【雲間月怪異譚】 第66話⑦
【雲間月怪異譚】第66話 1523号室⑦
「……保?」
電話を切ったクロウは、しばらくスマホを見つめていた。
二度目の電話は、呼び出し音すら鳴らなかった。
「どうした?」
雲外鏡爺が囲炉裏の向こうから尋ねる。
「繋がらない」
「そうか」
雲外鏡爺は、それだけ言った。
けれど。
炭の中で、ぱちりと火の粉が弾けた。
「……爺さん」
「なんじゃ」
「さっきから、嫌な感じがしませんか?」
「嫌な感じ?」
「誰かがいるとか、そういう感じじゃない」
クロウはスマホを置いた。
「……何人もいるような感じがする」
雲外鏡爺の手が止まった。
「ほう」
「保が巻き込まれた場所って、1523号室ですよね」
「そう聞いておる」
「だったら、あの部屋……」
クロウは言葉を切った。
何かを思い出そうとしている。
けれど、まだ形にならない。
ただ。
以前、保から聞いた話が頭の片隅に残っていた。
――窓に、大きな顔が映っていた。
逆さまの女の顔。
それだけなら、よくある怪談だ。
だが。
クロウには、どうしても引っかかる。
「……あの顔」
「なんじゃ?」
「一人の顔じゃない気がする」
雲外鏡爺が、ゆっくりと顔を上げた。
「それは、どういう意味じゃ」
「分かりません」
クロウは立ち上がった。
「でも、保を連れ戻すなら……あの部屋そのものを調べる必要がある」
「ほう」
「女が一人いるんじゃない」
クロウは、静かに呟いた。
「あそこには――何人もの女が残ってる」
◇◇◇
1523号室。
窓ガラスに、女の顔が映っている。
逆さま。
異様なほど大きな顔。
けれど。
よく見れば、それは一つの顔ではなかった。
笑っている口。
泣いている目。
怒っている眉。
怯えた表情。
誰かを待つ顔。
誰かを許そうとする顔。
そして。
誰かを、まだ信じようとしている顔。
それらが重なっている。
一人の女ではない。
何人もの女が、同じ場所で同じ男を待ち。
同じ言葉を聞き。
同じように騙され。
そして――同じように消えていった。
その記憶だけが。
この部屋から、消えていない。
窓の向こう。
暗闇の中で。
逆さまの顔が、ゆっくりと笑った。
「……大丈夫」
誰かの声。
「怖くないから」
別の誰かの声。
「君を傷つけるつもりなんてない」
また別の声。
それらは全部、同じ男の声だった。
そして。
窓に映った無数の女たちの顔が、一斉にこちらを向いた。
――この部屋では。
まだ、誰かが男を待っている。
◇◇◇
【雲間月怪異譚】第66話 1523号室⑦
「横井さん、貴方は誰を探しているの?」
保は、彼に聞いた。
「妹です。大学を卒業して、こちらのホテルに就職して……しばらくしたら、連絡が取れなくなって」
「ホテルに?」
「ええ。客室管理の仕事をしていました」
横井は、少し俯いた。
「大人の行方不明は、警察も探してくれませんからね」
「……ええ」
「もちろん、届けは出しました。でも、あくまでも受け身の情報待ち。不甲斐ないですよ、兄としては」
その言葉に、保は何も返せなかった。
自分だって、秋野しのぶの行方が分からなくなった時、同じようなことしかできなかった。
知っている人間に連絡をして。
情報を集めて。
ただ、返事を待つ。
それ以上踏み込めない自分を、どこかで責めながら。
「妹さんは、いつ頃から連絡が?」
「三か月ほど前です」
「三か月……」
「最初は、仕事が忙しいんだろうと思っていました」
横井は苦笑した。
「ホテルの仕事って、結構大変らしいですから」
「そうですね」
「でも……一度だけ、妹から妙な話を聞いたんです」
保は顔を上げた。
「妙な話?」
「ええ」
横井は少し考えるように黙ってから、口を開いた。
「このホテルには、変な部屋があるって」
「変な部屋?」
「最初は、ただの噂だと思っていたみたいです」
横井は続けた。
「同じような女性客が、何度も泊まるんだそうです」
「同じ女性が?」
「いえ。毎回、違う女性です」
保の眉が僅かに動いた。
「でも……一緒に来る男は、同じだった」
「……同じ男?」
「妹は、そう言っていました」
横井はスマホを握り直した。
「最初は、女癖の悪い男なんじゃないかって。そう思っていたらしいです」
「それだけなら、ホテルの人が気にするような話でもないですよね」
「ええ」
横井は頷いた。
「だから、妹も最初は気にしていなかった」
けれど。
「その女性たちが、泊まった後にどうなったのか」
横井の声が、少しだけ低くなった。
「誰一人として、その後ホテルに来なくなったそうです」
「……」
「妹は、それが気になったらしい」
保は黙ったまま、横井を見る。
「過去の宿泊記録まで調べ始めたんです」
「妹さんが?」
「はい」
横井は頷いた。
「仕事の範囲を越えているから、やめろと言ったんですけどね」
「それでも?」
「ええ」
横井は苦笑した。
「昔から、そういうところがある妹でした。気になったら、とことん調べる」
そして。
「最後に電話で話した時も、そのことを言っていました」
「何て?」
横井は少しだけ目を伏せた。
「……『お兄ちゃん、このホテル、変だよ』って」
保の背中を、冷たいものが走った。
「何が変なんだって聞いたら……」
横井は答えを探すように、しばらく黙っていた。
「『昔の記録と今の記録が、ところどころ繋がらない』って」
「繋がらない?」
「ええ」
「どういう意味です?」
「そこまでは、聞けませんでした」
横井は唇を噛んだ。
「その翌日から、妹と連絡が取れなくなったんです」
――1523号室。
その数字が、保の頭の中に浮かんだ。
なぜだか分からない。
けれど。
この部屋と、横井の妹。
そして、あの女たち。
全部が、どこかで繋がっている。
そんな気がした。
「横井さん」
「はい」
「妹さんが調べていた部屋って……」
横井は、保を見る。
「1523号室です」
その瞬間。
部屋のどこかで、
――カチッ。
小さな音がした。
保は振り返った。
けれど。
そこには何もない。
ただ、窓ガラスだけが暗く濡れている。
そしてその向こう。
逆さまの女の顔が――
一瞬だけ、笑った。
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まだ終わらなくてごめんなさい💦
