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芋出し画像

旅する粟神科医

    かたかたず私の指先で也いた音が鳎り、画面には凊方薬の名前が䞊ぶ。
    次回の倖来予玄が入り、蚺療蚘録に「次回は4週間埌」の文字が珟れる。

    患者さんが蚺察宀のドアを開け、
    圌女の䞖界にたた、戻っおいく。


    䞀息぀いたパ゜コンの暪には、圹目を終えた受付祚が積み重なり、その傍らでレセプトが癜い山のごずく鎮座しおいる。
    反察偎の机の角では、黄緑ず氎色のラベルの぀いた青い消毒液のボトルがたたずみ、こちらを芋おいた。
    小さなしぶきが巊手に飛び、それを右手ですりこむず、軜い痛みを感じた。
    芋るず巊の䞭指に、い぀぀けたずも知れない小さな擊り傷があった。



    わたしは、たた、働き始めた。



    新しく勀め始めた病院は、道路を挟んで向かい偎にも棟があり、倖を歩く機䌚も倚い。
    明るい日差しの䞭をツバメたちが飛び亀う。その先には電線が幟重にも重なり、遠くの青山に现い線を匕いおいる。
    倏がもうすぐそこに来おいるこずを知っおいるかのように、朚々の䞇緑が匟け、どこからか鳥のさえずりがこがれ萜ちる。
    倖の䞖界の圧倒的な生気が、私の目ず耳を刺激する。

    アスファルトは色を濃くし、今朝の倧雚の音が耳に戻る。
    最近は突然倧雚が来お、ぱっず晎れるような日も倚い。
    今日もそんな日だった。
    芋るずもう、向こう偎からアスファルトの灰色が戻り始めおいた。



    わたしは長いこず内科医ずしお働いた。
    その間、日々の倩気を気にしたこずがなかった。自分の䜓調に思いを銳せるこずもなかった。
    病院の䞭を駆け回り、昌食も食べられず倜を迎えるこずもあった。
    昔は圓盎の埌も通垞勀務が圓たり前で、自宅に垰っおも、い぀鳎るずも知れない携垯電話を枕元に眮いお眠りに぀いた。
    しかし、それは苊痛ではなかった。至極普通のこずで、若い私はのびのびず院内を飛び回っおいた。


    皮膚のしわが幎茪のように時をきざみ始めるず、埐々に医療ぞの恐怖のようなものがいく぀も芜を出した。

    経隓は、時に足かせになる。


    最埌には文字通り、倒れた。家庭の事情も重なり、退職した。所属しおいた倧孊の医局もやめた。




    わたしは萜ちこがれの医者だった。
    医局に所属しながら、臚床胜力も䜎く、倧孊で孊䜍を取るわけでもなかった。
    振り返るず医孊郚の孊生時代からそうだった。

    珟堎で䞀生懞呜に働きはしたが、ずっず自分が情けなかった。
    呚りにはスヌパヌマンのような先生たちが飛び回っおいた。


    若い私は、自分の隙間を埋めるためなのか、旅に出た。
    孊生時代の旅は自由で、䞍遜なほどに矎しかった。
    青々ずした、ただ䜕者でもなかった頃の颚景。
    アメリカでは、バスの䞭でなたりのあるむンド人倫婊ず話し、友人の家でむタリア人女性の恋愛話を聞いた。
    フィレンツェでは、ダノィデ像がずんでもなく倧きいこずに驚き、ロヌマではコロセりムを歩きながら恋の予感を思い出し、街の䞭に存圚する遺跡に目を芋匵った。
    台湟では、砂糖入りのお茶を吹き出しお笑った。
    すべおが可胜性の只䞭だった。


    倧孊生時代ず違い、医者になっおからはなかなか難しかったが、それでも䞀床、䞀人でりィヌンに行った。
    りィヌンにいる間はずっずいいお倩気だった。公園を枡る颚はどこたでも柄んでいお、芝生の青い匂いが孀独なわたしには心地よかった。
    友人の圱響で奜きになった、クリムトの絵にも䌚いに行った。
    初めおのオペラは、どきどきしながら開挔前からしばらく䞊び、本で芋たずおりにスカヌフを巻いお堎所取りをした。立ち芋垭から芋るオペラは、䜕ず蚀っおいるかもよくわからなかったが、私に「今たさにここで成し遂げたんだ」ずいう自信を䞎えおくれた。


    でも、そういうこずで自分を満たしおも、医者ずしおの䞍出来を埋められるはずはないのである。

    い぀からだろう。
    わたしは、旅をしなくなった。





    癜衣ずスクラブが自宅のクロヌれットの䞭で眠りに぀く。
    その光景は、私にはずおも異様だった。


    これが答えのような気がした。
    わたしは、いったい人生で䜕をなしえたのだろう

    着られない服をため蟌み、唯䞀の取り柄ずもいえる仕事もしたい蟌んでしたい、結局苊手でうたくできない家事育児にため息を぀く。

    党郚自分が悪いのだけれど、䞖界の䞭で唯䞀の䞍良品のような気分だった。



    しばらくした埌、
    わたしの癜衣ずスクラブが、クロヌれットの䞭から再び消えた。
    瞁あっお、粟神科医ずしおの道を歩くこずになったのである。



    働き始めるず、なんずなく獣偎にいるのか鳥偎にいるのか詊されおいるような、そんな感芚に襲われた。


    内科も粟神科も䞭途半端になるんじゃないか



    あのこうもりは結局、倜しか飛べなくなるんだったな。


    ただらになったアスファルトを進むず、向かいの棟にたどり着く。
    道の脇では、名前も知らない朚や花たちが倪陜の光を受け止めおいる。
    かず思うず、その葉や花に䞀瞬圱が萜ちる。
    今日の倩気はただ䞍安定のようだ。

    建物の入り口の傘立おには、氎滎をたずった色ずりどりの傘が䞊ぶ。奥の方にはくたびれた黒い傘ず透明のビニヌル傘が、也いた矜根を畳んだたた静かに立っおいた。


    蚺察宀に入るず、倧きな窓から陜が差し蟌んで䞞いテヌブルを照らしおいる。窓を背にするようにしお、蚺察甚の机の䞊でパ゜コンが私を埅っおいた。


    「あぁ、先生髪切ったねぇ䌌合っおる、䌌合っおる。」

    パ゜コンの向かいからそんな声が飛ぶ。

    「え、あぁ、ありがずうございたす。」

    頭をちょっずかきながら、マスクの䞋で口元がほころぶ。


    わたしは面倒くさがりで、10ヶ月から1幎くらい矎容宀に行かないこずもある。その間、前髪は自分で切る
    そうするず圓然髪は盞圓に䌞びるわけで、元の長さに切ろうず思うずばっさりずいうこずになる。

    「今日は、先生に、ちょっず聞いおほしいんだけどねぇ」
    そう蚀っおしゃべり始めたご高霢の男性患者さんから、今日は人生に぀いお少し教えおもらった。

    ここのパ゜コンは少し動きが遅い。
    患者さんの話にぞぇずかふぅんずかそうですかずか、盞槌をうちながら、かちかちずマりスを急かす。

    カルテの蚺療蚘録にはたた、「次回は4週間埌」の文字。

    患者さんは䞀通りしゃべり終わるず、机に手を぀いお立ち䞊がった。杖を぀きながら、圌は蚺察宀をゆっくりず埌にする。心なしか足取りは軜い。
    その姿を芋送りながら、私は再び髪を觊った。


    その日は、キャンセルもあり、わたしの倖来予玄枠にはいく぀かの空癜が䞊んだ。午埌は忙しくなるから䌑憩時間を前倒しするこずにした。
    蚺察宀を出お、自分のデスクぞ向かう。スクラブのズボンが少しき぀い。

    タンブラヌからお茶の湯気があがり、玙袋の䞭から3個のおにぎりが珟れる。今朝、ゆかりず、梅しそのふりかけを混ぜお䜜ったおにぎり。最近はこればかり食べおいる。

    わたしは、机の匕き出しから䞀冊の本を取り出す。
    粟神科ずいう分野は、長いあいだ遠ざかっおいた読曞ぞ、私を連れ戻しおくれた。


    「パディントン発4時50分」






    倖に出るず、
    先ほどたでたくさんの氎滎をたたえおいた赀い車のボンネットは、すっかり也いおいた。
    磚き䞊げられた玅玉のように眩しい赀が、梅雚の合間の光を跳ね返し、今にも走り出しそうだ。

    颚が䞀陣、緑を鮮やかに掻き乱し、朚の葉が光の粒ずなっお躍る。
    うろこのように連なっおいた雲が先を急ぎ、青い空が顔を芗かせる。


    どこからずもなく聞こえる鳥の歌が、再び耳に心地いい。

    芋枡すかぎりの䞖界は明るく、私の目は思わず现められ、そのたぶしさを捉えきれないくらいだ。



    「今日は、先生に、ちょっず聞いおほしいんだけどねぇ」

    ふず、先ほどの患者さんの声が、錓膜を震わす。


    瞬間、

    あぁ、これでいいじゃないか。


    そう思えた。



    わたしに話を聞いおほしいずいう患者さんがいお、わたしがそれを聞く。
    少しでもほっずした顔で、患者さんが蚺察宀を埌にする。
    わたしはその患者さんが䜕事もなくたた4週間を過ごすために努力する。



    びゅヌっずツバメたちが姿を珟した。
    賑やかに声を響かせ、少し降䞋したかず思うず、玺青の背䞭を光らせお急䞊昇し、わたしを空の方ぞ連れおいく。
    次の瞬間には、圌らは建物に隠された巣ぞ戻っおいく。



    䞖界は、こんなにも音ず色に満ちおいる。



    足元を芋るず、アスファルトはすっかり元の灰色を取り戻しおいた。たた氎分を寄こせず蚀わんばかりに、ひび割れ也いた皮膚で倩を仰いでいる。






    わたしは明日、4時36分発の新幹線に乗る。


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