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つぼみ堂物語

    彼女はずっと駄菓子屋になりたかった。

    子供のころ、「松本商店」によく行っていた。
    お店に並んだ、たくさんの小さなお菓子たちを見るのが楽しかったし、
    おばあちゃんが優しい声で
    「いらっしゃい」「おかえり」と言ってくれるのが嬉しかった。
    時々店の奥でおじいちゃんと、自分と同じくらいの年の女の子がいて
    一緒にチラシを折って貼って袋を作っていた。
    おばあちゃんはその袋に買ったお菓子を入れてくれた。

    駄菓子屋には時間の制限がない。
    お菓子を買うのに何分迷っても、決められない自分でいてよかった。
    名前だって、なければなくていい。
    誰でもない、ただの子供でいられた。

    学校でも家でもない場所。
    いつでも待ってくれているような場所。
    大好きだった場所。

    あの子、いいなあ。
    私もチラシで袋を作って、お菓子を入れて誰かに渡したい。
    あっち側の人になりたいと思った。
    灯りをともしてみんなを待ちたい。
    だから彼女は「駄菓子屋になる」と決めた。

    大人になっていろいろなものを失くした。
    たくさんのものを手放した。
    きっと大人になるってそういうことだ。
    でも、いつか駄菓子屋になるという夢は、ずっと手放さなかった。

    休みの日、散歩をしていると
    「貸店舗」と書かれた古くて小さな木造の建物を見つけた。
    その建物は、車がすれ違うとき
    どちらかがちょっとだけ譲らなければいけないような、
    少し細い道沿いにあった。

    そっと中を覗いて見た瞬間、心の中で何かが咲いた。
    「ここかも」と思った。今かも。

    店の前の道はゆるくカーブしている。
    先が見えないその感じを、彼女はとても気に入った。
    まっすぐじゃない道は、寄り道を許してくれる場所だと思った。

    運命なんてわからない。
    星占いも、手相も、だいたい話の途中で飽きる。
    でもここに決めた。運命じゃない。
    彼女の中にいる、子供のころの自分がにっこりと微笑んだだけ。
    不動産屋で判子を押した。上手に押せた。
    こんな決め方をする自分がおかしくて少し笑ってしまった。

    店の名前は「つぼみ堂」に決めた。
    まだ咲いていないけれど、明日が楽しみになるような気がして
    この名前に決めた。
    店の入り口には手作りの赤いのれんをかけた。
    「つぼみ堂」の刺繍の文字はちょっと歪んでいるけれど
    彼女にしては上出来だった。

    放課後になると子供たちが「今日は百円まで」
    とか言いながら来て、真剣な顔で迷う。
    たまに大人も来て「えー、これまだあるんだ」
    と楽しそうに選んでいく。

    子供たちはお菓子を買いに。
    大人たちは思い出を買いに。

    できるだけきれいな色のチラシを選んで作った袋に
    お菓子を入れて渡す。

    お客さんはみんな
    お菓子を買うだけじゃなくて何か少し話していく。
    今日あった嬉しかったこと、悲しかったこと、
    面白かったこと、怒っていること、懐かしいこと。
    つぼみ堂は少しだけ気持ちを置いて帰れる場所になれた気がする。

    賑やかだったお店は太陽が傾くにつれて
    少しずつ静かになっていった。

    店を閉め、片付けが終わり、 
    コーヒーを一杯飲んでから外に出ると夜になっていた。
    鍵を閉め、歩き始めて振り返ると
    街灯がスポットライトのようにつぼみ堂を照らしていた。

    夢を叶えて駄菓子屋になった。
    だからと言って特別なことは起らない。
    でも、ここにはちゃんと「毎日の続き」があって
    小さな世界は今日もゆっくりと静かに回っている。
    ここがあるから私は大丈夫だ、と彼女は思う。

    朝陽が店に入り込み、ほうきで舞ったほこりをキラキラと光らせた。
    路地の向こう側を猫がのんびりと歩いている。

    今日も彼女は店の引き戸を大きく開ける。
    子供のころの自分が、いつ来ても入れるように。

    #創作大賞2026 #オールカテゴリ部門


     
     
    ノブエイです。よろしくお願いします。 文章だったり、たまーに短歌だったり。 日常を徒然なるままに。

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