
【ホラー小説】赤い空域 第7章|第3話
第3話 『赤い空域』
都心と郊外との境目。
そこに程近いパーキングエリアで、車は停まった。
「ここまでです。」
職員が言った。
「私は引き返します。後は、ご自由にどうぞ。」
「避難しろ、とは言わないんですね?」
僕は尋ねる。
「もちろんです。」
彼女は微笑む。
「真壁さんは、あのように言いましたが、ここまできたら好きにすればいいと、私は思うので。」
「職責とか、もうそれどころじゃないですし……」
ボソリというと、ジャケット裏を探り、カード状のものを取り出した。
「もし、関係者に遭いましたら、こちらをお示し下さい。」
受け取る。
IDのようだった。
「木村さん……ですね?」
彼女は頷いた。
「木村瑞穂です。自己紹介が遅れました。でも……」
木村という職員は、そこで言葉を切った。
「お会いするのも、これで最後です……お二人とも、さようなら。」
「さようなら」
と、僕は答えた。
澪は、静かに涙を流していた。
* * *
黒いセダンは、現れた時と同じように、滑るように消えた。
僕らは2人きりになった。
しばらく呆然と立ち尽くしていたが、ふと、喉の猛烈な渇きに気づいた。
近くを探すと、幸い稼働中の自販機が一台あった。
2人分の水を買い、傍のベンチに腰掛けて飲む。
眼前に広がる細長い駐車スペースには、当然のように人の気配はなかった。
夜明けが近いのか、ぼんやりとした光が差し込み始めていた。
ーーだが、それ以上に、西の空が明るい。
都市の上空に、滲むような赤が広がっていた。
「あの、相良さん。」
唐突に、澪が口を開く。
「どうした?」
「私思ったことがあるんです。」
「何?」
「私、多分、就活できます。」
一瞬、呆気に取られた。
この状況で口にする言葉とは思えない。
しばらく目を見合わせていたが、そのうちに、なんだかおかしくなってお互いに笑ってしまった。
「どうしたの、急に」
「いや、苦手だったんですよ。自分のことについて話すの。
妙な趣味があるし、この感覚のこともあるし……でも」
そこで言葉を切って、どこか遠くを見つめた。
「相良さんや、真壁さんや、荒巻さん、木村さんと会って、話をして……それでようやく自分の言葉を知ることができたんです。」
「”デカンショ”読んでるよりも、ためになった?。」
「まぁ、正直。先人たちを否定する気はないですが。」
頷く。
「その先人たちも、それを望んでいるよ。」
風が吹き抜けていった。
「相良さんは?」
「ん」
「相良さんは、何か見つかりましたか?」
「見つかったよ。」
「なんですか?」
「”りんごの木”」
「どういうことですか……」
「”たとえ明日、世界が終わろうとも、私は今日りんごの木を植える”」
「それ……相良さんが考えたんですか?」
「どっかのえらい学者さん。」
僕は立ち上がった。
「行くよ。倉橋さん。」
「どこへ?」
「街へ。」
「なぜ。」
「全てを見て、書く、と決めたから。」
「……」
澪は黙り、俯いた。
「倉橋さんは、この先に進むといい……規制の終了地点も、ほど近いはずだから。」
「……」
「倉橋さん?」
「……」
「どうしたの?」
「……いやです。」
「へっ?」
きっぱりとした返事に拍子抜けしてしまう。
「私も、いきます。」
「でも…」
「相良さんは、嘘つきだから。」
彼女はそこで顔を上げた。
目に涙。
だが、口元には笑みが浮かんでいた。
「いこうか……」
いつのまにか、僕は口にしていた。
「いきましょう。」
澪が、答えて立ち上がる。
その時だった。
音が。した。
長く、大きな音だった。
「聞こえましたか?」
澪がこちらを見ていう。
また、音が響く
さっきよりも大きくて、近い。
広がったと思えば窄まる。
単なる音ではない。
まるで、何かの”息づかい”だった。
「……相良さん。」
澪が指差した。
その先。
黒く浮かび上がる街の輪郭の向こう側。
広がる赤い空域が、ゆっくりと、呼吸をするように、脈打ちはじめていた。
赤
赤
赤
無数の航空障害灯。高層ビル。鉄塔。クレーン。
そのすべての赤い点滅が、同期していた。
「一体、どうなるの……」
澪が、ぽつりと言った。
答えようもない。
それでも。
この世界行く先を見届けることを、僕は選んだ。
澪の手が、そっと僕の手を探すように動く。
指先が、重なる。
握り返した。
音が響く。
“あれ”が、こちら側にいる。息づいている。
赤い空域も、先程より近づいているようにみえた。
いや、こちらが近づいているのかもしれない。
もはや、どの感覚も定かではなかった。
「目を瞑って。」
僕は澪に語りかけた。
「怖い。」
震えていた。
「大丈夫。」
「見えなければ、存在しない。」
「怖いものも、世界もなくなる。」
瞳が、揺れる。
「信じています。」
口をつぐんだ。
目が、ゆっくりと閉じられていく。
僕も、一度目を閉じた。
準備だった。
深く息を吸い、吐く。
数秒数える。
“あれ”はきっと、すぐそこにいる。
その気配を感じながら
そっと、瞼に力を込めた。
[了]