
やさしさについて考えてみた
あの人はとてもやさしい
と誰かが言った時、わたしは大体半信半疑だ。
蓋を開けてみるとやさしい人=その人にとっての都合のいい人だったり、ただただ事なかれ主義の人だったり、ただのにこにこしているだけの人だったりするからだ。
わたしにはすごく丁寧すぎる人もまるでセリフを喋っているみたいに聞こえてちょっと怖い。
人にはやさしくしなさい
そんなことをなんとなく、自然なこととして刷り込まれて生きてきた。当たり前にあるものとして、やさしいは語られる。でも実は簡単にできることではないよな、と思っている。わたしにはやさしい口調で耳障りのいいことを言うことがやさしさだとは思えない。
なんでこんなことを言いはじめてしまったかというと、永井玲衣さんの本『さみしくてごめん』でやさしいということについて書かれていたからだ。そこでは、
やさしくされるとうれしい。だが、とびきりやさしいひとは、なんだかちょっと怖い。
という一節が出てくる。
なんかわかる。
わかりやすく出現するやさしさは疑わしい。
とも書いてある。
ほんとにそう。
この本の中で恋人のバッグを持ってくれる人のはなしが出てくる。
私としては、
重い荷物を持ってくれる→わかる。うれしい。ありがとう。
意味わからんくらい小さいバッグを持ってくれる→は?
なのです。そうなのです。ポーズやん?と思ってしまうのです。
やさしくすることは、体力を使う。
…それは目の前の他者を前提にしているからだ。その他者に自分が働きかけることによってどうなってしまうのか、想像するからだ。
これなのです。
ほんとうに人にやさしくするということはたくさん考えてその人がどう思うかな〜なんてことも考えて、たまには見守ってみたり、やっぱりこうした方がいいかな〜なんてぐるぐるしてみたりしながら発揮されるものだと思うのだ。
もったいなくてここには書かないけれど、永井玲衣さんがやさしさとは、と書いている一節がとてもいいのでぜひ読んでいただきたい。わたしは頷いた。何回も頷いた。
たまに話題に上がる某ブランドのハートネックレス問題だってそうだ。そのブランドに罪はない。かわいい。だめなのは女はみんなハートのネックレスをあげときゃ喜ぶでしょ、っていうその思考なのだと思う。
目の前にいる彼女のことを考えればきっと、前にこれがかわいいって言ってたな、好きな色はこれだよな、ってなる!すべての男がハートにたどり着くわけがないのだ。
目の前の人のことを考えるというたった一つのことなのだけど、結構見失いがちなのではないだろうか。
一般的にいいとされていることをするというのは道徳やマナーと考えればいいことなのかもしれない。けれど、相手がその時それを求めているのかは全く別のはなしなのだと思う。やさしさって難しい。
そしてスマートにやろうなんて考える必要は微塵もないのに、なぜかみんなと同じルートに乗りたくなるのはなぜだろう。安心したいだけなのだろうか。
さらに、わたしは恋人とか家族とか近い人にはやさしさを出せなくなるときがある。目の前にいる人のことを考えているはずなのに。素直になれないだけなのだろうか。何のためらいだ。
しかしながら、たまにやさしさのプロフェッショナルに出会ってしまう時がある。彼らは実に何事もなかったかのように、自然に、人を思いやり、後からあの時やさしくしてくれてたよな、とほんのり気付くような行動・言動を繰り出してくる。ポーズではない。過剰でもない。そして人をよく見ている。神様かな?
そんな人もいるが、わたしには大勢の人にやさしさを届けるのは非常に難しいことだと感じたので、わたしはただ、目の前の人を喜ばせることができる人間を目指そうと思う。プロフェッショナルには程遠いが。
こうやっときゃいいでしょ!は封印!