
退魔師だけど質問ある?第1章 ④|後編
④闇の中にも影がある|後編
院内の空気は、明らかに外のそれと違った。
“むこう側あるある”なのだが、妙に重苦しいというか、息が詰まるというか、要するに「ダルい」。
しかも滞在時間とともに、それが増していく。
厄介過ぎるデバフ効果だ。
だからこちらから出向くのは、それだけで不利になる。できれば避けたい…というのが本音。
じゃあそういう時、自称”退魔師”の僕がどうしてるかというと、煙草を吸う。
煙と匂いに乗じて、こっち側の領域を広げる。そのことで、向こう側を押し広げて、自分の領土を無理やりつくるイメージ。
【スモハラ退魔】と呼んでいる。
一般的な退魔師たちが、どうしてるかなんてもちろん知らない。興味もない。
なんとなく我流で編み出したものだ。
──そんなことを心中で呟いているうちに、廊下を辿って、大分廃墟の深部まできていた。
瘴気めいたものは、大分濃い。
常人なら、いるだけで障りがあるだろう。
普通なら煙草だけで”ご退出”頂いてしまうのだが、そうなっていないことそのものが、この案件の厄介さを表しているようだ。
(やっぱり、ただの心霊スポットじゃないな)
思った矢先だった。
視界の隅を動くものが掠める。
目をやると……人間だった。四つん這いの。
傍から俺を追い越すと、すごいスピードで数メートル先まで進み、止まった。
そのまま、グキグキと関節を慣らしながら立ち上がり、こちらに背を向けたまま動かなくなった。違和感のある動きで威嚇してくる【アクロバット系】
どうしよう。
青信号になったのに、進んでくれない車の後ろにいる感じだ。
クラクションを鳴らすのもいいが、奥にいる、より強大な存在をいたずらに刺激したくない。
物言わぬ背中をながめながら、隙をうかがって立ち尽くした。
「きゃあ」
背後で声がした。
思わず後ろを振り返ると、そこに彩花がたっていた。
「お前、どうして…」
僕が言い終わらないうちに、アクロバット系が動き出す気配がした。彩花への害意をはなっている。
(まずいっ)
間一髪のところで、アクロバット系足首を掴んだ。
ぐいと引き寄せる。当たり前だが、ほとんど質量は感じない。不思議な感触。
馬乗りになって、動きを封じながら胸ポケットを探り……”ICカード”を取り出した。
入金と一緒に僕の力を込めてある。それをもがくソイツの額に押し当てた。
ピッ
と音が鳴るわけはないが、同じくらいあっさりと、アクロバット系には「ご退出」いただいた。
残されたのは、尻餅をついた彩花とその乱れた息の音だけ。
ああ、めんどくさいことになった…
そう思った。
□
「何、今の、なになに?」
パニック寸前の彩花。
返事代わりにミントタブレットの箱を差し出す。
「えっ、どゆこと?」
さらに戸惑ったようだ。しょうがないので、数錠をその口の中に放り込む。
「うむむ…」
彼女は唸り声をあげて、それを咀嚼する。カリカリと音が響く。しばらくして「辛っ」と小さな悲鳴をあげた。
ただ、それで幾分か落ち着いたようだった。
「大丈夫か?」
彩花の目を覗き込みながら聞く。
「怖いやら、辛いやら、もう何がなんだか」
「”気つけ”だと思ってくれ…それよりも、なんでここにいる?」
彼女は数回咳き込んでから、答える。
「さっきはカッとなって、ごめん…」
「いや、いい」
「でも、やっぱり気になって。あんたが一人であんなところに行くの、見てられなかった」
「余計なお世話だ」
「分かってる。でも……この間の夜、”あの女”のこと。絶対普通じゃなかった。あんたも、何か抱えてるんでしょ」
僕は答えなかった。
「だから、ほっとけなかった」
ため息をついた。
随分、厄介な女に絡まれてしまったものだ…
その時——
思わず体が揺れるほど、強烈な気配を廊下の向こうから感じた。
(来た…)
"本体"に、気づかれてしまった。
見ると、廊下の奥が一層の闇の中に沈み込んでいた。異様に濃い影が、壁や床の表面に滲み、侵すように、じわじわとこちらに近づいて来ているように見えた。
彩花の様子を見る。
さっきより随分マシだが、彼女を連れて長い時間対峙するのは避けたい。
「立てるか?」
僕の問いに、おずおずと頷く。
肩を支えながら立たせると、僕はふたたび廊下の向こうの"気配"に向き合った。
深呼吸。
胸を開き、腕を左右に大きく広げる。
そのまま、両手を打ち合わせた。
パンッ
音が波のように広がる。
院内の空気が、一瞬で変わった。
漂う瘴気が、潮が引くように退いていく。
"影"も、壁から剥がれ落ちるように、元の闇へと沈んでいった。
——が。
完全には消えない。
廊下の奥、最深部に、まだ濃い闇が残っている。
(……まだ、いる)
あれが、ここの"核"なのだろう。
だが今日は、ここまで。
彩花が限界だ。
「出るぞ」
僕は彼女の手を掴み、出口へ急いだ。
□
外に出ると、夜の冷たい空気が肺を満たした。
彩花は、まだ少し震えている。
「大丈夫か?」
彼女は頷く。
「もう、何がなんだか」
「詳しいことは、また後で話す」
その背に手を回し、先を急がせる。
「シマス…オネガイシマス……」
どこからか、ささやき声が聞こえた。
若い男の、力のない声。
前庭に目をやると、人影があった。
フードを被り、マスクで顔を覆った男。
見覚えがある——動画で見た、あの配信者の姿だ。
「トウロク……オネガイシマス……トウロク」
彼は手を胸の前にスマホをかかげ、何度も同じ動作を繰り返している。その姿は、もはや半分以上影の中に溶けかけていた。
(エイト……そうか、取り込まれたのか…)
見ている間も、彼はどこへ、誰へともなく配信を続けていた。
いつまでもいつまでも同じ場所をぐるぐると廻りながら。