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Photo bykigurumi64

障害者は作品やパフォーマンスを投稿してはいけないのか~暗黙の了解による差別


    「身体障害者がハンデを抱えながらも作品を作ったりパフォーマンスしたりして、それをネットに投稿するのはいけないことですか?」

    こう聞かれた時、皆さんは何と答えますか。恐らく、少なからぬ人が「そんなことはありません。いけないことなんかじゃありません」と答えるのではないかと予想します。

    しかし、現実はどうでしょう、実際に障害者がハンデを抱えながら作品を作ったりパフォーマンスしたりしてそれをネットに投稿したら、ほとんどの人が温かく受け入れてくれるのでしょうか。

    答えはNOです。障害者がハンデを抱えながら作った作品や行ったパフォーマンスは、高確率で心ない視線や言葉のターゲットになります。「障害でハンデがあるなら作品やパフォーマンスを投稿するべきではない」という暗黙の了解が、世の中にはあるのです。

    これは事実です。断言できます。なぜなら私自身、薬害で手に障害があるからです。そして、その手でも弾けるように作ったピアノ曲や昔弾いたクラシック曲を弾いてネットに投稿したら、複数の人から批判的な意見が来たり、「手が不自由ならそういうものを投稿しない方がいい」と言われたりしたからです。

    ただし、批判のターゲットになるのは、障害により作品の制作やパフォーマンスに直接的なハンデが生じる場合に限ると思われます。直接的なハンデとは、例えば口や舌や喉が不自由な人が歌を歌う、脚が不自由な人がダンスをするなど、それをするのに必要な体の部位が正常に機能していない場合です。(余談ですが、私は薬害で口・舌・喉・脚などにもごく軽い筋力低下・機能低下があります。ただし、その部分を使った作品やパフォーマンスを投稿したことがないので、そちらのハンデのことで叩かれたことはありません)

    また、適切な道具を使えばハンデをかなり軽減できる場合も、あまり批判されずに済むようです。例えば、私はキーボードを長時間打ち続けることができないのですが、音声で入力して修正のみ手で行うというやり方をすれば、こうやって文章を書いて投稿することもできます。「手が不自由なら文章を投稿するな」と言われたことは、これまで一度もありません。

    ですが、楽器演奏となると話は別です。楽器演奏では、私の症状はどうしても致命的なハンデになってしまいます。

    私の手の指は幼少期から10本とも不自由です。薬害で指の力が病的に弱く、指があまり開かないし、正常に動かせないのです。特に15歳からはこの症状が酷くなり、日常生活にも大きな支障が出ています。

    それでも、私は中学生の時からずっとピアノに憧れてきました。

    ピアノは小2~小6まで習っていたのですが、手のハンデがあった上に母から変な練習方法を強制されたため、全然上達しませんでした。その後、父の海外転勤でピアノがない生活を余儀なくされました。近所の子はほとんどがピアノを習っていて、私も弾きたくて仕方がなかったのですが、日本からピアノを持って行けなかったのでどうしようもありませんでした。

    15歳で帰国し、再びピアノが弾ける環境になりました。ところが、日本での新しい生活にも慣れてきてピアノを再開しかけた途端に薬害の症状がかなり悪化し、鍵盤を押さえることすら難しくなりました。

    こうして、私は人生のほとんどをピアノが弾けない状態で過ごしてきました。

    ただし20代の数年間だけ、一時的に手が小康状態の時がありました。薬害の原因になっていた薬を中断して、体の表面に溜まっていた薬が排出されたからです。その時期はピアノの鍵盤を押さえるのにあまり苦労せず、子供時代のように変な練習方法を強制されることもなかったので、比較的普通に近い状態で練習することができました。仕事をしたり薬害の治療の為に長時間の半身浴をしたりしていたので短時間しか練習できませんでしたが、この時期はかなり上達し、上級の曲にも挑戦していました 。

    母が庭に出ていて私が家の中でピアノを弾いている時、通りかかった人が母に「お子さんはピアノの先生ですか」「お子さんは音大生ですか」と聞いたことがあったそうです。おそらくその人たちはクラシックピアノを聴き慣れていなかったと思われますが(笑)、そういう人の耳にはそう聞こえるくらいには、当時の私は弾けていたらしいです。

    ところが、十代の時ピアノができなかった分をかなり取り返せたかなと思い始めた頃、体の奥深くに溜まっていた薬の排出が始まり、薬害の症状が非常に悪化してしまいました。手に力が入らず正常に動かせないのもどんどん酷くなり、生活や仕事への支障も大きくなっていきました。 15歳~20代初めも手の症状は十分酷かったのですが、その頃よりも更に酷くなってしまいました。

    ピアノへの支障も、段階を追って大きくなっていきました。

    一応弾けなくはないが下手に聞こえる→演奏と呼べる代物にならない→初心者向けの簡単な曲ならたどたどしく弾けるがそれ以外の曲は演奏不可、というように状態が悪化していき、最終的には鍵盤を押さえて下に沈めることすらできなくなりました。

    こうして鍵盤が全く押さえられなくなった私は、その状態で十年以上過ごしました。その期間に手から薬が少しずつ排出されたので指も少しずつ回復し、ある時期、鍵盤を下に沈めるくらいならなんとかできるようになったことが一時的にありました。

    と言っても、最悪の時よりは多少マシになったという程度です。相変わらず指の力は病的に弱く、指が開かず、正常に動かせません。人差し指から小指はきついゴムでまとめて縛られているかのようにほとんどくっつきっぱなしですし、親指もあまり開きません。親指が人差し指の方に引き寄せられるようになってしまうのです。ピアノを弾く時の手のフォームを作ることすらできません。当然、普通に弾くことなど無理です。

    単に指が正常に動かせないだけでなく、手の持久力にも問題がありました。指の力が弱すぎるし不自然なフォームでしか指を動かせないので、鍵盤を押さえると腕に過度な負担がかかってしまうのです。弾くとしても比較的調子のいい日に1~2分弾くのが限度でした。1~2分ですら、弾き終わる頃にはもう腕が痛くなり始めていました。

    ちなみに上の方で「キーボードを長時間打ち続けることができない」と書きましたが、それも手の持久力が無いのが原因です。

    それでも、私は鍵盤を下に沈められるようになったのが嬉しくて浮かれてしまいました。そして、自作のピアノ曲や、昔弾いたことがあって少し覚えているクラシック曲の一部などを弾いてみて、ネットに投稿しました(現在はそこはアカウントごと削除済みですが、自作曲の投稿の一部はYouTubeの「乃吹真帆 Maho Nobuki 作曲・パラリンピアノ」というチャンネルに残してあります)。

    正常に機能していない指で弾いていた上に、手の持久力の問題で練習ができずぶっつけ本番で録音に臨んでいました。そういう状態であることは投稿時に書き添えるようにしていました。もし目立つミスをしたら、その時点でもう手のスタミナが切れていることが多いので、回復してから手の調子の良い日に改めて録音に臨むしかありませんでした。

    普通の人と同じようには弾けなかったとは言え、ただの雑音にしか聞こえないものではなく、一応曲に聞こえる程度のものを投稿していました。演奏の出来栄えは必ずしも私の本来の(手のハンデが無いと仮定した場合の)実力を反映してはいなかったのですが、そのことを誰もが分かってくれるだろうと、この時の私は愚かにも思いこんでいました。それに、手が不自由な人に対して「下手な演奏ですね」なんて言う人はいないだろうとも思っていました。

    ところが、それが大間違いだったのです。

    実際投稿してみると、何人もの人からただのピアノがあまり上手くない奴扱いされてしまいました。「下手だ」「ちゃんと弾けてないですね」というコメントがいくつも来ました。

    全てが貶すコメントだったわけではありません。「手が不自由なのによく弾けていますね」という反応もかなりありました。褒める人と貶す人のまっぷたつに反応が分かれていた感じです。それでも、ピアノ演奏を投稿している他の方達に比べて、私だけやたらとネガコメの割合が高かったのは確かです。

    「手が不自由だろうが何だろうが、指が動いていないんだからただの下手糞だ」と言わんばかりの容赦ないコメントがいくつも来ました。ピアノの先生をしているという方から傷つくコメントが来て、悲しくなって投稿を削除したこともあります。

    健常者に言ったら失礼になることでも障害者に言うのは失礼に当たらないと思っている人が多いのか、こちらの気持ちなど全く考えずに言いたいことを言ってくる人がかなりいたのです。

    特にショックだったのは、私のそれまでの人生でのピアノに関する苦労や葛藤の話を読んでくださっていた方から「単なる初心者の演奏に聴こえる」という意味に取れることを言われたことです。「昔はもっと弾けたんです」と改めてその人に言ったら、「あなたの昔のことは知りません。でも、今の演奏を聴くことはできます。また、ここ(初心者)から始めるのです」と言われてしまいました。私は残酷な現実を突きつけられたように感じましたし、それまでのピアノに関する苦労や葛藤まで全部無かったことにされたような気持ちになりました。

    何人もの人から批判的なコメントが来たり見下されたりしたのがショックで、私は度々嘆きの投稿をしました。すると今度は「嘆くな!」と何人もの人から叱られたり、「不自由な手でピアノ演奏を投稿すると攻撃されるから投稿しない方がいい」と言われたりしました。

    不自由な手での演奏を投稿したら攻撃のターゲットにされても仕方ない。攻撃されたくなければ投稿をやめるべき。そう思っている人が少なくないことを、私は思い知りました。

    そして、健常者と同じようにできなければ投稿を許されなかったのは、演奏だけではありませんでした。自作曲もそうだったのです。

    私は、完成したらすぐに弾いて投稿するつもりで曲を作る時は、なるべく自分が弾きやすいように作っていました。正常に動かせない指で弾かなくてはならず、しかも練習は脳内で少し行うのみで、ピアノに向かっての練習はせずにぶっつけ本番で弾くしかありませんでしたから。失敗して再トライする場合は、手のスタミナが回復するまで待たなければなりません。そんな状況で演奏を早い段階で成功させて録音して投稿するには、曲の難易度を抑えて作る必要があります。なお脳内での練習を「少し」しか行っていなかったのは、脳内でピアノを弾いても実際にピアノを弾く時に使う筋肉が少し反応するらしく、脳内練習も短時間ですぐ切り上げないと腕が痛くなってしまったからです。

    ある時、不協和音の跳躍が何回か出てくる曲を作って投稿しました。不協和音は汚い音にした方が効果が高くなると思ったのですが、そうすると和音が複雑になり、練習せずに一発で成功させるのが難しくなります、ですので、汚い不協和音は避けて比較的シンプルな不協和音に留め、弾いて投稿しました。

    そうしたら、当時私と交流があり私の手の事情をよく知っていた筈の人から「もっと汚い和音が欲しいところです」というコメントが来てしまったんです(そもそも私は投稿時に手の事情を書き添えていましたので、その人が元々私の手のことを知っていたか否かに関わらず、投稿を見れば事情が分かった筈です)。

    私は「障害者でも演奏できるように難易度を調整した曲は、健常者には受け入れられないことがある」と思い知らされました。とても傷つきましたし、悲しくなりました。

    そして頭の中で泣きわめきながら、和音をより汚いものに修正しました。一発で成功させるにはかなりギリギリの難易度の音でした。上で書いたように、自作曲を弾く時は脳内で少し練習してから弾くのですが、この時はいつも以上に脳内練習をしっかりして修正バージョンの録音に臨みました。弾く時はいつも綱渡りをしているような気持ちになりますが、この時はいつもより細い綱を渡っているような感じがしました。

    そしてどうにか成功に近い演奏ができ、私はそれを新バージョンとして投稿しました。投稿する時、最初のバージョンを比較的シンプルな和音で作った本当の理由が書けず、「私の作曲能力が未熟だったので、ご指摘ありがたかったです」と本心ではないことを書いてしまいました。「最初のバージョンは私の手でも無理なく弾けるように作った」なんて言ったら健常者は受け入れてくれないと思ったのです。

    再投稿したら、最初のバージョンに「もっと汚い和音が欲しい」というコメントを送ってきた人から、最初のバージョンを改めて否定しているように聞こえるコメントが来ました。私は更に悲しくなり、ますます傷つきました。障害者が自分の状態に合わせた作品を投稿するという行為そのものを、頭から否定された気がして。「健常者と同じようにできないのなら、作品を投稿してはいけません」とはっきり言われた気がして。

    確かに、ピアノを弾くのに指が正常に動かないし練習もできないというのはあまりに致命的です。私の場合、そもそもピアノ演奏などできる指の状態ではないのに無理して鍵盤を押さえていました。ですから、健常者と同じクオリティの演奏をするのは不可能でしたし、自作曲を弾くなら作る段階から自分のハンデを考慮しなければなりませんでした。「そんなものをわざわざ投稿して人に聞かせるな。やるなら健常者と同じようにできなければ認めない」と考える人がいるのも理解できます。

    でも私は、何だか引っかかってしまうのです。

    「健常者はピアノ演奏や自作曲を投稿してもいいけれど、障害者は投稿するべきではない。どうしても投稿するなら、批判や攻撃のターゲットになることを覚悟の上でやれ」

    これってなんかおかしいような気が、私はしてしまいます。暗黙の了解による障害者差別のように思えてならないのです。

    障害者である私が演奏を投稿することで他の方々の迷惑になっているとは思えません。私の演奏をタップすることで料金が発生するわけでもありませんし、無理やり聴かせているわけでもありません(タップしないと音は鳴りません)。

    それなのに、演奏を投稿すると批判や攻撃のターゲットになったり、投稿をやめなさいと言われたりしてしまうのです。投稿するのは悪いことだと言わんばかりの反応がいくつも来るのです。「障害者だから」です。

    誰にも迷惑をかけていなくても、障害者がやるとそれだけで悪いこととして扱われる。そんなのおかしいと、私は思います。

    この記事では私が経験した例として「手が不自由な人間によるピアノ演奏」を挙げましたが、このようなことは様々な障害に対して至る所で起こっているのではないでしょうか。健常者なら当たり前に許されることを、障害者がやると、誰にも迷惑をかけていなくても「やめろ」と言われてしまう。または批判や攻撃のターゲットになってしまう。

    別に障害者が作品やパフォーマンスを投稿したって良いし、作品を自分のハンデに合わせて作っても良いではありませんか。それは悪いことなんかではないと、私は思うのです。

    他人に迷惑がかかるのでない限り、障害者がやりたいことをやっても受け入れられる世の中になってほしい。心からそう思います。







     
     
    虐待サバイバー。外用薬の薬害で幼少期から手が不自由。文章は音声入力。虐待や薬害による体調不良と皮膚症状で人生の3分の1以上寝たきり。中学は海外で環境が悪く英語が身につかず過労で心身完全破壊。帰国後英語を習得。英検1級、TOEIC990点(昔のスコア。その後受けてない)、仏検2級。

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