
2026/07/07 「勝手に増えた同僚たち」
SNSで話題になっていた『水曜日のダウンタウン』をTVerで観た。
再生ボタンを押した動機は、あまり上品なものではない。ある芸人の先輩に対する態度や、チーム内での振る舞いが話題になっている。そんな投稿をいくつも見かけ、野次馬の群れに加わってみたくなったのだ。
私は大爆笑していた。品のない入口から入った番組ほど、悔しいくらい楽しめてしまうことがある。ただし、笑ったのは、その芸人の非常識な立ち居振る舞いに対してではない。次々に起きる出来事を前に、怒っていいのか、注意すべきなのか、それとも笑って流すべきなのか分からず、翻弄されていく先輩芸人たちの姿に笑ったのだ。
これは、知っている。テレビの中で起きていることは、なにも特別な出来事ではなかった。会社で何度も見てきた、いわゆる“あるある”だった。
学生時代の先輩と後輩は、せいぜい数歳しか離れていない。ところが会社では、親子ほど年齢の離れた人間が、同じ締め切りを背負い、同じ成果物を囲む。部活動や大学時代の調子で“先輩とは / 後輩とは”と考えてもうまくいくはずがない。特に後輩との接し方には毎日のように翻弄される。働き方。言葉遣い。返事の仕方。人前での態度。挙げ始めれば、こちらが密かに飲み込んできたものはいくらでも見つかる。その場でさらりと流せるものもあれば、今後のためにきちんと伝えた方がいいものもある。見なかったことにすると、別の誰かが困るものもある。一対一なら、まだいい。相手と自分の間だけで起きたことなら、こちらが少し飲み込めば済む。
しかし、人が増えるほど事情は複雑になる。周囲はこの態度をどう受け取るのか。注意したこちらが、どう見られるのか。誰かが黙って傷ついてはいないか。問いだけが増えて、答えは一つも出ない。飲み込んだものが胃の中で混ざり合い、名前のつかない渦をつくる。
若者との接し方について書かれた本も、いくつか読んだ。価値観が違う。育った環境が違う。叱るのではなく対話をする。相手の話をよく聞く。なるほど、と思う。けれど、ページを閉じると目の前の後輩は本の索引どおりには動いてくれない。おそらく、若者についての知識が足りないのではない。私に根気が足りないのだ。
番組の中では、先輩芸人たちが後輩の一挙手一投足に振り回されていた。注意すれば空気が悪くなり、黙っていれば仕事が進まない。その板挟みになった表情を見ているうちに、私はまた笑ってしまった。
傍から見ると、こんなにも面白いのか。会社で同じことが起きたときには、胃の辺りが熱くなるだけで、少しも笑えないのに。
TVerを閉じても、私のコミュニケーション能力が上がったわけではない。明日から後輩へ穏やかに接するための、画期的な方法を手に入れたわけでもない。会社の同僚が増えたわけではない。増えたのは、画面の中で一緒に困ってくれる、給料の発生しない同僚たちだ。心強いような、そうでもないような。言いかけた小言を一つ、行儀よく飲み下しておく。