病を使った。
いじめは結局小学六年生まで続いた。
不幸なことに、ずっとクラスも一緒だった気がする。
結局ずっと、両親にもこんなこと言えなかった。
弱い自分を知られたくなくて。
心配そうな顔をされたくなくて。
だから気づかれないように、家では普通を装って、
毎日病気の時以外はちゃんと登校した。
でも、一度だけ仮病を使ったことがある。
ちょっと具合が悪いから休みたい。
そしたら案の定心配されて町の病院に連れて行かれた。
“ あぁバレる。怒られる。心配される。 ”
そんな恐怖だけ思い浮かんだ。
意外にも医者からは風邪?体調不良?
よくは覚えていないけど、とにかく休ませるように言ってくれた。
恐らく医師には仮病ってバレていたと思う。
それでも休むように助言してくれたのは、感謝でしかなかった。
友人の話。
その子のお母さんは、子供が学校に行きたくないって言ったら、
“ じゃあ、ディズニー行こうよ! “
って言ってくれるらしい。
その話を聞いて、すごく羨ましいなって。
ただ静かに、いつも通りに、軽く、寄り添うだけで、
子供は救われる。安心できると思う。
いつかお父さんになったら、僕もそんな親になりたい。
助けるって、色々な形がある。
幸いにも、小学一年生からの付き合いの友達はいた。
肌も気にしないで変わらず、接してくれた。
だけど、クラスはいつも違っていたような。
だから友達は僕のいじめられてる光景をあまり知らない。
ある日、その光景を友達見られた。
傍観だった。
なんだか悲しかった。期待してしまったんだな。
まぁ、そうだよね。怖いよね。それが普通。
それでも放課後は変わらず遊んでくれる。
変わらず接してくれる。
そういう存在があったからこそ、耐えられたんだと思う。
友達なりに、違う形で助けてもらえていたことに気づいた。
ただ変わらず居てくれることに救われた。
とても感謝でしかない。
耐えて、耐えて、耐えて、、卒業。
人には人の耐えられるキャパがある。
小学六年生の時ふと、
“ そういえば、なぜ僕は耐えてるんだろう? ”
って、疑問が浮かんだ。
人間ピークまで達すると、その状況をなんとかしようとする。
自分を救うために。
対象法は人それぞれで、
僕の場合は極端で、真逆の結論に至る。
ある日、限界に達した。
もう卒業するし、
中学受験を頑張ったおかげで学校も違うし、
関わることももうないからもうどうなってもいいやって、
トイレで初めて胸ぐらを掴み返して、殴ろうとした。
今まで積み重なってきた分を、全てぶつけようとした。
だけど、結局一発も殴れなかった。
顔の前の寸止めで終わってしまった。
でも、驚くことにその反発以降、
いじめがぴたーっと止んだ。
あぁ、こんなことで良かったんだ…。
立ち向かう勇気だったんだって気づいた。
海外のハナシ。
海外では、色んな肌の人がいる。
肌だけでなく、髪質や体型なども様々。
不思議と自分のコンプレックスのことなんて忘れられた。
みんながお互いの違いを尊重して、気にしていなかった。
そんな環境だったなら、何も気にすることなく、
幸せだったのかなとか思ってしまう。
小学生の頃、久しぶりにラオスに帰って、おばあちゃんに言われた一言が今でも残ってる。
“ 前はもっとよく話す子で、明るかったのにね。 ”
たしかに、いたずら好きで、とにかく活発で、いつも笑顔だった気がする。
知らず知らずのうちに、内向的になっていったのかな。
そして今。
ちゃんと毎日通った自分を、褒めたい。
小学生の頃に比べたら、だいぶ外国から移住してきた人達を見かけるようになった。
だけど未だに、やっぱり日本では浮いて見える。
なんか外側にいるって感じ。
そういえば小学生の頃に、マンションに引っ越した。
その内見の時、
“ 母親だけは連れてこないでほしい “
って、前のオーナーに父親が言われたらしい。
ラオス人と昔よくない思い出があったみたいで、
ラオス人が嫌いらしい。
当時はなんだろう、この理不尽感…
とか思ってたけど、理解してしまう自分もいる。
でも、そんな経験ができてよかったなとも思う。
おかげで強くなれたし、ちゃんと得られたこともある。
① 傷つく痛みを深く知れた。
人の気持ちとかに敏感になれる。
ひとりぼっちや、弱い立場の人たちの気持ちがよく分かる。
そして、人の痛みに深く寄り添えるようになれた。
だから、たまにお節介とかしてしまう。
寂しそうな顔をしてる人がいたら迷わず声をかけたいし、
SOSを求めてる人は絶対に見捨てない。
全ての人は救えないけど、悲しそうな人は少しでも自分なりに助けたいなって。
もしかしたら、あの日の自分を救ってあげたいだけなのかもしれない。
エゴかもしれないけど、でも笑ってる方が絶対いいと思うから。
② 粘り強く、そして強くなれた。
どんなことにも粘り強く、簡単に屈しなくなった。
ちゃんと状況を見て、ちゃんと相手の意図も汲み取って、なお納得できない理不尽には闘う。
大きな山を超えた経験は、自分の芯をとても強くしてくれたって思う。
裏話。
いじめられていた子の家にお邪魔したことがあります。
そこでみた光景は、弟にすごく優しい姿。
それに心が反応したことをすごく覚えてます。
シングルマザーのご家庭でした。
本人ではないので全てを理解することはできませんが、
もしかすると家庭でしっかりしなきゃとか、
みてもらえる存在が欲しかったとか、
何か葛藤があったのかもしれません。
憶測なので、正直なところわからないですけど。
でも少なからず、その人自身もまた、
別の何かに苦しんでいたんじゃないかなって。
ちなみに、
記事の写真はオーストラリア、ケアンズのEsplanadeの公園を夜歩いていた時に見つけた像です。
どこか印象的で思わず写真を撮りました。📸
ケアンズはとにかく時間の流れがゆっくりでした。
人も歩くスペースがゆっくりで、なんか落ち着くなって。
ゆっくりでいいんだよ、って思わせてくれる場所でした。
でも同時に留まったら、成長することも忘れてしまいそうだなって。
だから、現実に疲れてしまった時に、
息をちゃんと吸いたい時に、
また行きたい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます^ ^