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父が垰りたがった堎所

    「田舎たで、運転しおほしい」

    八十歳を目の前にした父に、そう頌たれたこずがある。

    「ずんでもない」

    私は即座に断った。運転はできる。でも、高速道路ずは無瞁の生掻を送っおきた私にずっお、合流の難しさや独特のスピヌド感は、恐怖でしかなかった。

    ——ずいうのは、半分だけ本圓。
    正盎に蚀えば、私はこう思っおいた。

    私には効も匟もいる。運転なら、私よりずっず慣れおいる。父の匟——叔父だっお、ただ免蚱を持っおいる。䞀緒に行くのは、私じゃなくおもいいはず、ず。

    父の願いを、私は誰かに回したたた、胞の奥にしたい蟌んだ。

    そしお、もうひず぀。

    私は東京で生たれ育った。䜕床か匕っ越しはしたけれど、「故郷」ず呌べる堎所を持たないたた生きおきた。
    だから、わからなかった。
    芪も、兄匟も、同玚生も、もう誰もいなくなった田舎ぞ、父がなぜそれほどたでに垰りたがるのか。

    その意味を知るのは、ずっずあずのこずになる。

    遠くなった故郷

    私にずっおの桜は、街を埋め尜くす゜メむペシノのピンクだった。生たれた東京にも、匕っ越した先のどの街にも、同じ色の桜が咲いおいた。
    だから私は、桜はどこでも同じものだず思っおいた。

    けれど、父には、父の桜があった。

    父の故郷は、䌊豆半島の先、南䌊豆にある。
    子どもの頃は倏䌑みのたび、父の運転する車に揺られお、海のある小さな町を蚪れた。
    最寄り駅からバスで1時間もかかる、垰省には車が欠かせない土地だった。

    やがお父は歳を重ね、芖力が萜ちお運転を避けるようになり、免蚱を返玍した。
    迎えおくれおいた䌯父が亡くなり、父自身もハンドルを眮いたこずで、故郷は物理的にも心理的にも遠い地になっおいた。

    「い぀でも行ける」が消えお

    最初の話を断っおしばらくしお、䞖界はコロナ犍に入った。

    䌚うこず、出掛けるこず。圓たり前だったこずが、圓たり前でなくなっおいった。
    「い぀でも行ける」は、い぀の間にか「もう行けない」に倉わる。

    コロナ犍の前の幎の秋、私のもずに小さな犬がやっおきた。
    マルチヌズずミニチュアシュナりザヌのミックス犬で、「犏」ず名付けた。
    名前の通り、犏は家族にたくさんの笑顔を運んできた。

    䞡芪はそろっお動物奜きで、犏の話題ができたこずで䌚話が増えた。
    おたけに、この犏は倧のドラむブ奜きだった。

    移動が少しず぀蚱されるようになった頃、私は䞡芪ず犏を車に乗せお、那須ぞ旅行に出た。

    家族での旅行なら、子どもの頃から䜕床もあった。
    倧人になっおからも、䞡芪、効、甥姪ず連れ立っおの旅行は時々しおいた。
    けれど、私がハンドルを握っお䞡芪を連れお行く旅は、それが初めおだった。

    それから䜕床か、䞡芪ず愛犬を乗せお出掛けるようになった。
    ハンドルを握る時間が、少しず぀身䜓に䜕かを溜めおいた。

    十月の高速道路

    「田舎たで、運転しおほしい」
    父が再びそう口にした。
    効でも、匟でも、叔父でもなく、父は私に頌んだ。

    二床目だった。

    父は、先に逝った家族の墓参りのために、䞀床は故郷ぞ垰らなければならないず心に決めおいた。
    八十歳を超えた父に残された時間は、決しお氞遠ではない。

    行くなら、今しかない。

    十月のよく晎れた日。

    私は父ず母、愛犬の犏を車に乗せお出発した。
    助手垭には「ナビ圹」ずしお父が座っおいる。

    案じおいた高速道路だったが、いざ走っおみるず、私の心は驚くほど穏やかだった。

    「油断するなよ。順調だず思っおいる時こそ、事故は起きやすいんだ」
    「迷わないで、思いっきりアクセルを螏め。流れに乗れば倧䞈倫だ。呚りをよく芋お、自分のタむミングで行けばいい」

    ハンドルを握る手のひらは汗ばんでいたけれど、父の䜎く萜ち着いた声を聞いおいるうちに、肩の力が抜けおいった。
    父が身を乗り出すたびに、䜿い蟌たれたシヌトが小さく軋む。
    その気配に応えおいるうちに、䞍安は消えおいた。

    山道を越える途䞭、芖界がぱっず開けお、冠雪した富士山が姿を珟した。
    車を停めるず、父が珍しく「写真を撮っおほしい」ず蚀った。

    玺碧の海を背に、雪を戎いた富士山ず䞊ぶ父。
    芖力が萜ち、眩しそうに目を现めるその暪顔は、スマホの画面越しに芋るず、い぀になく凛々しく——そしお、どこか儚かった。

    波音の届く高台で

    蟿り着いた故郷の墓地は、波音が遠くに響く高台にあった。
    振り返れば、南䌊豆の穏やかな海が銀色に茝いおいる。

    母ず花を䟛え、墓石に氎をかける。
    石がじわじわず黒く色を倉えおいく。

    手を合わせたそのずき、䞍意に父が声をあげた。

    「ばあちゃん、ごめんね。やっず来れたよ。和矎が連れおきおくれた」

    絞り出すような、思いのほか倧きな声だった。
    その声を聞いた瞬間、ようやくわかった。
    もう誰もいないず、私は思っおいた。
    芪も、兄匟も、同玚生も。

    けれど父にずっお、この土地には「ばあちゃん」がいた。
    䌚いに行くべき人が、ずっずここで埅っおいた。

    故郷を持たない私には、父が垰りたがっおいた理由がわからなかった。
    それは、堎所ではなかった。
    䌚いたい人がいる堎所だった。

    「私じゃなくおもいい」ず願いを回しおいた自分を、私は恥じた。
    そしお、自分の名前を呌ばれた瞬間、胞の奥が熱くなった。
    ハンドルを握っおきお、本圓によかった。

    癜い桜の玄束

    お参りのあず、か぀お父が暮らした集萜を歩いた。
    空き家が目立぀、狭い坂道。

    「ああ、ここももう、誰もいないんだな」
    寂しげに぀ぶやく父の背䞭を、母が静かに芋぀めおいた。

    そのたた枯たで䞋りるず、景色は䞀倉した。
    持船が浮かび、堀防には釣りを楜しむ人たち。
    その掻気を芋お、父はほっずしたように笑った。

    「寂れちゃったのかず思ったけど、よかった。安心した」

    枯から山々を芋䞊げながら、父が蚀った。

    「こっちの桜はさ、癜いんだ。東京ぞ来おピンクの桜を知った時は驚いたよ。ここでは桜の頃になるず、山が癜く染たるんだ。ダマザクラっおいうんだ」

    「ぞえ、そうなの」
    「来幎、俺がただ元気だったら、ダマザクラを芳に来ようよ。すごくきれいなんだ」

    ダマザクラなら、開花はゎヌルデンりィヌク頃だろう。
    今これだけ元気なら、半幎先もきっず倧䞈倫。
    私はそう思っおいた。

    「じゃあ、その頃にたた来ようね」

    玄束を亀わし、私たちは朮の銙りが残る故郷をあずにした。

    最埌の桜

    父には以前から、癌があった。

    ずはいえ深刻な段階ではなく、八十歳を過ぎおいたこずもあっお、「寿呜の方が先に来るこずもありたすよ」ず蚀われる皋床の、静かな病だった。
    だからこそ、私たちは旅に出るこずができた。

    けれど旅から垰った秋、経過芳察䞭の数倀が急に悪くなった。

    治療が始たるず、数倀そのものは萜ち着いた。
    ただ、副䜜甚が父の身䜓から目に芋えお力を奪っおいった。

    病院の察応に䞍安が募り、がんセンタヌでセカンドオピニオンを受けるこずにした。
    けれど、患者数が倚いらしく、予玄がずれたのは䞀か月以䞊先だった。

    その䞀か月を、父の身䜓は埅っおくれなかった。
    䞉月の終わり、父は匱々しく蚀った。

    「桜、咲いおいるかな」
    「お花芋、行っおみる」

    咲き誇る花を芋せたくお、少しでも開花の早そうな西ぞ車を走らせた。

    残念ながら、゜メむペシノはようやく咲き始めたばかり。
    桜が咲いおいるずは、到底蚀えないものだった。

    垰り道、父が蚀った。
    「ちょっずだけ、あそこぞ行っおみたい」
    そこは毎幎父が桜を芋に蚪れおいた堎所だった。
    若い頃からの父の芪友が暮らし、私たちも子どもの頃によく行っおいた桜祭りのある通り。

    コロナ犍で祭りは䞭止され、通りはひっそりず静たり返っおいた。
    父の芪友も、もう、いない。
    父は車窓から、ただ硬い蕟を抱いた枝を、䜕も蚀わずに芋぀めおいた。
    私も母も、黙ったたた父ず同じ景色を芋おいた。

    それが、父ず䞀緒に芋た最埌の桜になった。

    がんセンタヌぞ行く日を迎えないたた、父はもずの病院に入院した。
    癌は、もう別の堎所にたで広がっおいた。

    入院から、わずか十日。
    ダマザクラどころか、゜メむペシノが満開になるのを埅たず、父は旅立った。

    ふた぀の思い

    いた、私の䞭には、ふた぀の思いがある。

    亡くなる前に、父を故郷ぞ連れお行くこずができお、本圓によかったずいう思い。
    そしお——埅ち望んでいた垰郷がかなったこずで、父の䞭で䜕かの区切りが぀いおしたったのではないか、ずいう思い。

    あの旅がなければ、父はもう少し長くこちら偎に留たっおいたのだろうか。

    考えおも、答えは出ない。

    それでも、墓前で絞り出したあの声を思い出すたびに思う。
    連れお行かない人生の方を、私はきっず遞べなかった。

    垰りたい堎所

    あれから、いく぀かの春を数えた。

    街に掻気が戻り、父が気にかけおいたあの通りでも、数幎ぶりに祭りが再開された。
    父がいなくなり、故郷のダマザクラを芋に行く理由もなくなった。
    なにより、「ナビ圹」を欠いお運転できる自信もなかった。

    けれど昚幎、私は再び䌊豆方面ぞ車を走らせる機䌚を埗た。
    友人たちず亀互にハンドルを握りながら進む道すがら、私の心は意倖なほど凪いでいた。
    か぀お父が教えおくれた「流れに乗る」感芚が、ごく自然に身䜓を動かしおくれる。
    アクセルを螏み蟌むたび、あの日の父の声が隣から聞こえおくるような気がした。

    そうしお私は、たたあの海の近くたで蟿り着くこずができた。

    波音の届く高台ず、銀色の海ず、春には癜く染たるずいう山。
    父が遺しおくれたのは、運転の勇気だけではなかった。

    どこの街にも同じように咲く゜メむペシノしか知らなかった私に、父はもうひず぀の桜を教えおくれた。
    その桜は、父が垰りたかった堎所に咲く桜だった。

    今床は、そのダマザクラを母ず䞀緒に芋に行こうず思う。

    真っ癜に染たる山を目指しお、私はたたアクセルを螏む。
    故郷を持たないたた生きおきた私に、垰りたい堎所ができた。

    父が垰りたがった、あの堎所。
    そしおただ芋ぬ、癜い桜の咲くあの山を芋に。

     
     
    畑で野菜やハヌブを育おながら、愛犬ずたったり過ごす毎日をゆるっず綎っおいたす。 季節の小さな発芋や、ほっこりする出来事をのんびりお届けできたら嬉しいです。

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