
運の通帳 #創作
柚は、自分は運がいい方だと思っていた。
といっても大きめの失敗もする。
第一志望に落ちたこともある。
仕事で大失敗したこともある。
結婚だってうまくいかなかった。
それでも振り返ると、
なぜか助けられることが多かった。
道に迷えば誰かが声をかけてくれる。
困ったときには人に恵まれる。
探し物は案外見つかる。
だから柚は昔から不思議だった。
運ってなんなんだろう。
存在するとしたら、強くしたりできるのだろうか。
ものごとの捉え方なんじゃないだろうか。
ある日、公民館で奇妙な募集を見つけた。
「幸運記帳会」
月に一度、その月にあった幸運を記録して持ち寄りませんか?
なんだそりゃ。
そうつぶやくと同時に、少しだけ興味が湧いた。
この人たちは、何か知っているのかもしれない。
参加条件は一つだけ。
その月にあった「運が良かったこと」を運帳に記録して持参すること。
気がつけば、幸運記帳会に通い始めて三か月が経っていた。
大きな幸運である必要はない。
小さなもので構わない。
むしろ、そのほうが歓迎された。
「スーパーの駐車場で入口の近くが目の前で空きました」
拍手。
「洗濯物を取り込んだ五分後に雨が降りました」
拍手。
「半額の鰹のたたきが一パックだけ残っていました」
大きな拍手。
そんなものを運と呼ぶのだろうか。
そう思いながら参加するうちに、柚は幸運を探すようになった。
信号が青続きだった。
子どもが、部活でもらったお菓子をわけてくれた。
ルンバが1回も助けを求めずに掃除を完了した。
以前なら気にも留めなかったことだった。
会員たちは、それらを「運」として記録した。
記録するたびに、自分の中に少しずつ運が貯まっていくと考えていた。
誰が言い出したのかはわからない。
気づけば全員がそう信じていた。
一年後。
幸運記帳会は思った以上に広がっていた。
会員は一万人を超えた。
運帳をアプリ化する企業まで現れた。
記録した幸運がポイントになり、残高として表示される。
「今日は三ポイント使いました」
そんな会話も聞かれるようになった。
面接の日。
病院の検査の日。
受験の日。
みんな少しずつ運を使っていた。
もちろん本当に使えるかどうかは誰にもわからない。
それでも皆、使ったつもりになった。
オンラインで全国とつながるようになった幸運記録会。
司会者が尋ねた。
「最近、運を使った方はいらっしゃいますか」
一人の老人が手を挙げた。
「昨日、全部使いました」
会場がざわついた。
全部使う人は珍しい。
「何に使われたんですか」
老人は少し考えてから答えた。
「入院していたんです」
会場が静かになった。
「孫が来てくれました」
老人は照れくさそうに笑った。
「中学生になってから忙しそうでね。最近はあまり会えてなかったんです」
誰も口を挟まない。
「病室に入ってきて」
老人は窓の外を見た。
少し間を置いて続けた。
「おじいちゃん、大好きだよ」
「そう言って手を握ってくれました」
誰も何も言わなかった。
老人は続けた。
「だから、あれに使ったんだと思います」
「全部ですか」
「全部です」
老人は即答した。
「残っていても仕方ありませんから」
しばらく沈黙が続いた。
気づくと、柚は画面に向かって言っていた。
「それは運を使ったんじゃなくて、増えたんじゃないですか」
帰宅した柚は、いつものように運アプリを開いた。
今日の出来事を記録しようと思ったのだ。
すると見慣れない通知が表示されていた。
「運の残高が更新されました」
不思議に思って履歴を開く。
入運 1ポイント
摘要欄にはこう書かれていた。
運用益
柚はしばらく画面を見つめた。
その増え方は、知らなかった。