焼き色と焦げ目の境目を探している
ウインナーを焦がした。
炭と肉の味が混ざり合ったウインナーを食べながら、ふと思った。「いい焼き色だと嬉しいのに、焦げになった途端不快になるのはどうしてだろう」
焼き色の延長線上に焦げはあるはずなのに。
人も、物も、景色も、四季も、グラデーションだとされている。でも、変わった後にしかそれを感じることはできない。グラデーションそのものを感じることは、難しい。
「もう春か」「焦げちゃった」
「もう古いね」「変わってしまったね」
少しずつ眠りから覚めただけ、ちゃんと焼けていっただけ、じわじわと蝕まれていっただけ、流れるように自分を作り変えただけ、なのに。
全ては線で変化していくのに、私たちは点でしか知覚することができない。
どうしてだろう。
もしかしたら、時の流れを、無視してしまうのかもしれない。
どこかで、自分は超時間的な存在だと思ってしまうのかもしれない。
そうしたささやかなグラデーションを見逃すことで、何かを失ってはいないだろうか。
私たちの知覚する点はどこにあるのだろう。
私たちも線で生き、変化し続けているから、点でしか分からないのかもしれない。
と考えているうちに電車が隣県に着いた。県の境目は見逃したままだ。