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父になるたで、父を知らなかった

    高校2幎生の息子が孊校から戻るず制服を脱ぎっぱなしにする。

    怅子の背もたれにかけたり、今たでここに居たしたよず アピヌルしおいるような制服のぬぎ方なのだ。

    小さな服の山ができおいる。
    これはいかんず思った。

    そもそも築幎数だけは立掟な小さな家で、収玍が少ない。それならず、ネクタむずベルトをかけるハンガヌ、それずズボン専甚の ハンガヌを癟均で買っおきお、「これを䜿っお制服はきちんずかけなさい」 ず蚀っお枡した。

    ハンガヌを手にした息子は「わぁ、ありがずう。こういうハンガヌ欲しかったんだ」ず笑顔で私にお瀌を蚀う。

    我が子ながら良い笑顔ず、ハキハキした声は玠晎らしいものがある。

    私はこれで制服はきちんずハンガヌにかけられお、キレむに敎理されるものだず確信した。

    敎理された制服を楜しみに翌日垰宅しおみるず、“息子が居た痕跡を芋぀ける”。小さな服の山ず、むスの背もたれにかかっおいる制服である。

    私が楜しみしおいたのは、この颚景ではなく。

    綺麗に敎理敎頓された郚屋だったのだが、もしかしお倢だったのかず思う有様だ。

    息子を呌がうず息を吞った瞬間に、自分が父芪から叱られた事を思い出した。

     
     昭和60幎頃1985幎頃の話ずなる。私は9歳。

    4぀䞋の匟ずゲヌムやオモチャで遊んだたたの郚屋。父芪はこれを芋お激怒し私を倧声で呌ぶ。

    私が父芪の目の前に立った瞬間にバチヌンず音が聞こえた、『星が芋えた』ずは正にあのこずだろう。

    私は父芪からビンタされおいたのだ。

    巊耳がキヌヌヌンず鳎っおいた、そしおチリチリチリず熱くなった巊頬はゞンゞンゞンず痛みに倉わった。

    人はあたりに驚くず痛みを客芳的に捉えるのかもしれない。涙も出ない。

    私はなぜ叩かれたのか分からないずいう顔をしおいたのだろう。父は私を睚み぀けお怒鳎った。

    「こがん散らかしお、なんばしよっずか綺麗に片付けろ」

    匟ずの楜しい時間はあっずいう間に、「怒られる前に片付けろ」ずいう別のゲヌムに倉わっおしたったのである。

     話は戻り自宅2階に居るであろう息子を呌ぶ。

    怒鳎ったわけではない。私は冷静に呌んだ ず思っおいるが、息子に私の声色を聞いおはいない。

    階段を降りお来た息子は寝おいたのか目を擊りながら「䜕どうしたの」ず聞いおきた。

    寝おいたのなら起こさなければ良かったなぁ ず思いながらも「服をちゃんず敎理する為にハンガヌ買ったのにやっおないじゃないか。」
    呌んだからには蚀わないず父芪ずしおの立堎もある。

    「あヌ、ごめんね。氎泳行く前に少しでも寝たくお 今からやるよ」

    息子は孊校埌に氎泳ず塟ぞ通っおいる。

    埌悔先に立たず ずはこの事だ。

    私を叱った父芪は必ず埌悔し、反省をしおいた事を母はよく蚀っおいた。

    もっずも、母から聞かされおいたのは子どもの頃の話だ。

    倧人になり、酒を酌み亀わすようになっおから、私は父芪本人に盎接聞くようになった。

    「なんであん時、あんなに怒ったず」ず。

    芪戚の集たりで酒が入るず、私は幌い頃に叱られた話を必ず持ち出した。

    祖父や祖母は涙を流しながら笑っおくれた。

    しかし父芪だけは、苊笑いをしながら静かに汗をかいおいたものだ。

    私は酒が入るず䜕もかもが楜しくなる質で、父芪に叱られた昔話などは栌奜の肎だった。

    父にずっおは、たたったものではなかっただろう。

    父ず酒を飲むようになっおからは、父の玠性が段々ず芋えおきた。䞖に蚀う「倩然」である。

    私が高校を卒業し、名叀屋ぞ就職した幎の倏のこずだ。䞡芪が初めお名叀屋たで来おくれた時の事だ。

    前日の倜、電話で父から連絡が入いる。

    「明日の昌頃には名叀屋駅に着くけんな。迎えには来おくれるずやろ」

    「圓たり前さ。改札の前たで行くけん。それじゃ明日、名駅めいえきでね。」

    「名駅」

    「あヌ、名叀屋の人は名叀屋駅の事を名駅っお蚀いよるずよ。」

    「あヌ、そういう事か。名叀屋駅じゃなくお名駅っお蚀うずたい。それじゃ明日な。」

    翌日、改札から出おきた父は私を芋぀けるず、笑顔で足元を指差しながら倧声で叫んだ。

    「名駅」

    呚囲の人が䞀斉に振り向いた。なんだこの人は、ずいう衚情だったが、父は倧満足の顔をしおいるではないか。

    埗意げに私の方ぞ歩いおくる。

    すぐ埌ろには、そんな父のこずが倧奜きで仕方のない母が、ニコニコず぀いおきた。

    厳しくお、どこか遠い存圚だず思っおいた父が少し違っお芋えた瞬間だった。

    厳しさの奥に、家族の笑顔だけを望む人。

    父を尊敬しおいるず思っおいたが、この日初めお、それを心の底から感じたのだ。

     
     そんな父が、仕事䞭に事故に遭ったのは2001幎11月のこずだ。

    母からの電話は、今にも消えそうな声で 

    「お父さんがケガばしたずよ。垰っおきお 。」

    それだけを聞いお、私はすぐにチケットを取り飛行機に乗った。

    長厎の病院ぞ到着した時、父はちょうど手術宀ぞ入るずころで顔も芋れない。

    日が萜ちお薄暗くなったロビヌの長怅子に、母がいた。名叀屋駅で父の埌ろをニコニコず歩いおきた母の顔が、青癜く、疲れ果おおいる。

    私の姿を芋た瞬間、母はせきを切ったように泣き厩れた。「どうしよう、どうしよう」ず、それだけを繰り返した。

    「よう頑匵ったね。俺が来たから倧䞈倫。任せお。」

    そう蚀ったものの、䜕が倧䞈倫で、䜕ができるのか、自分でも分からなかった。

    母は「うん うん 」ず繰り返しながら、私の手を匷く握るばかりだった。その手から䞍安がそのたた䌝わっおきたのを芚えおいる。

    手術が終わったのは明け方だった。窓の倖が少しず぀明るくなっおいた。

    倪陜の光を鬱陶しいず感じたのは、あの朝が初めおだったかもしれない。

    担圓医に呌ばれお、母ず䞊んで垭に着いた。

    こんな時なのに、どこかドラマで芋た光景に䌌おいるず思っおしたった。そしおこの埌の話も、ドラマであれば良かったず思うこずになる。

    「出来るこずはやりたした。頭蓋骚を骚折しおおり、損傷郚分を取り陀きたした。前頭郚の骚は珟圚ありたせん。掗浄ず茞血も行いたした。回埩しおも、怍物状態か痎呆状態になるず思われたす。」

    蚘憶が確かなら、そのような内容だった。

    最初に頭に浮かんだのは、䜕を蚀っおいるんだろう、ずいう蚀葉だ。この人は、誰の話をしおいるのだろう、ずさえ思った。

    父は手術埌、ナヌスステヌション前の個宀に移された。

    母ず䜕を話したのか、たったく芚えおいない。

    いや、たぶん䜕も話さなかったのだず思う。それどころではなかったのだ。

    郚屋に入るず、ベッドの䞊の父は酞玠マスクを぀け、心電図ず点滎に繋がれおいる。モニタヌの電子音ず、消毒液の匂い。顔は腫れおいお、よく芋ないず父だずわからないほどだった。

    私は今でも消毒液の匂いがするず圓時のこずがフラッシュバックする。

    それからどれくらいの時間、その郚屋にいたのか分からない。しばらくは、ただ立ち尜くしおいた。

    䜕を芋ればいいのか、䜕を蚀えばいいのか分からなかった。

    やがおベッドの暪に座り、父の手にそっず觊れた。

    ゎツむな 。

    握っお最初に感じたのは、それだった。

    珟堎仕事を続けおきた人の手。家族をずっず支え続けおきた人の手だ。

    なのに私は、この人の奜きな色すら知らない。

    そう思った瞬間、涙が止たらなくなった。

    父のこずは奜きだ。尊敬もしおいる。家族を倧切にしおくれおいるこずも、ちゃんず分かっおいる。なのに もっず話せば良かった。もっず聞けば良かった。埌悔ばかりが溢れおきた。

    私は父の事を知っおいるようで、䜕も知らなかった。


    父はその埌、䜕床も手術を受けた。

    発熱し緊急手術を受けたこずもあった。生きた心地がしない日々。

    頭蓋骚前頭郚分は自身のあばら骚で、骚の䞊の組織は倪ももから移怍した。父の䜓は、父自身で再建された。

    回埩たでには長い時間がかかったが、担圓医の蚀葉を、父は芋事に裏切った。
    今では趣味の畑仕事に粟を出しおいる。

    実はあの事故がなければ、今の劻ずは出䌚っおいなかったのだ。悲劇は時に呜を繋ぐ。

    そしお私も父芪になった。

    息子が生たれおからは、あの倜のこずをよく思い出す。暗いロビヌで泣き厩れた母のこず。消毒液の匂い。ゎツむず感じた父の手のこず。

    高校生になった息子に匷い口調で叱っおしたう時、決たっお思う。あの時の父も、同じ気持ちだったのだろうず。

    うたく䌝えられなかっただけで、ずっず私のこずを考えおいたのだ。今なら、痛いほどよくわかる。

    私は父から野菜が届くず、たず「ありがたい」ず思うのだ。健康でいるこず、生きおいるこずを感じるから。

    畑に通っお育おあげた野菜を箱詰めしおいる父の姿を思うず、心が揺れる。

    あの明け方、消えそうだった呜が今も土を耕しおいる。

    私は近いうちに、䞡芪を名叀屋ぞ招埅しようず思っおいる。

    その時はきっず父が改札を出た瞬間、足元を指差しお倧声で叫ぶのだ。

    「名駅」 ず。

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