
父親の背中は、いつまでも大きい
私には70代になる両親がいる。会社員勤めで、猛烈に働いていた父親と、専業主婦の母親という、いわゆる典型的な昭和の両親だ。父は数年前に会社を定年で退職し、今は教育支援をボランティアで手伝ったり、大学時代から興味のあった文化人類学を勉強するなど、定年後も趣味で忙しい。母も十数年来ずっと、数え切れない花々の世話にいそしんでいる。
そんな2人が、イギリスに遊びにきた。目的は、息子である私に会うことと、イギリスの庭を巡ること。母にとって、イギリスの庭園は聖地のような場所であり、庭づくりの参考にしてきた場所である。実家に置かれた家具を思い出しても、薔薇の刺繍が施されたクッションや、ツタが絡むイラストのタオルなど、そこかしこにイギリス風の家具があった。
親の渡航は、留学中の私にとって親孝行できる、数少ない機会である。
半年ほど前から、オンラインで何度も打ち合わせを重ね、宿泊所や、移動手段の手配など、準備を重ねた。両親はとても慎重な性格なので、紙に旅程表を書き出し、その日に着る服の想定までするような2人だ。イギリスの天気も数ヶ月前から確認し、必要な服装もしっかりと準備してきた。母は寒がりなので、服は慎重に選ばねばならない。
そして、両親がイギリスにやってきた。空港まで迎えに行き、1時間ほど、到着口から吐き出される人を見つめ、ようやく小柄な2人を見つけた。中東やロシア上空を飛べない長旅だったこともあり、顔色が優れないようだったので、その日は、近くの中華レストランへ。3人で温かいワンタン麺をすすった。
翌日は、時差調整も兼ねて、博物館や美術館をのんびり回る。そして、その日から約1週間、念願のイギリス庭園を3ヶ所巡ることになる。雨で有名なイギリスだが、私たちは幸運にも、温かな日差しに包まれ、広大な屋敷に広がる庭園をじっくりと散策することができた。母は念願叶い、はしゃぐように花を愛で、それを嬉しそうに見つめる父を見て、私は自然と頬が緩んだ。両親は、今年で結婚40年となる。どんな40年を歩んできたのか、その全てを知る由もないが、確かにこの瞬間には2人の笑顔があった。両親の滞在は10日ほどであったが、計画していた旅程は滞りなく終えられた。
ところが、私はひどく疲れてしまったのだ。
両親と私とで、旅の楽しみ方が違うからなのか。私は場当たり的に旅をするのが好きで、その時々の気分でお店を決めたりする。一方で、両親は年齢の問題もあるのだろうが、前もって何でも決める慎重派。先々の予定がきっちり決まっていることに、私は息苦しさを覚えたのかもしれない。
しかし、私にはもっと重苦しい疲れがあったのだ。言葉にすると「喪失感」というような、胸を圧迫するような、切なさでもある。電車やタクシーといった移動手段の手配に、行き先案内など、私がしていたことは、かつて父親の役目だった。海外旅行が趣味であった両親は幼い私と兄を連れて、様々な国を旅行した。イタリア、アメリカ、中国、ベトナム、イギリスなど、毎年夏になると、家族をどこか遠い国に連れて行ってくれた。
行く先々では、英語だけでなく中国語や、イタリア語まで交え、ホテルのチェックインや、レストランで注文する父の姿を見てきた。移動の車だって手配していたのは父だった。私にとって、父は頼れる「親」であり、付いていくべき「背中」であった。博識な父だが、決して偉ぶることはせず、いつも家族を優先してくれた。歩くのが、ちょっぴり早すぎて、困ったこともあったけど。
こんな父の役割を、私が担ってしまったのだ。それは、かつての100%甘えられる「父親」という存在を喪失したことを意味していたのかもしれない。
そして、同時に、父親のように鷹揚に振る舞えない自分の未熟さも感じた。情けないのだ。両親の年齢を考えると、多少費用が掛かろうとも、安心安全を優先するべきなのに、少しでも安く、そしてなるべく新しいことをしてみたいというエゴが私にはあった。それぞれにとっての、心地よさを考えられる人になんて、私はまだなれていない。
私にとって、親は背伸びをしても届かない「大人」であり、同時にそうあって欲しい存在なのだと思う。年齢には決して逆らえないのはわかってる。両親の体力は衰え、できることが少しずつ減ってくることもわかってる。それなのに、そんな両親をしっかりと支えることのできない、未熟な私が佇んでいた。

ぼくはいつになったら、「大人」になれるのだろう。