
尚兵
ばあちゃんの認知症に気づいたのは僕だった。
正月、ポチ袋の膨らみから金額を予想する嫌なガキはすぐに異変を察知した。
「ばあちゃん、"しょう"の字が違う」
僕は『尚平』と書いて『しょうへい』と読む。
これがどう見ても『昭平』と書いてある。
ごめんねぇ〜とヤギの実写版みたいなトーンで謝られた。
まぁ気にしない。ばあちゃんには大勢の孫がいて、その中でも僕は末端の最年少だ。
翌年、ポチ袋には『尚兵』とあった。
「ばあちゃん、今年は"へい"がちゃうわ」
「あら、そうかね。ごめんねぇ〜」
子供心にざわざわする。いくらなんでも間違え過ぎだ。兵て。
そして三年目、律儀にしょうへいの読みは守りつつ遂に両方の字が全く違っていた。
「父さん、ばあちゃん診てもろたら」
その他にも気掛かりな症状があったんだろう。
ほどなく医者から認知症と診断されて、ばあちゃんを介護するため我が家で一緒に暮らす運びになった。
僕が小さい頃もばあちゃんは一緒に住んでいた。
部屋のドアを開けるとお年寄り独特の匂いが立ち込めて、ネスカフェ・ゴールドブレンドの空き瓶一杯に詰め込まれた自家製しそにんにくを差し出すのだ。
「尚ちゃん、食べるかね」
晩飯前にこれを食べてよく胃が荒れた。
酒の肴が幼少期から手に取る距離にあって見事、後年溺れることとなる。
それからしばらくして、ばあちゃんは勤めに出るからと一人暮らしを始めた。僕が9歳の頃だった。
そして15歳、中学三年生になった。
明るく優しいばあちゃんが大声を上げることが増えた。
家の中をひっかき回したり、ここじゃ書けないようなことも沢山あった。
母は懸命に介護しながら笑顔を絶やさなかった。
「あんたは受験があんねやから、部屋行ってなさい」
反抗期こそ無かったが、思春期を共に過ごす認知症のばあちゃんは見ていてチクチクした。
会話がままならない。尚ちゃんと呼んでもらえなくなった。口数も減ったかと思えばまた奇声を上げる。
どうして人生の最後が近づいた時にこうなったんだろう。もう元には戻らないのかな。
「ばあちゃんの生まれ知ってるか」
「山口やろ」
「満州や」
父から聞くに戦前、満州にあった大きな工場で責任ある職に就いた曾祖父は裕福だったそうな。家には使用人までいたというのだから相当なもんだろう。
僕の父を見て、ばあちゃんはえらくしおらしい態度をとる。
これがどうやら過去の記憶が混同し、父を自分の父として接しているようなのだ。
兄のことは「辰ちゃん」と父の名を呼び、母はお手伝いさんだと勘違いする場面が増えた。
ばあちゃんの体は今ここに居るのに、心があらゆる時代を忙しなく飛び回っている。
そして下校した僕を見るなり、指をさして大声を張り上げる。
「ぎぃぃぃやぁぁぁぁぁッッッ!!!殺されるゥゥゥゥゥゥゥゥッッッッッッ!!!!!」
「はよ部屋行ってなさい!!!!!」
急いで扉を閉じる。肩で息をしながらまだ下の階から叫び声がこだまする。
そう、僕は『満州の兵隊さん』に見えるそうだ。
父、息子、使用人、満州の兵隊さん。
あまりにも毛色ちゃうやろ。
墓参りに父と行く。墓前には好きだった甘い缶コーヒー。
なぁ、ばあちゃんよォ。あれからもう20年経ったか。
これを書いている今も思うよ。
あれ何やったん。何でなん。