ことはのことのは〜私が思う感想文とは〜
あなたが伝えたいことは何ですか?
私は言葉を目にしたとき、聞いたとき、そんなことを思います。
顔を見て話すときは言葉の震えや盛り上がり、表情や仕草から、どんな気持ちなのかを知ることができます。
それは "ことのは" が持つ言葉の力——はぢから——となって、私の心と共鳴します。
でも対話ではなく、書いてあるだけの "ことのは" から、それを読み取るのは難しいです。
優しい文体で書いてあっても、それは攻撃を意味するかもしれません。
辛辣な言葉でも、優しさで溢れているかもしれません。
ほんの少しの違いだけで、"ことのは" は武器にもなるし、誰かを包む温もりにもなります。
文章はたくさんの "はぢから" を持ちます。
誰かが書いた文章には、物語でも随筆でも、様々な感情の源が詰まっていて、伝えたいことで溢れています。
だから私はいつも "ことのは" に問いかけるのです。
あなたが伝えたいことは何ですか?……と。
感想文は、まさにその共鳴です。
物語はあらゆる方法で胸に迫ってきます。
あらゆる方法で和ませてくれます。
そして、あらゆる方法で何かを教えてくれます。
心に訴えかける "はぢから" の糸が、受け止める心の糸と重なり合って一つの形を編み上げたとき、それは大きなうねりとなって、読む人の心に波紋を創り出します。
世の中は目新しいものが好まれます。
文章の技術、物語の展開、伏線、世界観。
人気のある構成や主人公像、難解なプロットや見事な仕掛け。
それらは読んでいて楽しく、心地よいかもしれません。でも、私はその中にある "ことのは" が持つ "はぢから" こそが真の意味での物語なのだと思うのです。
"はぢから" は感情との掛け合わせで強い力となります。
「あっ!」
「うそ!」
このような感嘆を表す言葉のように、文字が少ないほど感情は乗りやすいです。だけど、一時的に強い "はぢから" は持ちますが、永続的な言霊とはなりません。
それは刹那の風に似ています。
反対に、言葉が長くなればなるほど感情は乗りづらくなります。
それでも長い言葉に感情を込めて紡ぎ出せば、"はぢから" は強くなります。
一言の叫びは一瞬で心を揺らすけれど、長く紡がれた言葉は織物のようにじっくりと温かく心に宿り続けるのです。
それが真の言霊だと、私は思います。
書いた人が紡いだ心。
それを受け止めて包み込み、自分の想いで練り上げて読む人々に届ける。
それが感想文という名の言霊なのだと思います。
言の葉は言の "端"。
あなたの心にある種の "端" が表れて、生き生きと芽を出した "葉" です。
優しい種からは優しい "葉" が生まれます。
怒りに満ちた種からは刺々しい "葉" が生まれます。
心を抱きしめて心で返す。
そうして芽吹いた "葉" から脈々と受け継がれた先に大輪の花が咲きます。
文章は言の葉から生まれ、人の想いによって育まれた花です。
その彩られた姿形だけでなく、葉の豊かさや基となる種、育んだ想いを感じながら書く文章。
それが感想文であり、対話であり、引いてはそれが人間関係を強いものにする "はぢから" となるのではないでしょうか。
感想文は "想い" という言霊を、心で抱きしめて寄り添う言霊であり "花" である。
私はそう思うのです。
現在、頭の中で構想中の「ことはのことのは」という物語の主人公、言霊師 "ことは" の言の葉として感想文に対する想いを綴りました。
灯火さん、また参加させて頂きます!
よろしくお願いします🙇
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップは活動費に使わせていただきます!