
「最後まで、母だった。」
~子宮頸がんで母を亡くした私が伝えたいこと~
※約20分で読めます。
目次
・第1章 違和感のはじまり
・第2章 見過ごしていたサイン
・第3章 その一行
・第4章 現実を拒む時間
・第5章 手術の日
・第6章 変わってしまった姿
・第7章 終わりじゃなかった
・第8章 はじまった治療
・第9章 それでも笑っていた
・第10章 再発
・第11章 揺れる選択
・第12章 できることを全部
・第13章 変わっていく言葉
・第14章 進んでいく現実
・第15章 余命宣告
・第16章 できることがなくなる時
・第17章 それでも、母だった日々
・最終章 残された時間
・最期の日 4月20日
・エピローグ それでも、生きていく
第1章 違和感のはじまり
ピコン、という軽い音だった。
ベッドの上でスマホを手に取る。
画面に表示されたのは、母の名前。
何気なく開いたそのメッセージを見て、
私は、しばらく動けなくなった。
「子宮頸がんって言われた」
その一行で、時間が止まった。
たった一行なのに、意味を理解するまでに時間がかかった。
画面を閉じて、もう一度開く。
——同じ文字が、そこにある。
何かの間違いだと思いたかった。
でも、何度読み返しても変わらない。
信じたくないのに、現実だけがそこにあった。
——その時、ふと思い出した。
「なんか最近、ちょっとおかしいとさね」
母がそう言ったのは、いつだっただろう。
「おりものの変でさ」
「なんか水っぽいものやちょっと茶色がかった感じ」
母はいつも通りの顔でそう言った。
「へえ、そうなんだ」
私は、そう返しただけだった。
深く聞かず、
「まあ大丈夫やろ」とどこかで思っていた。
あの時、もう少しだけ踏み込んでいたら。
「一回病院行ってみたら?」と、言えていたら。
その言葉が、今も何度も頭をよぎる。
言えたはずの一言が、消えてくれない。
でもその時の私は、
子宮頸がんがどんな病気かも、
どんな症状が出るのかも、何も知らなかった。
「まさか、がんなんて」
そう思っていたのは、母だけじゃない。
私も、同じだった。
これは、
「きっと大丈夫」と思い続けた先に起きた、
私たち家族の話です。
そしてこの話は、きっと——
誰にとっても、他人事じゃない。
第2章 見過ごしていたサイン
母は、すぐには病院に行かなかった。
——行かなかったというより、行けなかったのかもしれない。
理由は分からない。
忙しかったからかもしれないし、
「まだ大丈夫」と思っていたのかもしれない。
転機になったのは、ママさんバレーの日だった。
練習中に、いつもとは違う異変があったとあとから聞いた。
「おかしい」と感じるには十分だったらしい。
「一回、病院行った方がいいんじゃない?」
仲間にそう言われ、
看護学生だった妹にも相談した。
「早めに受診した方がいいと思うよ」
その言葉で、母はようやく病院へ行く決心をした。
近くの産婦人科。
「詳しい検査が必要です」
医師のその一言で、空気が変わった。
その場で大学病院への紹介状が書かれたという。
あとから聞いた時、胸の奥がざわついた。
ただの不調だと思っていたものが、
少しずつ“現実”に変わっていく。
それでもこの時の私は、
これがどれだけ大きな出来事になるのか、まだ知らなかった。
第3章 その一行
スマホが震えた。
画面を見ると、母からのLINEだった。
「あのね、突然けど」
その書き出しに、少し違和感を覚えた。
何気なくスクロールする。
「最近子宮あたりの調子悪くて」
「おりものとかゴツくておかしかったけん」
そこまでは、まだ現実味がなかった。
でも一
「産婦人科行ったら大学病院を紹介されて」
「今日行ったら、子宮頸癌って言われたとさね」
指が止まった。
一瞬、意味が分からなかった。
子宮頸がん。
......ガン。
その言葉だけが、頭の中に残る。
続きを、ゆっくり読み進める。
「まだ段階とかはわからんで」
「来月また検査して、どのくらいのレベルか分かるけん」
現実のはずなのに、どこか遠くの話みたいだった。
「とりあえず、来月までは昼の仕事はするよ」
「夜のバイトは明日からは行かない」
いつも通りの生活の話が続くのが、逆に違和感だった。
何も変わっていないように見えることが、一番怖かった。
「ママもまだ実感ないし、体は元気やし」
「前向きに考えとるけん、全然落ち込んではない!!」
その言葉に、少しだけ安心しかけて一
「だけん、あんま心配せんで☺️」
最後の一行で、何も言えなくなった。
心配せんで、って。
そんなわけ、ないやろ。
なんて返せばいいのか分からなかった。
画面を見たまま、指が動かない。
やっと打てたのは、
「まぢか!家族は知ってると?」
それだけだった。
何か、もっとちゃんとした言葉を打たないといけない気がした。
でも、何も思いつかなかった。
言葉が見つからないまま、時間だけが過ぎていった。
第4章 現実を拒む時間
その日は、何も考えられなかった。
スマホを閉じて、また開く。
同じ画面を何度も見返しては、現実じゃない気がした。
私は、とりあえず考えるのをやめた。
——頭も心も整理したかったから。
数日後。
母に、検査の結果を聞いてみた。
既読はついた。
でも、返信は来なかった。
何度も画面を開いては閉じて、
「まだかな」と思って、
それでも何も来なくて。
気づけば、悪い方にばかり考えていた。
耐えきれなくなって、妹に連絡した。
「検査結果、聞いとる?」
少し間があって、
「聞いとるよ」
とだけ返ってきた。
そのあとすぐに、長い文章が届いた。
画面いっぱいに並ぶ言葉。
「悪性腫瘍であることは間違いない」
「子宮、卵巣、リンパ節の摘出」
「抗がん剤治療」
「副作用、吐き気、脱毛」
一つ一つの言葉が、頭に入るのに時間がかかった。
読んでいるのに、理解したくなかった。
「手術は8時間くらい」
「術後は自己導尿になる可能性」
——何それ。
知らない言葉ばかりだった。
でも、分からなくても、ひとつだけ確かなことがあった。
これは、軽い病気じゃない。
もう、元の生活には戻れないかもしれない。
画面を見つめたまま、
時間だけが過ぎていく。
あの時の私は、
現実を受け止めるにはまだ時間がかかりそうだった。
第5章 手術の日
手術の日、私は長崎に帰った。
病院の廊下は、やけに静かだった。
その日の朝、母からLINEが来ていた。
「バァバは今、疲れとるけんね」
「色々重なってきついみたいやけん、手伝えることあったら手伝ってやってね」
自分がこれから手術に向かうのに、
母は、祖母のことを気にしていた。
——今は、自分のこと心配しなよ。
そう思ったのを覚えている。
手術室の前。
母は、自分で点滴を押しながら歩いてきた。
車輪が、廊下に小さく音を立てていた。
ゆっくりと、一歩ずつ。
「じゃあ、行ってくるね」
そう言って、母はいつも通りに笑った。
その笑顔が、さっきのLINEと重なった。
「うん、いってらっしゃい」
私も、いつも通りに返した。
本当は、全然いつも通りじゃないのに。
そしてそのまま、自分の足で中へと入っていった。
扉が閉まる。
それだけで、何かが遠くに行ってしまった気がした。
手術は、8時間くらいと聞いていた。
私は、父と祖母達と一緒に待合室で待っていた。
誰も、あまり喋らなかった。
時計を見る。
まだ1時間。
また見る。
まだ2時間。
時間が、やけに遅かった。
8時間のはずだった。
でも、
9時間経っても、呼ばれなかった。
10時間経っても、まだだった。
「……遅くない?」
誰が言ったのかは覚えていない。
でもその一言で、胸の奥が一気にざわついた。
何かあったんじゃないか。
そんな考えが、頭から離れない。
ただ座っているだけなのに、
手のひらが冷たく、落ち着かなかった。
第6章 変わってしまった姿
「手術は無事に終わりました」
——その言葉を聞いた瞬間、
張りつめていたものが一気にほどけた。
そのあとのことは、あまり覚えていない。
きっと、安心したんだと思う。
気が抜けて、頭がうまく働かなかった。
ただ、断片的な記憶だけが残っている。
摘出された子宮を見せられたこと。
医師から術後の説明を受けたこと。
でも、何を言われたのかはほとんど覚えていない。
聞いていたはずなのに、何も頭に入ってこなかった。
母とちゃんと会ったのは、2日後だった。
病室のドアを開ける。
ベッドの上にいた母は、いくつもの管やコードに繋がれていた。
目はうっすらとしか開いていない。
気づいたのか、少しだけ反応を見せた。
思っていたよりも、ずっと弱々しかった。
声も小さく、かすれていた。
ゆっくりなら、なんとか会話はできる。
でも——
同じ人なのに、少し違う。
そんな感覚だった。
「大丈夫?」
そう聞いた自分の声も、少し震えていた。
母は小さくうなずいた。
「うん……大丈夫」
そう言いながら、目を閉じる。
絶飲絶食だと聞いていた。
そのせいか、顔色も声も、すべてが弱々しく見えた。
無事でよかったはずなのに、
目の前の現実は、思っていたものとは違っていた。
「よかった」だけでは、受け止めきれなかった。
何も言えず、ただ母の手を握っていた。
それしか、できなかった。
第7章 終わりじゃなかった
術後しばらくして、母からまた長いLINEが届いた。
画面いっぱいに、リスク回避の治療の説明が並んでいた。
抗がん剤治療になること。
数週間おきに点滴で投与すること。
副作用で、髪の毛が抜ける可能性があること。
一つ一つ読んでいくうちに、
「治ったわけじゃない」という現実を、
突きつけられた。
それでも母は、最後にこう書いていた。
「長期入院にならんでよかった!」
——どこまでも前向きな人だった。
それでも、年末はやってきた。
毎年恒例の、家族での忘年会。
カラオケに行って、
みんなで歌って、笑って。
その年も、無事に集まることができた。
ただ一人、次女だけは来られなかった。
それでも、あの時間はいつも通りの家族の時間だった。
——それが最後の忘年会になるなんて、
その時の私は、まだ知らなかった。
第8章 はじまった治療
年が明けてすぐ、母の抗がん剤治療が始まった。
1月7日。
数時間かけて、点滴で薬を入れていく。
そのあと、5日ほどは副作用が出ると聞いていた。
吐き気や、だるさ、
そして——脱毛。
「でもママは強いけん、大丈夫!」
母はそう言って、笑っていた。
本当にそう思っていたのか、
それとも言い聞かせていたのか。
その時の私には分からなかった。
ただ、その言葉を信じるしかなかった。
“強いから大丈夫”なんて通用しない現実があることを、
このあと、私は思い知ることになる。
第9章 それでも笑っていた
抗がん剤治療が始まってからも、
母は想像していたよりずっと元気だった。
「寝込むイメージやったけど、全然大丈夫やった!」
そんなLINEが届くほど、
退院したその日から動き回っていた。
仕事にも行って、普通に生活して。
正直、
「本当に抗がん剤治療中なの?」と
思うくらいだった。
母はウィッグをいくつも買って、
自分で被ってみたり、
祖母に被せて笑ったり。
送られてくる写真は、どれも明るく、
いつも通りの母だった。
「どうせなら楽しもうって思ってさ」
そんなふうに言う人だった。
1月19日。
「髪の毛、抜けだした」
それだけのLINEが届いた。
お風呂で髪を洗った時、
いつもより多く抜けていたらしい。
『「あ、きたか。」と思ったね。』と母。
覚悟はしていたはずなのに、
その一言で現実が急に近づいた気がした。
2月に入る頃には、
髪はほとんどなくなっていたようだった。
それでも母は、変わらなかった。
「3回目終わったー!」
「やっぱり我が家が一番!」
そんなLINEが届くたび、
本当にこの人は強いんだなと思った。
——その時までは。
第10章 再発
3月30日。
母から、またLINEが届いた。
「あのー、またもや入院しますー」
いつもと変わらない軽い書き出しだった。
でも、そのあとに続いた言葉で空気が変わった。
「こないだ採ったガンの近くに、またできとるみたい」
一瞬、頭が追いつかなかった。
再発。
その言葉だけが、頭に残る。
「最初はめっちゃ凹んだけど」
「また元気になるって思って頑張るしかない!」
母は、やっぱり前を向いていた。
でもその強さが、少しだけ苦しく感じた。
「そーなの?」
私は、いつも通りに返した。
励まさないといけないのに、
本当は、何も言いたくなかった。
「早期発見でよかったよ」
そう言いながら、
心のどこかで、
「なんでまた」と思っていた。
でも、その気持ちを、口には出せなかった。
第11章 揺れる選択
4月。
再発が分かってから、
母は放射線治療と抗がん剤を同時に受けることになった。
「朝の放射線終わった!」
「今から抗がん剤やね」
そんなLINEが届くたび、
また頑張ってるんだな、と思った。
でもその直後に、
私の体調を気にするLINEが続いた。
自分がこれから治療を受けるのに、
いつも通り誰かの心配をしていた。
それは祖母に対しても同じだった。
「バァバが心配でさ」
母は、自分の体よりも家族のことを気にしていた。
結局、母は治療のスケジュールを変えた。
入院し続ける形ではなく、
週の半分だけ入院する生活に。
「家のことが気になるけん」
そう言っていた。
でも、
少しずつ、様子が変わっていった。
「今日は体がきつい」
「全身筋肉痛みたい」
「吐き気と、不眠もある」
それまであまり見なかった言葉が増えていった。
そして、4月28日。
「今日の抗がん剤はナシにした」
そのLINEを見たとき、
少し引っかかるものがあった。
息苦しさや発疹、寝不足。
体が、ついていかなくなっていた。
「しばらくは放射線だけにする」
私は、どう返せばいいか分からなかった。
「それで大丈夫と?」
そう聞くのが精一杯だった。
「なんとかなるやろ」
母は、いつも通りに返した。
本当は思っていた。
抗がん剤をやめたら、
治らないんじゃないかって。
でも、
「頑張って続けて」とは言えなかった。
もう十分頑張っている人に、
これ以上を求める言葉は出てこなかった。
苦しんでほしくなかった。
でも、治ってほしかった。
どちらも本音で、選べなかった。
——もしあの時、
「続けてほしい」と伝えていたら、
何か変わっていたんだろうか。
そう思うことが、今でもある。
でも同時に、
あの時の母にそれを言えた自分が想像できない。
答えは、出ないままだった。
第12章 できることを全部
そのあとも、母はいくつかの抗がん剤を試していた。
吐き気の少ないものを選びながら、
なんとか治療を続けていたらしい。
夏に帰省した時には、父と母と私で、
病気が良くなるようにお参りに行った。
福岡でもできることを探して、
“癌が治る”と噂の場所を回ったりもした。
正しいかどうかなんて分からなかった。
それでもその時は、できることを全部やりたかった。
父と母は、若くして私を産んで、
新婚旅行にも行けていなかった。
母の病気のことを聞いた父の古い友人が、
お金を包んでくれたらしい。
そのおかげで、二人は鹿児島へ旅行に行った。
「楽しかったよ」
そう話す母の声は、
その時だけは、いつもの母に戻っているように聞こえた。
第13章 変わっていく言葉
夏が終わり、気づけば冬になっていた。
その年の年末は、
コロナの影響もあり、静かに過ごした。
年が明けてから、
母のLINEは少しずつ変わっていった。
元気のない文章が増えて、
「食欲がない」
そんな言葉が目立つようになった。
2月に入る頃には、
輸血をすることも増えていた。
そして——
「いつ帰ってくると?」
その言葉が、何度も届くようになった。
最初は、
「帰ってこんでよかよ」って言っていたのに。
その変化が、少し怖かった。
理由はうまく言えなかったけど。
寂しいのか、
不安なのか、
それとも——
何かを感じていたのか。
私は、4月から長崎に戻ることを決めた。
第14章 進んでいく現実
2月。
再発してから、
母の癌が良くなることはなかった。
抗がん剤も、
いくつもの種類を試した。
そのたびに、
期待しては、
違う結果を突きつけられた。
家族みんなで、
できる治療法を探した。
当時出始めだった光治療のことも調べた。
でも、
母の癌には適応できないと言われた。
できることは、やった。
それでも、
状況は変わらなかった。
母から届くLINEの内容は、
それまでとは明らかに変わっていた。
「痛み止めを変えた」
そう書かれていた。
医療用の麻薬に変えた、と続いていた。
その一文だけで、
痛みが強くなっていることが分かった。
「歩けんとさ」
その言葉が、
これまでとは違う段階に来ていることを、はっきりと示していた。
でも、
それでも母は、
いつも通りの口調で送ってきた。
第15章 余命宣告
3月19日。
妹から電話がきた。
出た瞬間、
泣いているのが分かった。
「余命、1ヶ月って……」
その言葉を聞いた瞬間、
時間が止まった気がした。
今年の年末までは大丈夫だと、
そう言われていたのに。
頭が追いつかなかった。
電話を切ったあと、
ただ泣くことしかできなかった。
それから、
仕事も、夢も、手放した。
長崎に帰ることを決めた。
迷いはなかった。
3月23日。
久しぶりに、テレビ電話をした。
画面に映った母を見て、
一瞬、言葉が出なかった。
痩せていて、
髪は少しだけ伸びていたけど、
以前とは、まるで違っていた。
同じ人なのに、
別人のように見えた。
「……元気?」
やっと出た言葉が、それだった。
画面越しの母は、
今までとは明らかに違っていた。
その事実を、
初めてちゃんと突きつけられた気がした。
泣きそうだった。
——いや、
もしかしたら、もう泣いていたのかもしれない。
第16章 できることがなくなる時
母の体は、目に見えて変わっていった。
足のむくみがひどくなり、
もう歩くことはできなくなっていた。
移動は、車椅子になった。
尿も出なくなり、
バルーンを入れることになったと聞いた。
「痛くてしたくないって泣きよったよ」
妹のその一言が、
どうしても信じられなかった。
あの母が。
どんなにきつくても、
笑っていた人が。
それだけ、
想像できないほどの痛みだったんだと思う。
腫瘍も大きくなっていた。
いくつもの治療を試したけど、
「もうできることはない」と言われた。
母の希望で、
在宅で過ごすことになった。
——もう、病院でできることは残っていなかった。
第17章 それでも、母だった日々
2度目の春。
久しぶりに会った母は、
私の知っている姿とは、まったく違っていた。
下半身は、むくみで大きく腫れ上がり、
原型が分からないほどだった。
その一方で、頬は痩せこけていた。
ベッドの上で過ごす時間が、
ほとんどだった。
「みんな普通に歩きよるやろ」
「それ見ると、悔しくてたまらんとさ」
思うように動けないことが、
何よりも苦しかったんだと思う。
足の不快感が強い日には、
「もう、いっそ切ってほしい」と
こぼすこともあった。
元気な頃の母なら、
絶対に言わない言葉だった。
元気な頃、母は言っていた。
「完気になったら、いっぱい食べたい」
そう言って、食べたいものをノートに書き出していた。
「孫も見たいけん、頑張らんばね」
あの頃は、
それが当たり前に叶うと思っていた。
でも、少しずつ——
その言葉は減っていった。
「もう、死にたい」
そう言う日が増えていった。
泣くことも、増えた。
その言葉を聞いた祖父母は、
声を殺して泣いていた。
きっと、
どうすることもできない気持ちだったんだと思う。
それでも私たちは、
母の前ではできるだけ明るく振る舞った。
言葉を詰まらせながらも、
寄り添って、励まして。
そして、
母のいないところで、何度も泣いた。
それでも母は、最後まで母だった。
「迷惑かけるけん」
そう言って、
自分から施設を探そうとしたり、
病院へ入院すると言い出したり、
私たちの生活を気にしていた。
自分のことより、
ずっと周りのことを考えていた。
長崎に帰ってからの1ヶ月。
私たちは、できる限り一緒に過ごした。
ゲームセンターに行って、
ご飯を食べに行って。
家では、
プラ板を作ったり、
パズルをしたり、
トランプをしたり。
特別なことじゃなくていい。
ただ一緒にいられる時間が、
何より大切だった。
それだけで、よかった。
最終章 残された時間
4月13日。
母は体調を崩し、
病院へ運ばれた。
そして医師から、
「あと1週間です」と告げられた。
その言葉の意味を、
すぐには受け止めきれなかった。
母のいない談話室で、
私たちは泣き崩れた。
まだ高校生だった末っ子の妹に、
どう伝えればいいのか分からなかった。
呼び出されて病院に来た妹は、
母の姿を見るなり、
泣きながら抱きついた。
その光景を、
ただ見ていることしかできなかった。
それからの日々は——
「今日も生きてくれた」
ただそれだけを希望に変えながら、
過ごしていた。
最期の日 4月20日
4月20日の朝。
前日まで休んでいた妹たちは、
この日から学校と仕事に戻っていた。
「まだ大丈夫かもしれない」
そんな気持ちが、どこかにあった。
いつものように朝ごはんを食べて、
母がトイレに立った、その時だった。
腟から出血があった。
最初は、少しだけだと思った。
でも、止まらなかった。
次から次へと、
明らかにおかしい量の血が流れ出た。
「バスタオル!」
叫んで、父たちを呼んだ。
母はふらつきながらベッドに横になり、
あっという間に、シーツが赤く染まった。
——これは、危ない。
素人でも分かるほどの出血だった。
これが最期なんだと悟った。
かかりつけ医に電話をして、
妹たちにも連絡した。
私はただ、泣きながら母のそばにいた。
「ありがとう」
「大好きだよ」
「産んでくれてありがとう」
それしか、言えなかった。
母の呼吸は、少しずつ変わっていった。
苦しそうに、浅くなっていった。
「顔を見せてほしい」
そう言われて、
ビデオ通話をつないだ。
画面越しに映る母を見て、
看護学生の妹は泣いていた。
その時、
母はまだ、生きていた。
必死に、息をしていた。
医師たちが到着して、
それから間もなく——
母は、静かに息を引き取った。
43歳だった。
妹たちは、間に合わなかった。
⸻その後、
母の体をきれいにして、
妹たちが帰ってきた。
最後に、
母の髪を洗ってもらった。
服を着せて、
初めて、
三人で母にメイクをした。
ベッドの上で、
三人で母にくっつくようにして、
ただ、泣いた。
母の葬式には、
300人を超える人たちが来てくれた。
想像していなかった光景だった。
驚いたし、
同時に、嬉しかった。
こんなにもたくさんの人が、
母に会いに来てくれた。
一人ひとりが、
母との思い出を話してくれた。
その様子を見ていて、
改めて思った。
母は、
人のために動ける人だった。
人との繋がりを、
大切にしてきた人だった。
その人生を、
少しだけ、知れた気がした。
エピローグ それでも、生きていく
あれから、5年が経った。
「当たり前なんてない」
そう自分に言い聞かせながら、今を生きている。
私には、いま子どもがいる。
毎晩、寝かしつけながら思う。
「私はあと何年、この子たちといられるんだろう」
分からない。
だからこそ、
今、精一杯愛していたいと思う。
本当は——
母に、孫を見せてあげたかった。
きっと、
たくさん可愛がってくれたんだろうなと思う。
妊娠して、出産して、
初めて分かったことがある。
あの長い10ヶ月を過ごして、
あの痛みを乗り越えて、
それを3回も経験して、
私たちを産んでくれたこと。
「ありがとう」と、
心の底から思った。
でもその言葉を、
直接伝えることはできなかった。
子育てのことも、
人生のことも、
もっとたくさん相談したかった。
「母がいたらな」と思う瞬間は、
今でも何度もある。
それでも——
きっと近くで見てくれていると信じて、
毎日を生きている。
いつ、何が起きるか分からない。
歳を重ねたからといって、
先に逝くとは限らない。
生きたくても、生きられなかった人がいる。
だから、
命を簡単に捨てないでほしい。
奪わないでほしい。
そして、もう一つだけ。
母は、
もっと早く気づけていたら、
もっと早く受診していたら——
もしかしたら、
違う未来があったのかもしれません。
医師から子宮頸がんは早期発見で治せる癌だと言われました。
あの時の「大丈夫」が、
すべてを遅らせてしまった。
だからこそ、
少しでも「おかしいな」と思ったら、
どうか後回しにせず、病院に行ってほしい。
定期検診も、
「いつか」じゃなくて、
「今」受けてほしい。
自分を守れるのは自分だから。
何もなければ、それでいい。
でも、もし何かあった時、
早く見つかることで、守れる未来がある。
大切な人と過ごす時間を、
守れる可能性がある。
この話が、
誰かの「行こうかな」のきっかけになれたら、
それだけで、意味があると思っています。
私は、
父と母の子どもで、本当に幸せでした。
もし来世があるなら、
また二人の子どもに生まれたい。
そして——
いつかまた母に会えると信じて、
その日まで、
母の分まで、悔いのないように生きていきたい。