
TABITO_ボクらが旅にでる理由。#8
タメクミ(後編)
タメクミ(Tamekumi)
25歳・O型
広告代理店 営業(社会人3年目)
東京都練馬区 在住
出身:東京都小平市
旅先:長野県(白馬村・安曇野)

ブルーモーメントな時間
約束の時間より1時間も早く、一台の車が砂利道を鳴らして入ってきた。カスタムされた日産の古いキャラバン。降りてきたのは、短髪に白い髭を蓄えた、いかにも「キャンプ力」の高そうな小出さんだった。
「タメクミ君? 変わった名字だね。シゲタから聞いてるよ。よろしく」
初対面とは思えないほど、フラットで風通しのいいトーン。僕が恐縮していると、「仕事早く終わらせてさ。陽が暮れる前に、テントのセッティングだけでもやっちゃおうと思って」と笑う。間違いなく、この撮影のために本業を切り上げてきてくれたのだ。
慌てて会社に「現着しました」と無駄なアリバイ電話を入れ、ほんの数分目を離した。その隙に、小出さんは手品のようにタープを張り、一人用のテントの骨組みを立ち上げていた。たかが雑誌の端っこの「物撮り」案件だ。それなのに、小出さんが構築していくセットは異常なほど完璧だった。
「こっちから撮れば湖が抜けるし、あの角度なら奥のサウナ小屋と山が背景になってパターンが作れるでしょ? それは明日の早朝、光が柔らかい時にやろう」
そう言いながら、本命の一酸化炭素チェッカーだけでなく、クライアントから預かったトランクカーゴや焚き火台、無骨なスキレットまで絶妙なバランスで配置していく。聞けば、小出さんもこのガレージブランドのひそかなファンらしい。
「あそこのオーナー、いいモノ作るからさ。少しでも画変わりがあった方が喜ぶでしょ」
246沿いのオフィスでは絶対に生まれない、真っ当な体温のある仕事のやり方だった。
「ここに焚き火台を置いて、陽がもう少し落ちたら、チェッカーをテントに吊るして撮ろう。ライティングは自然火でいくから」
自然光ならぬ、自然火。なんて贅沢な照明機材だろう。
「タメクミ君、ちょっとこれ着て、そこに座ってみて」
渡されたのは、使い込まれたカーキのキャンプベスト。どうやら僕の背中をキャンパーのモデルとして使うらしい。焚き火の前に座り、小出さんがシャッターを切る。プレビューモニターを覗き込むと、そこにはいっぱしの玄人キャンパーに仕上がった僕の背中が、エモい空気感とともに収まっていた。なんだこれ、めちゃくちゃ嬉しいじゃないか。僕の中のシティボーイが小躍りしている。
そのままの流れで、スキレットを使った料理シーンの撮影に突入した。しばらくシャッターを切り続けた小出さんが、ふと手を止めた。
「オーケー。ブルーモーメント、撮れた。日が沈んだ直後の、ほんの短い時間しか出ない空の色だよ」
言われて空を見上げると、確かに西の稜線がインクを溶かしたような深い青に染まっていた。その色が消えないうちに、小出さんはクーラーボックスから分厚い信州豚のロース肉と地元の極太ソーセージを取り出した。熱した鉄板に肉を乗せると、暴力的なほどいい音が鳴り、白い煙が夕暮れの空に立ち上る。脂がはぜる瞬間を、小出さんが的確にレンズで押さえていく。
「よし、冷めないうちに食っちゃおう」
気づけばそれは、完全なキャンプの夕食になっていた。アウトドアスパイスを雑に振りかけただけの豚肉をかじり、熱いコーヒーで流し込む。
バカみたいに美味い。
高級なフレンチでも、港区の経費で落ちる焼肉でもない、ただ外で焼いただけの肉が、薄汚れた東京の空気にまみれた体に染み渡っていく。
「タメクミ君、今日宿とってないんでしょ? このテント泊まっていきなよ。俺は自分の車で寝るから」
小出さんの日産キャラバンは、車中泊用に完璧にカスタムされた動く城だった。お言葉に甘え、僕は人生初のテント泊をすることになった。西の空を振り返れば、黒く沈みかけた北アルプスの稜線がオレンジ色の残照に縁取られている。反対の東の空には、もう青白い月と薄らとした星屑が浮かんでいた。二つの空の狭間で、焚き火のパチパチとはぜる音だけがBGMのように響く。
「インスタとかでさ、こういう写真よく流れてくるでしょ?」
小出さんが火ばさみで薪をいじりながら、ふと呟いた。
「でもね、あの異常だったキャンプブームはもう終わったんだよ。知ってた?」
炎に照らされた小出さんの横顔は、少しだけ寂しそうで、でもどこかひどく清々しく見えた。
「コロナが明けて、みんな海外旅行に戻ったから。ギアだけ買い揃えて、もう行かなくなったやつが山ほどいる。結局はどこも空いてて最高だけどね」
「確かに、僕も何度もキャンプをはじめようと思いました。でもギアどころか、今日が人生初のテント泊なんですけど」
小出さんが声を上げて笑った。
「まあそれはそれで正直でいいよ。でもね、ブームが終わったからって、山が消えるわけじゃないから。キャンプギアのメーカーさんには頑張ってほしいだけ」
キャラバンの荷台から、小出さんがウイスキーのボトルを二本持ってきた。ブランドはわからないが、ラベルがくたびれていて、明らかに付き合いの長い一本だった。
「飲める?」
「飲めます」
グラスに注がれたウイスキーを、焚き火の熱でゆっくり温めながら飲む。チェーンのバーで飲む水割りとは、まるで別の飲み物だった。小出さんはその後、クーラーボックスの底から地元のきのこを取り出し、スキレットにバターとにんにくで炒め始めた。さっきまで「撮影小道具」だった鉄板が、今度は本物の調理道具として火の上に乗っている。
「この食材、全部撮影費で落ちるんで、撮影費と一緒に請求してください」
僕がそう言うと、「えっ。ラッキー‼ じゃ、もったいないから全部食べちゃおう」と小出さんは言って、残った信州豚と極太ソーセージが鉄板の上で再びパチパチと音を立てる。なんの計画もないまま、気まぐれに食材が追加されていくキャンプ場の食卓は、思いのほか豪勢なものになっていった。
「コロナの時さ、東京にいるのがどうしようもなく嫌になって、実家に帰ったんだよね」
シェラカップに注いだウイスキーのピート香が漂う中、小出さんがぽつりぽつりと話し始めた。
「俺たちみたいな撮影の仕事って、人が動いてナンボの世界だから。緊急事態宣言が出た瞬間、予定が全部白紙になってさ。スケジュール帳が真っ白になった時、初めて『あぁ、俺って実は何も持ってないんだな』って思い知らされたんだよ」
焚き火の爆ぜる音が、静かな夜の空気に吸い込まれていく。
「……シゲタさんも昔、飲み会で全く同じことを言ってました」
小出さんとシゲタさんがどこでどう繋がったのかは詳しく知らない。ただ僕は無意識のうちに、二人の共通言語としてシゲタさんの名前を口に滑らせていた。
「コロナ明け、社会が通常に戻りかけた時に、このままの働き方じゃダメだって痛感して、それで転職を決めたって」
「うん、シゲタは本当にすごいよ。そしてアイツは俺とは違って、何かいっぱい持ってる。本人は気づいてないけど」
小出さんは目尻にシワを寄せて笑った。
「あんなに天然で、自己犠牲みたいに人のために動ける若者、今どき珍しいでしょ? 本人は『僕はどこに行っても奴隷ですよ』なんて愚痴ってたけどさ。結局、あいつみたいな不器用で誠実な人間の代わりなんて、どこにもいないんだよね。デザインができるできないとか、そんな狭い話じゃなくて、ただ組織に置いておきたいタイプの人間なんだよ、シゲタは」
小出さんは、シゲタさんがうちの会社を辞めた後に入った会社の仕事で知り合ったらしい。こんなに余裕のある大人から信頼されているシゲタさんが、僕にはひどくかっこよく聞こえた。
「あの損な役回りばかり引き受ける性格で、見栄を張らない、今どきのスマートさとは真逆をいく若者。それでいて根が優しいから、俺もシゲタのことが大好きなんだよね」
退職してすっかり僕の世界からいなくなってしまったと思っていた先輩の輪郭が、長野の山奥で急に鮮明に浮かび上がった。
「そんなシゲタがさ、『僕の後輩、助けてやってください。いい奴なんで』ってわざわざ連絡してきたから。タメクミ君のことね。どんな後輩か気になって、ついこの仕事受けちゃったんだよ」
そう言って、小出さんはウイスキーを呷った。僕の胸の奥が、焚き火の熱とは違う温度でじんわりと熱くなる。
「僕も、シゲタさんのことは心から尊敬してます。ただ、僕らがあの人の優しさに甘えすぎちゃって……今も相変わらず、どこかで休みなく働いてるんじゃないかって」
「いや、それが最近、遅れてきた反抗期みたいになってるらしいよ。土日になると『一人旅です』って言って、逃げるように東京を離れてるみたいだから。今日もこれから北陸かどっかに出発だって」
シゲタさん本人が、小出さんにそうこぼしていたらしい。あのワーカホリックだったシゲタさんが、自分のためだけに時間と休日を使っている。その事実を知れただけで、僕は心の底からホッとした。
「コロナで人生の価値観が変わったり、立ち止まって見直したりした人は多いと思うよ」
小出さんは火ばさみで薪の形を整えながら続けた。
「俺もさ、正直、今の方が全然楽しいんだよね。週末は地元の写真館のオヤジとして七五三や家族の笑顔を撮って、平日は普通の会社員をやる。無駄な欲が削ぎ落とされたのか、今の自分に一番ちょうどよくなったのか、うまく言えないけどさ。とにかく、最高なんだよ」
僕は、返す言葉を見つけられなかった。246沿いの薄汚れたオフィスで毎日毎日「199,999円」の叩き売りを繰り返し、数字と見栄に追われている自分。そして目の前で、ウイスキーグラスを傾けながら「最高だ」と笑う小出さん。二人の間にある圧倒的な「何か」の正体が、ウイスキーを何度喉に流し込んでも、まだうまく言語化できなかった。
「はい、お待たせ」
無骨なスキレットで炒められた、きのこのバターソテーが差し出された。ふちで少し焦げた野菜の切れ端すら、なぜかひどく美味そうに見える。口に入れた瞬間、濃厚なバターとにんにくの香り、そして野性味あふれるきのこの旨味が一気に来た。
「……めちゃくちゃ美味いですね、これ」
「でしょ。地元のきのこは間違いないから」
それ以降、二人はほとんど喋らなかった。パチパチと薪が燃える音、遠くの森で何かが鳴く声、グラスに氷が当たる乾いた音だけが続く。この無言がちっとも気まずくないのは、安曇野の澄んだ空気のせいか、小出さんの懐の深さのせいか、それともただウイスキーが回っているからか。たぶん、その全部だろう。
気づけば11時を回っていた。満天とまではいかないが、東京の空では絶対に拝めない数の星が、インクを流したような黒い空に散らばっている。
「明日の朝、湖に霧が出るとすごくいい写真が撮れるんだ。6時には起こすから、先寝るね」
「わかりました。……今日は本当に、ごちそうさまでした。おやすみなさい」
テントのジッパーを下ろし、冷えたシュラフに身を潜める。背中越しに伝わる地面の硬さと、アウターに染み込んだ焚き火の煙の匂い。遠くで、秋の虫が鳴いている。色々な思考が頭を巡って「今日は全然眠れそうにないな」なんて思っていたのに、目を閉じて1分後には、意識が完全に途切れていた。

Fuck 東京の狭いオフィス
シュラフから這い出すと、安曇野の朝の空気が刃物のように冷たく、そして澄み切っていた。目をこすりながらテントを出る。あんなに広大なフリーサイトには、結局僕らと、少し離れた場所で静かにコーヒーを淹れている外国人夫婦の二組しかいなかった。
視線の先、朝靄がうっすらと残る湖面を滑るように、小出さんがカヤックを漕いでいた。
「タメクミくーん! 昨日のそのベスト着て、そこの桟橋の手前でイスに座ってみてー!」
湖上からの大声に急かされ、言われた通りに腰を下ろす。ファインダー越しに、水面から小出さんがシャッターを切る音が響いた。もはやクライアントの一酸化炭素チェッカーの物撮りではなく、完全に「長野の自然に溶け込む僕」のポートレート撮影になっている。
「オッケー! めちゃくちゃいい画が撮れたよ!」
小出さんは満足げに笑い、パドルを操って桟橋に寄せてきた。
「……ありがとうございます」
なぜか自然と、そんなお礼の言葉が口をついて出た。
「そのカヤック、小出さんのですか?」
「そう、組み立て式のやつ。陸から見るのとは、また全然違う景色が見れるよ。乗ってみる?」
促されるまま、二人乗りのカヤックの前の席に乗り込んだ。パドルが水をかく静かな音だけが響く。湖の中心から振り返るキャンプ場と山々の稜線は、今まで見たことのない、圧倒的なスケールだった。
朝7時を回ると、奥のボート乗り場から釣り人たちを乗せたボートが何台も、湖の深部へとエンジンを響かせて出発していった。同時に、キャンプ場の入り口には次々と車が到着し、色とりどりのテントが張られ始める。そっか、今日は土曜日か。彼らはこの週末をめがけてここへやってきて、それぞれの豊かな時間を構築しようとしている。僕のまったく知らない「週末の世界」が、そこには広がっていた。
「なんだか、自分の視野の狭さを思い知らされましたよ」
湖上の冷たい風に吹かれながら、自嘲気味にこぼした。東京にいるいつもの僕なら、今の時間はまだ狭いベッドの中だ。「部屋の掃除をしなきゃな」なんてどうでもいい罪悪感を抱えながら布団から出られず、スマホの画面を無意味にスワイプし続け、気づけば窓の外が夕暮れになっている。それが、25歳の僕の定番化した休日だった。
「そう? 俺から見たら、タメクミ君は十分かっこよく見えるけどね」
背後から、小出さんが軽やかに言った。
「一人で東京から白馬まで車を走らせて、クライアントからミッションをもらって、知らない大人と撮影しながら全国を回ってる。若いのに、ちゃんと自分の足で仕事しながら楽しんでるじゃん」
小出さんが、僕の低い自己肯定感をそっと持ち上げてくれているのがわかった。
「少なくとも昨日今日、俺はタメクミ君に楽しい時間を作ってもらってるよ」
こんなふうに大人に認められたのは初めてで、昨日から身に起きていることは全部が初めてのことだらけで。でも、この湖の上で、僕は確かに「何か」を掴みかけている気がした。昨夜聞いた、小出さんの生き方。そして、あの自己犠牲の塊だったシゲタさんが、週末に一人旅をして自分のために時間を使っているという事実。
——そうだ。あの息苦しいオフィスで、すり減りながら広告枠の叩き売りを続けるくらいなら、いっそ会社の古いルールを僕なりにハックしてやればいい。利益の30%は経費として使える。だったら、その枠をフルに使い倒して、仕事という名目で全国の絶景へロケに行きまくってやる。
朝日が完全に北アルプスの稜線を越え、湖面がキラキラと乱反射を始めた。
すっかり陽が高くなった湖畔で、昨日の夕暮れとはまた違う、朝のパキッとした自然光の中でキャンプギアの撮影を済ませる。その後、クーラーボックスに余っていた豚肉とハム、そして卵を使って、小出さんがまた手際よく朝食を作ってくれた。目玉焼きの端がカリッと焦げただけのワイルドな料理なのに、都内の気取ったブランチの何倍も美味い。そのまま昼近くまでコーヒーを飲み、のんびりと撤収作業をした。
「俺はここで少し仕事していくわ」
小出さんは折りたたみテーブルにMacBookを開き、昨日と今日撮影したデータのバックアップと整理を始めた。長野の風に吹かれながら画面に向かうその横顔は、本物のノマドワーカーみたいでひどく自由に見えた。何度もお礼を言い、車にキャンプギアを積み込んで、白馬村のクライアントの元へ向かった。
オーナーの待つガレージに着いた、まさにそのタイミングだった。ポケットのスマホが震え、小出さんからLINEが届く。
『とりあえず補正前だけど、撮影した写真、クライアントに見てもらいなよ』
添付されたデータを開いて、僕は息を呑んだ。「補正前」という言葉が信じられないほど、美しく、シネマティックで、完璧な広告写真だった。しかも、依頼されていた一酸化炭素チェッカーの単なる物撮りだけでなく、トランクカーゴやスキレットが夕闇や朝靄の自然の中に溶け込んでいる、ライフスタイルそのものを切り取ったようなカットが何パターンも収められていた。
「ちょっと、これ……昨日の打ち合わせの後に撮ってくれたんですか!?」
スマホの画面を覗き込んだオーナーの目は、少年のように見開かれていた。
「ただの物撮りだと思ってたのに……うちの他のギアまで、こんなにかっこよく撮ってくれてるじゃないですか!」
クライアントの反応は、控えめに言って100点満点中200点だった。安売りなんか一切していないのに、彼は心の底から満足し、感動してくれている。全部、小出さんのおかげだ。プロフェッショナルという生き物は、値引きの数字ではなく、圧倒的な質で客の心を震わせる。その熱量が伝播して、結果的に僕というしがない営業マンの評価まで押し上げてしまったのだ。
車のシートに深く腰掛け、エンジンをかける。窓を全開にすると、秋の冷たい風が車内を勢いよく吹き抜けていった。その瞬間、胸の奥でカチッと何かが切り替わる音がした。
今まで僕は、東京の狭いオフィスで、すり減っていく自分の靴底ばかりを見ていた。でも、世界はこんなにも広くて、こんなにも面白い大人たちが、自分の手触りで人生を作っている。仕事は、僕を縛り付ける鎖なんかじゃない。やり方次第で、見たことのない景色へ連れ出してくれる最強のパスポートになるんだ。
もっと色んな場所へ行きたい。もっと色んな空気を吸って、小出さんやシゲタさんみたいな、地に足の着いた本物の大人たちと出会いたい。そのための口実なら、あの社長が呆れるくらい、いくらでも作ってやる。企画書とノートPC、それに車のキーさえあれば、僕はどこへだって行けるのだ。
カーオーディオのボリュームを少しだけ上げる。東京へ帰るアクセルを踏み込む僕の足取りは、来る時よりもずっと、ずっと軽くなっていた。

会社のルールをハックしちゃえばボクの勝ち確
あれから2ヶ月後。
白馬の奇跡みたいなロケから生まれた広告が、ついに雑誌の誌面を飾った。だが、現実は甘くない。定価の40万も払ってもらったというのに、発売から一週間が過ぎても、目立った反響は聞こえてこなかった。当然だ。誰も紙の雑誌の巻末広告なんて真面目に読まない。時代遅れの媒体を売りつけてしまった罪悪感と、「頼むよ雑誌業界」という他責思考が入り混じる中、僕は謝罪の言葉を頭の中でパズルのように組み立てながら、そのまた一週間後に白馬のオーナーへ電話をかけた。
「タメクミ君! 本当にありがとう! あの広告のおかげで、うちのHPもインスタも、今とんでもない反響になってるよ!」
受話器越しに聞こえてきたのは、予想外に弾んだ声だった。聞いていた話と違う。狐につままれたような気分のまま電話を切ると、今度はスマホの画面にシゲタさんからのLINEがポップアップした。
『いい仕事してるね! 小出さんのインスタで見たよ!』
小出さんのインスタ?
慌ててInstagramを開き、シゲタさんの数少ないフォロワー欄から、それらしきアカウントを掘り当てた。リンクへ飛んで、思わず変な声が出た。小出さん、ただのオヤジじゃなかった。彼は、キャンパー界隈では知る人ぞ知る、ちょっとしたインフルエンサーだったのだ。おそらく本人にはインフルエンサーなんて横文字の自覚は1ミリもないだろう。ただ純粋に、自分の好きなギアと美しい風景を切り取っているだけ。だが、例の広告写真と共にアップされたクライアントのギアたちの投稿は、恐ろしい数の「いいね」とインプレッションを叩き出していた。
ご丁寧にメーカーのアカウントまでメンションされた愛のあるレビューから、爆発的な反響が生まれたらしい。その熱狂が逆流するように「雑誌にも載っている信頼できるブランド」として相乗効果を生み、結果的に巻末の地味なページの広告枠の価値まで証明してしまったのだ。
なんてことだ。スマホの画面を見つめながら、一人で笑ってしまった。
数字と見栄えだけを追いかける息苦しい東京のシステムの外側に、こんなにも血の通った、泥臭くて美しい経済の回し方があったなんて。僕はただ、大好きな大人たちを繋いだだけだ。それだけで、誰も損をしない仕事が成立してしまった。
すぐに、安曇野の小出さんに電話をかけた。
「小出さん、今度またキャンプ行きません? 同じ仕事として。実は九州のクライアントからアウトドア案件の相談がありまして……長崎、旅行に行きません?」
どうせなら、長崎の海が見えるキャンプ場がいい。強引に繋げると、僕は一人で決めた。
どうやら僕は、この時代遅れな広告代理店のしがない営業マンを続けながら、小出さんという無自覚なインフルエンサーの専属マネージャー兼・代理店として生きていくことになりそうだった。利益の30%まで経費として使えるという、大雑把すぎる会社のルール。あんなに大嫌いだったその規則が、今は最強の武器に見える。そのルールさえあれば、僕は全国の絶景へ飛んでいける。日焼けバカ社長には「大掛かりなロケです」とだけ伝えておけばいい。売上げはあるんだから。
窓の外を見ると、ビルとビルの隙間から、高く澄んだ空が切り取られていた。
あんなに狭いと思っていた東京の空も、見上げる角度を変えれば、案外悪くない。
さあ、次はどこへ行こうか。とりあえず、九州の美味い飯屋と温泉のリサーチから始めよう。
僕の本当の仕事は、ここから始まるのだ。