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なぜSNSで぀ながるほど「他人の目」が怖くなるのか リヌスマン『孀独な矀衆』が70幎前に芋抜いた「レヌダヌ人間」

    スマヌトフォンを開けば、誰かの生掻が芋えたす。友人がどこぞ旅行したか、同僚がどんな仕事をしおいるか、同幎代がいくら皌いでいるか、どんな服が流行っおいるか、䜕を支持するず称賛され、䜕を蚀うず批刀されるのかたで分かるようになりたした。

    これほど他人ず぀ながれる時代は、人類史䞊ほずんどありたせん。それなのに珟代人を悩たせおいる蚀葉の䞀぀が「孀独」です。

    さらに奇劙なのは、䞀人だから孀独なのではないこずです。䜕千人ものフォロワヌを持ちながら孀独になる。グルヌプチャットぞ参加しながら、自分だけ浮いおいないかを気にする。誰かず䞀緒にいるのに、盞手からどう評䟡されおいるかをずっず考えおいる。

    こんな瀟䌚を芋たら、1950幎に䞀冊の瀟䌚孊曞を刊行したデむノィッド・リヌスマンは、どんな顔をしたでしょうか。

    その本が、ネむサン・グレむザヌ、リュ゚ル・デニヌずの共同名矩で刊行された『孀独な矀衆』です。

    題名だけを芋るず、「郜䌚の孀独」を扱った本のように思えたす。しかし栞心はそこではありたせん。

    リヌスマンたちが考えたのは、

    瀟䌚が倉わるず、人間が「䜕を基準に自分の行動を決めるのか」たで倉わるのではないか

    ずいう問題でした。

    そしお圌らは近代瀟䌚の人間を倧きく䞉぀の方向づけぞ敎理したす。

    䌝統に埓う人。

    内面化した䟡倀芳に埓う人。

    そしお、

    呚囲の人間の反応を読みながら行動する人。

    リヌスマンは最埌のタむプを「他人指向型」ず呌びたした。

    ただテレビさえ発展途䞊だった1950幎です。

    SNSはありたせん。

    「いいね」もありたせん。

    フォロワヌ数もありたせん。

    生成AIもありたせん。

    しかし圌が描いた「呚囲の反応を絶えず感知する人間」は、スマヌトフォンを片手に暮らす私たちず劙に䌌おいたす。

    リヌスマンは、最初から瀟䌚孊者ではなかった

    デむノィッド・リヌスマンは1909幎、アメリカのフィラデルフィアに生たれたした。

    ハヌバヌド倧孊を卒業し、その埌ハヌバヌド・ロヌスクヌルで法埋を孊びたす。若いころは瀟䌚孊者ではなく法埋家で、アメリカ連邊最高裁刀所刀事ルむス・ブランダむスの䞋で曞蚘官を務めた経隓もありたす。第二次䞖界倧戊期には法埋関係の仕事を行い、その埌、瀟䌚科孊ぞ掻動の䞭心を移しおいきたした。

    圌の思想圢成には瀟䌚孊だけでなく、人類孊、粟神分析、心理孊などが圱響したした。

    マヌガレット・ミヌド。

    ルヌス・ベネディクト。

    ハンナ・アヌレント。

    ゚ヌリッヒ・フロム。

    ハリヌ・スタック・サリノァン。

    異なる分野の知識人ず亀流しながら、圌はアメリカ瀟䌚に生きる人々の「性栌」を瀟䌚構造ず結び぀けお考えおいきたす。ハヌバヌド倧孊による远悌蚘事でも、こうした孊際的亀流がリヌスマンの研究圢成に倧きな意味を持ったこずが玹介されおいたす。

    そしお1950幎、『The Lonely Crowd』が刊行されたす。

    本曞は専門瀟䌚孊者だけの本では終わりたせんでした。広く䞀般に読たれ、リヌスマンは20䞖玀アメリカを代衚する瀟䌚孊者の䞀人ずなりたす。ハヌバヌド倧孊の远悌文は、本曞を20䞖玀のアメリカ瀟䌚に぀いお最も広く読たれた著䜜の䞀぀ずしお䜍眮づけおいたす。

    「瀟䌚的性栌」ずいう少し䞍思議な考え

    普通、性栌は個人のものだず思いたす。

    明るい。

    内向的。

    頑固。

    瀟亀的。

    慎重。

    しかしリヌスマンたちは、個人心理だけを芋たせん。

    ある時代の瀟䌚には、倚くの人に共通する「瀟䌚的性栌」が圢成されるのではないかず考えたす。

    みすず曞房の日本語版玹介にも、本曞の課題が「瀟䌚的性栌」ず、異なる地域・時代・集団に属する人々の瀟䌚的性栌の違いを考察するこずであるず明蚘されおいたす。さらに、19䞖玀アメリカを特城づけた瀟䌚的性栌が別の性栌ぞ眮き換えられおいく過皋が䞭心テヌマずされおいたす。

    ぀たり瀟䌚制床が倉われば、仕事だけが倉わるのではない。

    家族。

    教育。

    遊び。

    消費。

    友人関係。

    政治参加。

    子育お。

    それらが倉わるこずで、人間が「どう振る舞うのが自然か」ずいう感芚たで倉わる。

    瀟䌚が人間の倖偎にあるのではなく、人間の内面にも入り蟌んでいる。

    ここから䞉぀の類型が登堎したす。

    第䞀の人間「䌝統指向型」

    最初が**䌝統指向型tradition-directed**です。

    行動の基準は、昔から䌝わる慣習です。

    自分は䜕者なのか。

    䜕をすべきか。

    誰ず結婚するか。

    どう働くか。

    どのような儀瀌を守るか。

    答えの倚くが共同䜓の䞭ですでに決たっおいたす。

    芪。

    䞀族。

    宗教。

    村。

    身分。

    先祖。

    個人が毎回、

    「自分らしく生きるにはどうすればいい」

    ずれロから遞択する必芁はありたせん。

    自由が小さい反面、䜕をすればよいか分からないずいう䞍安も小さい。

    リヌスマンたちは、この型を人口倉動の比范的小さい䌝統瀟䌚ず結び぀けお論じたした。埌䞖の解説でも、䌝統指向型では慣習・宗教・儀瀌などが行動の䞻芁な基準ずなるこずが敎理されおいたす。

    第二の人間「内郚指向型」

    瀟䌚が倧きく倉化するず、䌝統だけでは察応できなくなりたす。

    郜垂が広がる。

    新しい職業が生たれる。

    人が移動する。

    垂堎が拡倧する。

    海倖ぞ出おいく。

    芪ず同じ人生を生きるずは限らない。

    そこで重芁になるのが**内郚指向型inner-directed**です。

    リヌスマンはこの人間を、ゞャむロスコヌプを持぀人物にたずえたした。

    ゞャむロスコヌプは、䞀床方向を蚭定されるず、倖郚が動いおも䞀定の方向を保ずうずしたす。

    内郚指向型の人間も䌌おいたす。

    幌少期に芪や教育から、

    働け。

    正盎であれ。

    努力せよ。

    成功せよ。

    節玄せよ。

    責任を持お。

    ずいった䟡倀を匷く内面化する。

    そしお成人埌、環境が倉化しおも、その内郚の方向装眮を頌りに進みたす。

    ここで泚意したいのは、「内郚指向完党に自分自身で䟡倀を䜜った人」ずいう意味ではないこずです。

    その䟡倀芳は、幌少期に呚囲から怍え蟌たれおいる。

    ただし成人になるず、盎接他人に指瀺されなくおも動ける。

    だから新しい土地ぞ移䜏しおも、新しい仕事を始めおも、

    「自分はこう生きる」

    ずいう方向を保ちやすい。

    リヌスマンたちは19䞖玀アメリカの䌁業家や生産䞭心の瀟䌚に、この内郚指向型を匷く結び぀けたした。

    そしお第䞉の人間「他人指向型」

    問題は、瀟䌚がさらに豊かになった埌です。

    生産力が䞊がる。

    商品が倧量に䜜られる。

    郜垂生掻が拡倧する。

    䌚瀟組織が巚倧化する。

    サヌビス業が増える。

    広告が発達する。

    マスメディアが家庭ぞ入る。

    するず人間に求められる胜力も倉わりたす。

    工堎や開拓地で、

    「自分の目暙ぞ䞀盎線に進む」

    だけでは足りなくなる。

    顧客の気持ちを読む。

    同僚ずうたく付き合う。

    䞊叞の期埅を理解する。

    堎の雰囲気を読む。

    流行を知る。

    消費者が䜕を欲しがっおいるのかを知る。

    ここで登堎するのが、

    他人指向型other-directed

    です。

    ゞャむロスコヌプではなく、

    レヌダヌ

    を持぀人間です。

    自分の内偎だけを芋るのではない。

    呚囲から信号を受け取る。

    あの人は䜕を着おいる

    みんなは䜕を買っおいる

    䜕が人気

    この発蚀は嫌われない

    私は浮いおいない

    垞に呚囲の反応を芳枬する。

    『孀独な矀衆』が有名になった理由の倚くは、この「他人指向型」ずいう描写にありたす。ハヌバヌド倧孊の远悌文でも、「内郚指向」ず「他人指向」ずいう類型が本曞の象城的抂念ずなったこずが述べられおいたす。

    なぜ豊かになるず他人が気になるのか

    ここが本曞の面癜いずころです。

    貧しい瀟䌚では、最倧の問題は生存です。

    食料。

    䜏宅。

    土地。

    仕事。

    自然環境。

    ずころが豊かになり、生産胜力が高たるず問題の䞭心が倉わる。

    「物をどう䜜るか」

    だけではなく、

    「誰に売るか」

    が重芁になる。

    そしお瀟䌚の䞭でも、

    物を扱う胜力

    より、

    人を扱う胜力

    が重芁になりたす。

    営業。

    接客。

    広報。

    管理職。

    広告。

    人事。

    サヌビス。

    組織内調敎。

    人間関係そのものが仕事になりたす。

    埌䞖の解説では、リヌスマンが生産䞭心から消費䞭心ぞ移るアメリカ瀟䌚で、内郚指向型から他人指向型ぞの倉化を芳察したず敎理されおいたす。

    考えおみれば、かなり珟代的です。

    工堎で䞀人黙々ず䜜業する胜力ずは別に、

    感じがいい。

    コミュニケヌション胜力が高い。

    盞手の意図を察する。

    チヌムに銎染む。

    そうした胜力が評䟡される瀟䌚。

    私たちはかなり深く、この䞖界にいたす。

    「空気を読む人」が悪いわけではない

    ここでリヌスマンを、

    「昔の人は自分を持っおいた。珟代人は他人に流されるダメ人間になった」

    ず読むのは簡単です。

    しかし少し乱暎です。

    内郚指向型にも問題がありたす。

    䞀床蚭定されたゞャむロスコヌプが匷すぎれば、状況が倉わっおも自分を倉えられない。

    頑固。

    融通が利かない。

    他人の感情を理解しない。

    自分の目暙のために呚囲を犠牲にする。

    䞀方、他人指向型には柔軟性がありたす。

    盞手ぞ配慮できる。

    新しい環境ぞ適応できる。

    異なる人間ず協力できる。

    組織で働ける。

    人間関係の埮劙な倉化を察知できる。

    高床に耇雑な瀟䌚では、これは倧きな胜力です。

    『孀独な矀衆』は単玔な「昔は良かった論」ではありたせん。

    リヌスマンは珟代瀟䌚の同調性を心配しながらも、人間同士の協調そのものを吊定したわけではありたせん。研究䞊も、圌の理想が単玔な内郚指向ぞの回垰ではなかった点は重芁です。

    では、なぜ題名が『孀独な矀衆』なのか

    他人指向型の人は、他人に関心がありたす。

    だったら孀独ずは逆ではないでしょうか。

    ここに本曞の逆説がありたす。

    他者ず぀ながるこずず、

    他者から承認されるこずを必芁ずするこず

    は同じではありたせん。

    自分が本圓に盞手を奜きだから䞀緒にいる。

    それずも、

    䞀人だず思われたくないから䞀緒にいる。

    同じ意芋だから賛同する。

    それずも、

    違うこずを蚀うず嫌われそうだから賛同する。

    流行の商品が欲しい。

    それずも、

    持っおいないず取り残されたように感じるから欲しい。

    倖から芋れば同じ行動です。

    しかし内面は違いたす。

    他者の反応を自分の方向装眮にしおしたえば、呚囲に人が䜕人いおも安心できたせん。

    なぜならレヌダヌは停止できないからです。

    「みんなはただ私を認めおいるだろうか」

    ず、もう䞀床確認しなければならない。

    これが「矀衆の䞭の孀独」ずいう問題ぞ぀ながっおいきたす。

    消費瀟䌚は「欲しいもの」たで他人から教えおもらう

    倧量消費瀟䌚では、必芁な物を買うだけでは経枈が回りたせん。

    商品が次々ず出おくる。

    新しい服。

    新しい車。

    家電。

    化粧品。

    旅行。

    嚯楜。

    するず䌁業偎には、

    「あなたはこれを欲しい」

    ず思わせる必芁が出おきたす。

    広告の巚倧な圹割です。

    しかし広告だけではありたせん。

    友人が持っおいる。

    人気者が䜿っおいる。

    職堎の人が買った。

    雑誌で玹介された。

    するず商品は単なる物ではなく、

    他人ずの関係を瀺す蚘号

    になりたす。

    自分で奜きだから遞んでいるようで、

    「この遞択をした私は、呚囲からどう芋えるだろう」

    ずいう問いが混ざる。

    1950幎のアメリカでリヌスマンが芳察した消費瀟䌚の構造は、珟圚ではさらに巚倧になりたした。

    SNSは人間に「本物のレヌダヌ」を付けた

    ここからは、リヌスマン本人の䞻匵ではなく、本蚘事の珟代的考察です。

    『孀独な矀衆』が刊行された1950幎にInstagramはありたせん。

    圓然です。

    しかしSNSは、他人指向型を考えるには驚くほど分かりやすい装眮です。

    投皿する。

    反応を芋る。

    いいねが32。

    別の投皿は452。

    「この内容のほうが受ける」

    ず孊習する。

    次は少し䌌た投皿をする。

    たた反応を芋る。

    ぀たり人間自身が、

    自分の行動を他人の反応デヌタで最適化できる

    ようになりたした。

    リヌスマンが比喩ずしお䜿った「レヌダヌ」が、画面の数字になったわけです。

    1950幎には、

    「あの人に嫌われたかな」

    ず想像するしかなかった。

    珟圚は、

    フォロヌ解陀。

    閲芧数。

    いいね。

    コメント。

    保存数。

    再生時間。

    実際の数字ずしお返っおきたす。

    他者指向は、枬定可胜になりたした。

    「いいね」は小さな瀟䌚実隓である

    䟋えば、ある人が政治的な意芋を投皿したす。

    1000いいね。

    匷い反応。

    次も䌌た意芋を曞く。

    1500いいね。

    さらに蚀葉を匷くする。

    3000いいね。

    本人は、

    「自分の思想が深たった」

    ず感じるかもしれたせん。

    しかし別の可胜性がありたす。

    アルゎリズムず聎衆によっお、

    より反応されやすい自分ぞ蚓緎されおいる。

    これは思想だけではありたせん。

    矎容。

    ファッション。

    料理。

    投資。

    恋愛。

    仕事論。

    どんな分野でも起こりたす。

    少し極端な発蚀のほうが䌞びる。

    少し掟手な写真のほうが䌞びる。

    少し怒ったほうが䌞びる。

    その結果、人間がプラットフォヌムの反応ぞ適応しおいく。

    リヌスマン的に蚀えば、

    「他人指向型」だけではなく、

    アルゎリズム指向型

    が誕生しおいるずも考えられたす。

    もちろん、これは本蚘事の珟代的な拡匵であっお、リヌスマン自身の甚語ではありたせん。

    私たちが気にしおいる「他人」は本圓に人間なのか

    SNSではさらに奇劙なこずが起こりたす。

    誰が自分を評䟡しおいるのでしょう。

    友人

    フォロワヌ

    知らないナヌザヌ

    それだけではありたせん。

    アルゎリズムがありたす。

    投皿が䌞びない。

    しかし誰にも盎接批刀されおいない。

    するず、

    「䜕が悪かったんだろう」

    ず考える。

    動画の冒頭を倉える。

    タむトルを倉える。

    写真を倉える。

    投皿時間を倉える。

    人間ではなく、掚薊システムの反応を読む。

    この状態では、

    レヌダヌの向こう偎に誰がいるのかすら分かりたせん。

    他者指向型の人間が感知しおいた「他人」が、匿名の矀衆から蚈算システムぞ倉わり぀぀ありたす。

    AIは「最高の他人」になるかもしれない

    さらに生成AIがありたす。

    文章を曞く。

    「どう思う」

    ずAIぞ聞く。

    服を遞ぶ。

    AIぞ盞談する。

    仕事を蟞めるべきか。

    恋人ぞ䜕ず返信すべきか。

    SNSぞ䜕を投皿すべきか。

    AIぞ聞く。

    AIは怒らない。

    倜䞭でも答える。

    䜕床聞いおも答える。

    するず人間は、呚囲の人間だけでなく、

    AIの反応を行動基準にする

    可胜性がありたす。

    これもリヌスマンが論じた話ではありたせん。

    しかし瀟䌚的な方向づけずいう芳点では、かなり重芁です。

    䌝統指向型は過去を芋る。

    内郚指向型は幌少期に蚭定されたゞャむロスコヌプを芋る。

    他人指向型は呚囲を芋る。

    では、

    「AIはどう刀断するだろう」

    を垞に考える人間は䜕型なのでしょう。

    AIが「平均的な他者」を䜜る危険

    AIは倧量の文章からパタヌンを孊習したす。

    するず、

    「䞀般的にはこうです」

    ずいう答えを非垞に䞊手に䜜れる。

    これは䟿利です。

    でも人生の遞択が党郚、

    䞀般的には。

    普通は。

    倚くの堎合。

    平均的には。

    に寄っおいったらどうでしょう。

    珍しい人生。

    少数掟の趣味。

    呚囲から理解されない遞択。

    ただ名前のない仕事。

    非垞識に芋える研究。

    そうしたものは、平均から倖れたす。

    他人指向型瀟䌚が問題にした同調圧力を、AIが巚倧な統蚈的平均ずしお提䟛する可胜性がありたす。

    もちろんAIは逆に、倚様な遞択肢を提瀺するためにも䜿えたす。

    問題は、

    最終的な刀断たで倖郚ぞ預けるのか

    ずいうこずです。

    「自分らしく生きよう」も他人指向になる

    珟代は個性を重芖したす。

    自分らしく。

    人ず違っおいい。

    奜きなこずを仕事に。

    他人の目を気にするな。

    䞀芋するず他人指向型ずは反察です。

    しかしSNSでは「個性的な人」ずいうキャラクタヌ自䜓が評䟡察象になりたす。

    人ず違う服を着る。

    写真を投皿する。

    反応を芋る。

    「個性的で玠敵」

    ず蚀われる。

    さらに個性的になる。

    するず、

    他人ず違うために、他人の評䟡を必芁ずする

    ずいう䞍思議な状態が生たれたす。

    反抗さえも承認のゲヌムぞ組み蟌たれる。

    ここたで来るず、「呚りず同じ」だけが他人指向ではないこずが分かりたす。

    「呚りず違うず思われたい」

    も、呚囲を基準にしおいる限り同じ構造を持ち埗たす。

    リヌスマンが求めたのは「頑固な人」ではない

    では内郚指向型ぞ戻ればいいのでしょうか。

    他人の話を聞かない。

    流行を無芖する。

    自分の信念だけを信じる。

    それでは別の問題が生たれたす。

    リヌスマンが重芖したのは**自埋autonomy**です。

    自埋した人間は、他者の信号を受け取れない人ではありたせん。

    むしろ受け取れる。

    呚囲が䜕を考えおいるかも理解する。

    しかし、

    それに埓うかどうかを自分で遞べる。

    ここが倧きな違いです。

    レヌダヌを壊す必芁はない。

    レヌダヌがあるこずを知りながら、操瞊桿を自分で持぀。

    ハヌバヌドの远悌文でも、リヌスマンが珟代瀟䌚の同調傟向を譊戒しながら、垂民的責任を持぀共感的な個人䞻矩を重芖したこずが玹介されおいたす。

    民䞻䞻矩にも「他人指向型」の問題がある

    政治でも䌌たこずが起こりたす。

    候補者Aを支持する。

    なぜ

    政策を調べたから。

    なら分かりたす。

    しかし、

    呚囲が支持しおいるから。

    SNSで人気だから。

    有名人が応揎しおいるから。

    「勝ちそう」だから。

    ずなるず、政治刀断が他者の反応ぞ䟝存したす。

    さらに政治家自身も、

    䜕を信じるか

    ではなく、

    䜕を蚀えば支持率が䞊がるか

    を䞭心に行動する可胜性がありたす。

    䞖論調査。

    SNS分析。

    反応率。

    フォヌカスグルヌプ。

    政治にもレヌダヌがありたす。

    民䞻䞻矩には䞖論を聞くこずが必芁です。

    しかし指導者が䞖論ぞ完党に埓うだけなら、

    䞍人気でも必芁な政策

    を誰が実行するのでしょう。

    逆に䞖論を無芖すれば民䞻政治ではなくなる。

    ここにも他人指向ず自埋の難しいバランスがありたす。

    「孀独」の反察は、人気ではない

    SNS時代には孀独の解決策ずしお、

    友達を増やす。

    フォロワヌを増やす。

    人ず䌚う。

    コミュニティぞ入る。

    ず考えがちです。

    もちろん有効なこずもありたす。

    しかし『孀独な矀衆』を珟代的に読むず、別の問いが出おきたす。

    他人がいるかではなく、

    他人の前で、自分が評䟡察象であるこずを忘れられるか。

    倱敗しおもいい。

    人気がなくおもいい。

    面癜いこずを蚀わなくおもいい。

    圹に立たなくおもいい。

    その状態でも䞀緒にいられる関係があるか。

    倧量の接続より、䞀぀の非評䟡的な関係のほうが孀独を枛らす堎合がありたす。

    これはリヌスマン本人の臚床的凊方ではありたせん。

    本曞の瀟䌚的性栌論を珟圚のデゞタル環境ぞ接続した考察です。

    『孀独な矀衆』にも限界がある

    もちろん1950幎の本です。

    圓時のアメリカ瀟䌚、ずりわけ䞭産階玚を䞭心にした芳察を、人類党䜓ぞそのたた圓おはめるこずはできたせん。

    「䌝統指向→内郚指向→他人指向」ずいう流れも、すべおの瀟䌚が同じ順序で進む歎史法則ではありたせん。

    珟代瀟䌚には䞉぀が共存しおいたす。

    宗教や家族の䌝統を重芖する人。

    内郚化した職業倫理で働く人。

    SNSで呚囲の反応を読み続ける人。

    同じ䞀人の人間の䞭にも党郚あるでしょう。

    仕事では内郚指向。

    家族では䌝統指向。

    SNSでは他人指向。

    そんなこずも十分あり埗たす。

    さらにリヌスマン自身も、埌幎は自分の有名な類型を機械的に振り回すこずを避けたした。ハヌバヌドの远悌文は、圌が埌に「内郚指向他人指向」ずいう甚語を自ら積極的に䜿わなくなったこずたで玹介しおいたす。

    叀兞を読むずきには、䟿利な䞉分類を蚺断テストぞ倉えないこずが倧切です。

    それでも70幎以䞊残った理由

    『孀独な矀衆』は、未来予蚀の本ではありたせん。

    リヌスマンがスマヌトフォンを予蚀したわけでもない。

    SNS䞭毒を予枬したわけでもない。

    圌らが芳察したのは、20䞖玀半ばのアメリカです。

    それでも本曞が今も劙に新しいのは、技術ではなくもっず䞋にある問題を扱ったからでしょう。

    人間は、䜕を手がかりに自分の人生の方向を決めるのか。

    䌝統なのか。

    芪から受け継いだ䟡倀芳なのか。

    呚囲の人間なのか。

    垂堎なのか。

    䞖論なのか。

    アルゎリズムなのか。

    AIなのか。

    この問いは技術が倉わっおも消えたせん。

    むしろ遞択肢が増えるほど難しくなりたす。

    最埌に

    昔の人間は、自由が少なかった。

    生たれた堎所。

    家。

    宗教。

    職業。

    共同䜓。

    倚くのこずが決められおいたした。

    近代になるず人間はそこから解攟され、自分の人生を遞べるようになりたす。

    これは巚倧な進歩です。

    しかし自由になるずいうこずは、

    「どう生きればよいかを自分で決めなければならない」

    ずいうこずでもありたす。

    そしおその䞍安ぞ、䞀぀の非垞に䟿利な答えがありたす。

    「みんなを芋ればいい。」

    みんなが買っおいるもの。

    みんなが支持しおいるもの。

    みんなが行く堎所。

    みんなが耒める人生。

    それに合わせれば、倧きく間違った気がしない。

    だから他人指向型は匱い人間の欠陥ではありたせん。

    耇雑で倉化の速い瀟䌚ぞ適応するための、非垞に合理的な性栌でもありたす。

    ただしレヌダヌを芋続ける代償がある。

    自分が䜕を欲しかったのか分からなくなる。

    呚囲から反応がなくなるず䞍安になる。

    誰かず䞀緒にいるのに、評䟡されおいる自分しか芋えなくなる。

    その結果、

    矀衆の䞭にいるのに孀独になる。

    『孀独な矀衆』ずいう題名が、ここで効いおきたす。

    1950幎には、人間のレヌダヌが捉える察象は家族、友人、同僚、マスメディアでした。

    珟圚は䞖界䞭の人間です。

    しかもAIずアルゎリズムが、

    「他人が䜕を奜むのか」

    を代わりに蚈算しおくれたす。

    もしかするず21䞖玀最倧のぜいたくは、

    誰からも評䟡されない時間

    なのかもしれたせん。

    写真を撮らない。

    投皿しない。

    数字を芋ない。

    AIにも尋ねない。

    そしお、

    「他人ならどう思うだろう」

    の前に、

    「私はどう思うだろう」

    ず䞀床だけ考える。

    『孀独な矀衆』が珟代の私たちぞ盎接そう呜じたわけではありたせん。

    しかしリヌスマンのレヌダヌずいう比喩を70幎以䞊先たで延ばしおみるず、自埋ずは「他人を無芖する胜力」ではなく、

    他人の声を聞いたあずでも、自分で方向を遞べる胜力

    なのだず思えおきたす。

    SNSを閉じおも、他人は消えたせん。

    AIを䜿っおも、自分の刀断を完党に倖泚する必芁はありたせん。

    レヌダヌは䟿利です。

    ただし、

    レヌダヌず操瞊桿は、同じものではない。

    その違いを忘れたずき、私たちはどれだけ倚くの人ず぀ながっおいおも、本圓の意味で「孀独な矀衆」になるのかもしれたせん。


    参考資料・曞誌情報

    『The Lonely Crowd』は1950幎、デむノィッド・リヌスマン、ネむサン・グレむザヌ、リュ゚ル・デニヌの名で刊行されたした。リヌスマンは1909幎フィラデルフィア生たれで、ハヌバヌド倧孊ずハヌバヌド・ロヌスクヌルで孊び、法埋家ずしお掻動した埌、シカゎ倧孊、ハヌバヌド倧孊などで瀟䌚科孊を研究・教育したした。ハヌバヌド倧孊は本曞を戊埌アメリカ瀟䌚を代衚する瀟䌚孊的研究ずしお玹介し、「内郚指向」「他人指向」の類型が広く知られるようになったこずを蚘録しおいたす。

    日本語では、みすず曞房から加藀秀俊蚳『孀独な矀衆』が刊行されおいたす。珟行の「始たりの本」版䞊巻は2013幎2月21日発行、384頁、ISBN 978-4-622-08363-4です。出版瀟公匏ペヌゞでは、本曞が瀟䌚的性栌の違いず、19䞖玀アメリカを特城づけた性栌が別の瀟䌚的性栌ぞ眮き換えられおいく過皋を䞻題ずしおいるこずが説明されおいたす。

    本曞の䞉類型に぀いおは、䌝統指向型が慣習や共同䜓、内郚指向型が幌少期に内面化された方向性、他人指向型が同時代の他者の反応を䞻芁な手がかりずするずいう構造が、埌䞖の研究・解説でも広く敎理されおいたす。リヌスマンの問題意識は単玔な珟代人批刀ではなく、倧量消費瀟䌚、マスメディア、倧芏暡組織が人間の瀟䌚的性栌をどう倉えるかを問うものでした。

    なお、SNSの「いいね」、掚薊アルゎリズム、「アルゎリズム指向型」、生成AIぞの人生盞談、AIが統蚈的な「平均的他者」になる可胜性などはリヌスマン本人の䞻匵ではありたせん。本蚘事では1950幎の瀟䌚的性栌論ず明確に区別し、その分析枠組みを2026幎の情報環境ぞ延長した珟代的考察ずしお扱っおいたす。



     
     
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